逆恨み

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逆恨み(さかうらみ)とは、元来以下のような意味である。

  1. 本来恨まれるべきものが、逆に相手を恨むこと(加害者が被害者を恨むなど)
  2. 他者から受けた親切など好意に基づく行為を悪意に基づくものと考え恨むこと

ただ、近年においてはいわれのない恨みを無関係な第三者に向けることや、それによって引き起こされた犯罪を指して「逆恨み的犯行」と表現することもある。

なお本来の意味からいえば、無関係なものを恨むことを指すのは誤用ではあるが、こういった恨みの形態は防衛機制のうち「投影(投射)」の一種で、社会的にもネガティブ(否定的)な感情と解される。本項ではそういった「逆恨み的」な感情も合わせて説明する。

逆恨みによって暴力脅迫を働く行為を「お礼参り」ともいうが、こちらは隠語である。

概要

逆恨みは、この恨みを発する主体から見れば、自身に非(行いの悪いこと、犯罪の原因など)があるにもかかわらず、それらを棚に上げ「他に問題があるから発生する正当な怒りだ」と位置付けることや、そういう価値観・感情に基く行動のことである。特に対象とされた側が善意でその者に働き掛けをしている場合や、逆恨みを受ける側に非がなかったり、あるいはそれだけの恨みを被るほどではないにもかかわらず攻撃されることでもあるため、そもそもそういった恨み自体が社会一般においては不当で理不尽なものとして扱われる。

しばしば子供など社会性の未発達な者の社会において正義は主観的なものであり、「勝てば官軍」という図式になる。このような状況では勝負喧嘩の勝ち負けこそが重視され、結果的にことの可否は顧みられないが、それでは社会秩序は成立しない。この危険性にもより、多くの社会では道徳人道ないし法律刑法)など、客観的で普遍的な価値判断基準により公正な正義の行使が行われている。

類型

逆恨み的な感情では、前述の通り恨みを被る側が全く無関係な第三者である場合もみられる。例えば通り魔スプリー・キラー)では、犯人側の恨みは社会全般や特定の集団などに向けられており、結果として社会の構成要因の一部である、往来を歩いていた人や学校という施設に集まった無関係な子供らなどに向けられる。これらは被害者にしてみれば理不尽極まりない扱いであるが、当人の主観(→客体)では「社会に対する復讐」である。

多くの場合においては、逆恨みは特定の個人に向けられる。例えば「A」が「B」の行為を注意した場合、注意された「B」がなぜ注意されたのか、その理由を認識できなければ不当な迫害と感じたり、場合によっては差別など他の理由付けに伴う批判だと感じることもある。こういった「A」「B」双方の主観的な判断の食い違いによって、逆恨みの関係が成立する。もちろん注意した「A」の側がそういった批判を発した理由の中にステレオタイプや過去の他の原因によるものなど、実際には批判する行為・対象とは直接関係しないものが含まれる場合もあるかもしれないが、大筋において「A」の批判が正しいのであれば、それは逆恨みの範疇に含まれる。

逆恨みによる行動の例

苦情に対して、報復する
  • 隣人から迷惑行為を止めるように苦情を言われたことを恨みに思い、隣人への嫌がらせを始める。
  • 店内でやかましく騒いだことを店員から注意されると逆上し、店員に暴力や暴言を行う。
  • 企業や組織の不正が内部告発で暴かれたのを機に、内部告発者を特定し、懲戒解雇する。
善意を曲解する
  • 親切な隣人が家の前を掃除してくれたことに対して、プライバシーの侵害を疑い、影で隣人の悪口を言う。
真の加害者を間違えて、無実の人に報復する
  • 誹謗中傷に悩む者が、中傷の出所と疑われる人物に詰め寄り喧嘩になったが、実は真犯人は別にいた。
自身の非を認めようとしない(自ら負うべき責任を免れる)
  • 密陽女子中学生集団性暴行事件のように、加害者自身が罪の意識を持たないどころか、親も逆恨みに加担して被害者の元へつきまとい、連日に渡って様々な嫌がらせや脅迫を行う。結局、被害者がこれに屈することになり、加害者らは一切の罪に問われることなく、前科が付かなくなったことで大手を振って生活している。
  • 従業員の過労、公害病などにより、遺族や地域住民から損害賠償を請求する訴訟を受け、賠償を命ぜられるが、これを不服と受け止め、即座に控訴する(最高裁の判決が確定するまで争い続ける)。

逆恨みに関連する事件

関連項目