金芝河

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金芝河

金 芝河(キム・ジハ、김지하、Kim Chi-Ha、本名:金英一(キム・ヨンイル、김영일)、1941年2月4日 - )は、大韓民国詩人思想家

ペンネームの「芝河」は「地下」に由来するとも言われる。

概説

1941年、全羅南道木浦市に映画技師の一人息子として生まれる。中学時代から詩作を始め、ソウル大学校美術大学美学科在学中から詩作を発表する。 在学中に4・19学生革命に参加。以降も学生運動を主導し、当局から逮捕拘束される。

1961年5・16軍事クーデターでの朴正煕政権登場以降、反政府活動を強める。1970年、朴正煕大統領体制を鋭く風刺した長篇詩『五賊』を発表し、反共法違反容疑で拘束される(五賊筆禍事件)。当局からの逃亡生活を余儀なくされるが、地下活動を続け、軍事政権下で民主化運動をリードした。1974年、大統領緊急措置により死刑判決を受けたが、一旦は釈放。しかし、釈放後に「東亜日報」に掲載した手記『苦行--1974』で、人民革命党事件の捏造を批判した(民青学連事件)ことから反共法違反により再逮捕、死刑判決(のち無期懲役に減刑)。

投獄に対して、ジャン=ポール・サルトル大江健三郎鶴見俊輔などによる国際的釈放要求の声が沸きあがり、1980年12月再度釈放される。通算7年にも及ぶ獄中生活に対し、軍事政権の言論弾圧に屈しなかったとして、ロータス特別賞クライスキー人権賞偉大な詩人賞を受賞。

以降、詩作以外にも随筆や談論集を発表し、パンソリや仮面劇の伝統を生かした『櫻賊歌』『蜚語』などを発表。1982年頃からは、地域自治を提唱するサルリム(生命)運動や環境問題、消費者共同体運動、東アジアの伝統を見直す活動など、詩作以外にも活動を広げる。しかし、生命運動などを通じて神秘主義的な言動が顕著になったことで、民主化運動(特に学生運動)に対する思想転向と受けとめる者も現れ、韓国内では賛否両論を巻き起こした。

1991年4月には、明知大学校生の姜慶大殴打致死事件を契機に起こった一連の焼身自殺事件に対して、その抗議姿勢を批判して1991年5月5日付の『朝鮮日報』コラムに「死(焼身自殺)による礼讃を止めよ!(죽음의 굿판을 당장 걷어 치워라!)」とのアピールを出している[1]。自身の政治的立場は「中道進歩」としており、1998年〜2008年の10年間続いた進歩政権、特に盧武鉉政権については厳しい批判をしている[2]。2007年の大統領選挙ではソウル大学時代の先輩で親交が深い孫鶴圭支持を表明[3]2012年大韓民国大統領選挙では、自身が弾圧を受けたときの大統領である朴正煕の長女で与党・セヌリ党の大統領候補となった朴槿恵支持を表明した[4]

2013年1月4日、再審で民青学連事件の嫌疑について「犯罪の事実なし」として無罪判決が下った[5]

なお、漢字復活論者でもある。妻の母は作家の故・朴景利

訳書

映画

  • 大浦信行『9.11-8.15-日本心中-』シネマチック・ネオ配給、2004年

脚注

  1. ^ 「焚身自殺 분신자살」関連のことば「死の儀式をやめなさい」、李鍾珏『はやり言葉でわかる韓国いまどき世相史』(亜紀書房)167-168頁
  2. ^ 47NEWS地球人間模様「戦い続ける詩人、金芝河」47NEWS(2009年3月4日)2012年12月9日閲覧。
  3. ^ “김지하 “‘손아무개한테 가봐라’ 말하는 정도로 돕겠다””. ハンギョレ(本国版). (2007年3月22日). http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/198071.html 2012年12月9日閲覧。 
  4. ^ “韓国大統領選 「恩讐を越えて」あの金芝河氏が朴槿恵候補を支持”. MSN産経ニュース. (2012年12月1日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/121201/kor12120120220006-n1.htm 2012年12月9日閲覧。 
  5. ^ “김지하, 39년 만에 무죄(金芝河、39年ぶりに無罪)”. 京郷新聞. (2013年1月4日). http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201301042103035&code=940301 2013年1月5日閲覧。