醍醐直幸

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獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア競技大会
2006 ドーハ 走高跳
アジア選手権
2005 仁川 走高跳
2003 マニラ 走高跳

醍醐 直幸(だいご なおゆき、1981年1月18日 - )は、日本の元陸上競技選手。男子走高跳元日本記録保持者(2m33)。身長182cm、体重67kg。東京都町田市出身[1]教諭

略歴[編集]

町田市立真光寺中学校出身。東京都立野津田高等学校在学中に、フランスアヌシーで開催された世界ジュニア陸上競技選手権大会で7位入賞という快挙を成し遂げ、将来を嘱望された。推薦入試に合格し、東海大学体育学部に進学。入学早々の1999年、日本インカレを制するなどの活躍を見せた。しかし、大学2年次にヒザを故障。満足な成績を残せず、就職活動に失敗。フリーターとなる。東京陸上競技協会所属で大会に出場し、2004年の埼玉国民体育大会で優勝。フリーターの星として話題となった。その後、自動車販売を手がける地元の義煎自動車商事株式会社にスポンサーになってもらい、競技活動を継続。2005年、大阪府選手権で2m27をクリアしヘルシンキ世界選手権に出場。優れた競技成績が認められ、日本陸上競技連盟がこの年に開始した制度であるスポーツ支援制度の適用による活動費支援を受けることに成功した[2]2006年、活躍が認められ富士通に入社。その後、当時神奈川県立横須賀高等学校の陸上競技部の監督を務めていた福間博樹コーチの指導を受け、日本選手権で2m33の日本新記録(シーズン世界最高タイ・当時[3])を樹立した。2006年アジア大会では銅メダルを獲得。横浜インドアオープンでは2m28の室内日本新記録を樹立した。

2010年冬に左足首を故障した後は目立った活躍がなく、2013年3月に所属していた富士通を退社[4]。4月から東京高校非常勤講師に就くとともに、ニューモードに所属して競技を継続した。10月6日、東京・味の素スタジアムで行われた第68回国民体育大会に出場したが、2m03で16位に終わった。競技終了後に「この国体を(最終)目標にしていた。ここで区切りをつけたい。結果を求めて試合に出場することはもうない」と話し現役引退を表明した。2014年4月からは東京高校専任教諭となっている。

日本選手権はこれまでに2003年、2005-2007年、2009年の5度優勝を飾っている。

年次ベスト[編集]

主な戦績[編集]

国内での成績[編集]

  • 2002年 第86回日本陸上競技選手権大会 5位 2m15
  • 2003年 第87回日本陸上競技選手権大会 優勝 2m18
  • 2004年 第88回日本陸上競技選手権大会 8位 2m10
  • 2005年 第89回日本陸上競技選手権大会 優勝 2m18
  • 2006年 第90回日本陸上競技選手権大会 優勝 2m33(日本新記録)
  • 2006年 横浜インドアオープン競技会 優勝 2m28(室内日本新記録)
  • 2007年 第91回日本陸上競技選手権大会 優勝 2m21
  • 2008年 第92回日本陸上競技選手権大会 2位 2m15
  • 2009年 第93回日本陸上競技選手権大会 優勝 2m24
  • 2010年 第94回日本陸上競技選手権大会 3位 2m18
  • 2011年 第95回日本陸上競技選手権大会 10位 2m10
  • 2012年 第96回日本陸上競技選手権大会 記録なし
  • 2013年 第97回日本陸上競技選手権大会 20位 2m05
  • 2013年 第68回国民体育大会 16位 2m03

国際大会での主な成績[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ スポーツ祭東京2013 町田市民アスリートの活躍町田市
  2. ^ 「世界陸上大阪・トラックの風景 (5) 年240万円支援、選手救う」 読売新聞 2007年8月19日東京朝刊、スポーツD面、23ページ
  3. ^ 堀川貴弘 「時給九百円から跳躍 走り高跳び日本新記録の醍醐選手」 週刊アエラ 2006年7月17日号、32ページ
  4. ^ 陸上競技部 平成25年度新加入選手のお知らせ 富士通陸上競技部 (2013-04-01). 2015年8月27日閲覧

外部リンク[編集]