金子親範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kuma83 (会話 | 投稿記録) による 2020年5月9日 (土) 13:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
金子親範
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不詳
死没 承久2年5月25日1220年6月27日
別名 余一、近範
幕府 鎌倉幕府御家人
主君 源義朝平清盛源頼朝頼家実朝
氏族 桓武平氏村山党金子氏
父母 父:金子家範
兄弟 親範家忠
親吉
テンプレートを表示

金子 親範(かねこ ちかのり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将金子家範の子。通称・余一。近範とも表記される。

経歴

初め、畠山重忠河越重頼江戸重長とともに衣笠城三浦義明を攻め滅ぼした(衣笠城合戦)が、後に源頼朝に降った。屋島の戦いでは、平盛嗣の胸板を弓で打ち抜いた故事で知られている。

武蔵国入間郡を拠点とし、現在の埼玉県入間市仏子に居館があったと伝えられている。

参考文献