近鉄12400系電車
近鉄12400系電車 近鉄12410系電車 近鉄12600系電車 共通事項 | |
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基本情報 | |
製造所 | 近畿車輛 |
主要諸元 | |
編成 | 4両編成 |
軌間 | 1,435 |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 120 |
設計最高速度 | 160 |
起動加速度 | 2.5 |
減速度(常用) | 4.0 |
減速度(非常) | 4.5 |
編成定員 | 264人 (新造時) |
車体幅 | 2,800 |
全高 | 4,150 |
主電動機 | 三菱電機 MB-3127-A |
主電動機出力 | 180kW |
駆動方式 | WNドライブ |
歯車比 | 3.81 |
編成出力 | 1,440kW |
制御装置 | 抵抗制御 |
制動装置 |
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ HSC-D 抑速ブレーキ |
保安装置 | 近鉄型ATS |
備考 | 電算記号:NN |
近鉄12400系電車(きんてつ12400けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道の特急形車両。
本項では、この系列の派生系列である12410系電車(12410けいでんしゃ)および12600系電車(12600けいでんしゃ)についても記す。
3系列とも電算記号はNNである。12400系はNN01 - NN03、12410系はNN11 - NN15、12600系はNN51 - NN52となる[1]。
解説の便宜上、本項では大阪上本町駅・大阪難波駅側の先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ12401以下4両編成=12401F)。
12400系
近鉄12400系電車 | |
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主要諸元 | |
編成定員 | 264名[2] |
車体長 | ク12500形のみ20,800mm 他3両は20,500[2] |
車体高 | ク12500形は3,915mm サ12550形は3,805mm 他2両は4,150[2] |
台車 | 近畿車輛 KD-71F・KD-71G[2] |
制御装置 | 三菱電機 ABFM-254-15-MDHA |
備考 |
概要
10100系「新ビスタカー」(全18編成)が老朽化のために順次廃車されることが決定し、3両編成×4編成が1977年に廃車されたが、同年に廃車分の代替を目的として登場した4両編成の汎用特急車が12400系である[3]。当初は12200系12257F - 12259Fとして製作される予定だったが、途中から次期新型特急車両(30000系)の構想が割り込んだため、正面塗り分けや、屋上、インテリアなど随所で設計変更を実施した。このため、監督官庁より変更点が多過ぎるので形式称号の変更を行うように指導があり別形式となった経緯がある[4]。
竣功日は1977年12月21日で、12200系として届出されたが、翌22日付で形式称号変更届が提出されて12400系となった。このため、書類上12200系と名乗っていたのは1日だけであった[5]。
一般的には12400系で確立されたデザインが30000系に受け継がれた、という解釈が流布されているが、厳密には30000系の構想が先にあって12200系の増備車に構想内容が反映された、という解釈が正しい[注釈 1]。このため30000系においては、両先頭車は12400系で先行して開発されたデザインをほぼ踏襲し、設計の重点はもっぱら中間2階建車両に置かれることになった[6]。
増備は後述の12410系に移行され、3編成12両の小世帯にとどまった[5][7]。
車体構造
12200系を基本としながらも細部で形状変更された[3]。前頭部は種別標識灯と一体になった行先表示器を分離、貫通扉中央に移設し、自動幕式としたうえで特急マークも行先表示器と一体のデザインとなった。種別標識灯は横長の角型となったが[5]、灯数は12200系と同一で、尾灯1灯、標識灯2灯の合わせて3灯式である。この形状の灯具は、その後の通勤車や12200系更新車にも採用された。窓上の形状はやや平坦化し、それに合わせて前照灯形状も変更された。貫通扉上には、扉と同一面の張り出しが設けられた。貫通扉は12200系と同様で、幌隠しカバーを装備した観音開き式である。塗り分けは12200系と大きく異なり、紺塗装の割合が減少し、行先表示器の上下に収まる横長の帯が入る見付となった[3]。
側面では、乗務員室扉の窓サイズが紺塗装に合わせて上下に短くなったほか、モ12550形の男性用トイレのすりガラス窓は小型サイズとなった[5]。
当系列は当初から4両編成として計画されたため[7]、12200系と異なって乗降扉の適正な配置を行なった。具体的にはサ12120形では伊勢寄りに設置されていた扉がサ12550形では省略されて定員が4名増加している[3]。
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ク12500形(12502)
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モ12450形(12452)
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サ12550形(12552)
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モ12400形(12402)
主要機器
12400系はあくまでも12200系の増備車であるため、信頼性のある床下機器関係では小修正にとどめられた[3]。性能面では12200系に引き続き、三菱電機製の出力180kWの主電動機が採用され、33‰上り勾配においても均衡速度100km/hを確保している。
台車はMc車、M車(電動車)は近畿車輛製KD-71Fを、Tc車、T車(付随車)は近畿車輛製KD-71Gを採用した。改良内容は空気ばねのパンク時の警報装置が新開発の検知装置になったことである[9]。
電動発電機と空気圧縮機は12200系と同様の機種が2両に1台ずつ(付随車)に搭載される。C-1000形電動空気圧縮機の採用は特急車としては当該系列をもって最後となり、30000系以後はC-2000形に変更された[10]。
両先頭車の正面床下には当初、ジャンパ線受が装備されていたが、用途がなかったためにのちに撤去されている[11]。
屋上機器関係では、東芝製の4,500kcal/hの冷房装置を1両につき6台取り付け、その他にロスナイ(換気装置)[注釈 2]を各車2台ずつ設置して、これを連続した一体のクーラーキセに収めた(従来は分散型のクーラーキセ)[5]。
集電装置は、12200系と同一の東洋電機製造PT-4203F[5]菱形パンタグラフをMc、M車に各車2台ずつ搭載するが、近鉄特急の新製車として菱形パンタグラフを採用するのは当該系列が最後となった[12]
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12200系床下機器との比較
ほぼ同一機器構成 -
菱枠パンタグラフの採用は特急車として当該系列が最後となった
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KD-71F(写真上 電動車用)
KD-71G(写真下 付随車用) -
近鉄特急車として最後の採用例となったC-1000形電動空気圧縮機(右側)
接客設備
客室は全体を太陽のように明るいイメージとなるように、白とオレンジ系の色調として、これをサニートーン(sunny:日当たり良好/陽気の意味)と称した。そのため、「サニーカー」の愛称がついたという[13]。
本系列では、近鉄特急車として初めてトイレ・洗面室を併設しない出入台にもデッキを設けた[7]。このため客室と出入台はすべて仕切り扉で分離され居住性が向上した[14]。
座席は12200系と同様の偏心回転式簡易リクライニングシートを採用し、モケットはマロンレッド(オレンジ系の色調)のリーズド・ストライプとした。ほか、灰皿の大型化も図られた[15]。シートピッチは12200系と同一の980mmである[16]。
化粧板は12000系以降の木目調から、明るいパールカラーのあじろ模様(網目模様)となり、カーテンはオレンジ系のロイヤルライン[注釈 3][15]、床材はそれまでのタイル張りの市松模様を改め、ディープブラウンをベースとして摩耗の多い通路中央部にはベージュのストライプを3本入れて、通路部分のみの張り替えを容易にした(のちに内装の色は在来車にも波及)[15]。荷棚は、12200系までの網式からアルミ押出し材式に変更となり、表面に化粧板と同じ色のプラスチックシートを貼って客室全体の色調を統一した[3]。
冷房装置の吹き出し口の形状は連続スリット式に変更され、それに伴って照明カバーの形状はそれまでの逆三角形式を改め、吹き出し口パネルの断面に沿うフラットな形状に変わった。車内放送用スピーカーはスリット内にビルトインされている。また、このパネル表面には冷暖房の運転モードを切り替える押しボタンが内蔵されている。
デッキと客室の仕切りには「奈良大和路」(長谷寺のぼたん、奈良興福寺の五重塔、奈良の鹿、吉野の桜)・「伊勢志摩」(伊勢神宮内宮正殿、大王埼灯台、はまゆう)のイラストがプリントされている[3]。デッキとの仕切りドアは、ブロンズカラーの全面強化ガラスとなり、こげ茶色の横縞模様を入れた[3][注釈 4]。
トイレは12200系では和式と洋式の組み合わせであったが、当時は利用の少なかった洋式をやめて、和式と男性用小便器の組み合わせに変更した[15]。洗面所はデッキに設けられ、そのデザインは12200系と同一とされた。また、デッキには引き出し式のビニールクロス張りの補助座席(2人掛)を設置した[3]。車内販売準備室はモ12450形に設けられ、当系列より給湯装置が設けられた[3]。また、デッキ乗降扉付近の床は、折戸可動範囲の床色を変えて注意を促している[17]。
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あじろ模様の内装(15200系)
本系列登場時の内装も概ね同様 -
ロイヤルラインのカーテン
(大井川鉄道16000系) -
乗降扉可動範囲の床色分けは12400系から[17](12200系更新車)
編成
MT比2M2Tの4両編成で[7]、大阪側からモ12400形 (Mc) - サ12550形 (T) - モ12450形 (M) - ク12500形 (Tc) で組成される。
大阪・京都発着編成 名古屋発着編成 |
← 近鉄難波・賢島・鳥羽 近鉄名古屋 →
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形式 | モ12400形 (Mc) | サ12550形 (T) | モ12450形 (M) | ク12500形 (Tc) | ||||
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車両写真 | ||||||||
搭載機器 | ◇,CON,◇ | MG, CP | ◇,CON,◇ | MG,CP | ||||
自重 | 41.0t | 35.0t | 41.0t | 36.5t | ||||
定員 | 68 | 68 | 68 | 60 | ||||
車内設備 | 洗面室・トイレ | 車内販売準備室 | 洗面室・トイレ |
- 形式欄のMはMotorの略で主電動機搭載車(動力車)、TはTrailerの略で主電動機を搭載しない車(付随車)、McやTcのcはcontrollerの略で運転台装備車(制御車)。
- 搭載機器欄のCONは制御装置、MGは補助電源装置、CPは電動空気圧縮機、◇はパンタグラフ。
- 編成定員は264名。
改造・車体更新
1988年から120km/h運転対応工事が施工された[18][7]。
1997年から1998年にかけて車体更新工事が施工された[19][7]。内容は室内化粧板をグレートーンに変更、座席モケットを1991年以降の12200系車体更新車と同様の色の模様が入ったピンク系に変更、客室照明グローブの取り替え、客室仕切部にLED式号車番号・禁煙表示器の設置、車外・客室扉付近の号車番号表示のLED化、和式トイレの洋式化(処理方式を真空式に変更)、トイレ・車販準備室のすりガラス窓を埋める等の内容である。1999年には12401Fのパンタグラフを下枠交差形に交換している。しかし、12200系の更新で採用された間接照明は設けられなかった。
2009年7月から2010年5月にかけて全編成のB更新工事が施工され、連結面転落防止幌の設置、乗降口の雨樋取り付けと床面交換が施工された[7][20]。B更新と前後して全編成に行先表示器のLED化と新型ATS設置、デッドマン装置更新工事も施工された[7]。座席はモケットの新品交換のみで更新後も12200系のB更新(2006年以降のB更新)で採用されたバケットシートには交換されず、従来の偏心回転式簡易型リクライニングシートのままである。モ12450形の車内販売準備室は存置された。
2015年7月に12401Fク12501形が喫煙室設置工事を施工している[21]。喫煙室設置により、側面のLED行先表示器が車体中央寄りに移設され、喫煙室の反対側の部分は窓が埋められている[21]。
近鉄では、22000系の車体更新を皮切りに、2016年春以降に保有する全ての汎用特急車両の塗装変更を発表しているため[22]、本形式でも塗装変更の対象とされている[22]。
車体更新 | B更新 | 行先表示器 | 喫煙室設置 | |
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12401F(NN01) |
1997年11月[23] | 2009年7月 | LED | 2015年7月[21] |
12402F(NN02) |
1998年3月[23] | 2010年5月[20] | LED | 2016年2月 |
12403F(NN03) |
1998年7月[23] | 2009年12月 | LED | 未設置 |
-
モケットが交換された他は従来通りの座席(リクライニングボタンは白のまま)
-
ドアは従来品の流用と細長窓の2タイプが存在する
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洗面台とデッキ
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トイレは真空式
お召し列車
1979年から4度、昭和天皇が利用された際には本系列が選定され、サ12551形の車内を改装して御座所を設置、お召し列車に仕立てた[24]。当系列の最初のお召し列車は1979年12月3日と5日の京都駅 - 近鉄奈良駅間の往復運転であった。この時は、近鉄としては4年ぶりの運行[注釈 5]であったため、御座所のソファが新調された[注釈 6]。先頭車の行先表示は、従来は「臨時」を表示したが、当系列より白幕となった。平成以降のお召し列車には特別車両が連結されている21000系、23000系、21020系、50000系などが使用されている。
← 京都 橿原神宮前・近鉄奈良・近鉄名古屋 →
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号車 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |||||
形式 | モ12402 モ12401 |
サ12552 サ12552 |
- | モ12451 モ12452 |
サ12551 | - | モ12452 モ12451 |
ク12502 ク12501 |
- 編成表上段が1979年12月、1981年5月、下段が1980年5月の充当形式
- 12401Fからモ12451とサ12551を抜き、抜いた2両の前後を入れ替えてから12402Fのモ12452とサ12552の間に組込む方法がとられた(1979年12月と1981年5月の場合)[注釈 7]。
- 主に6両編成で使用されるが、第31回全国植樹祭開催時(1980年5月)に湯の山線に入線した際はホーム有効長の関係で12401F4両編成が使用された。4両編成での運転区間は榊原温泉口駅 - 湯の山温泉駅間と、湯の山温泉駅 - 近鉄名古屋駅間であった。
- 1981年5月の運転時は、橿原神宮前駅1番のりばに到着し、同一ホーム[注釈 8]にて吉野特急16010系+16000系(16008F)4連のお召し列車に乗り換えとされた。
← 京都 橿原神宮前・近鉄奈良 →
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号車 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |||||
形式 | モ12402 | ク12502 | - | モ12401 | サ12551 | モ12451 | ク12501 |
- 号車番号は通常の付番方法とは異なり、近鉄奈良駅・橿原神宮前駅方面が1号車とされた。名古屋方面は通常営業通り近鉄名古屋駅側を1号車とした。
配置検車区
当初は高安検車区に配置されたが、2015年4月現在は明星検車区に配置されている[25]。また、1988年に21000系が営業運転を開始する前は、後述する12410系同様に当時利用客が増加していた名阪甲特急(ノンストップ)にも運用されていた。
12410系
近鉄12410系電車 | |
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主要諸元 | |
編成定員 | 264名[2] |
車体長 | モ12410形のみ20,800mm 他3両は20,500[2] |
車体高 | ク12510形は3,920mm サ12560形は3,810mm 他2両は4,150[2] |
台車 | 近畿車輛 KD-83・KD-83B[2] |
制御装置 | 三菱電機 ABFM-254-15-MDHB |
概要
1980年に登場。前述の12400系を3両編成仕様に変更し、名阪甲特急(ノンストップ)用として製作された[7]。東海道新幹線に利用客が流出し、12200系2両編成での運行が恒常化していた名阪ノンストップ系統も、日本国有鉄道(国鉄)の運賃・料金値上げの影響などでこの時期には利用者が増え、3両編成分の乗車定員が必要になってきたからである[26]。また、将来の4両編成化も考慮して設計された[26]。
車体
前面は特急表示兼行き先表示器の形状、標識灯・尾灯を30000系と同一品に変更した[7]。
機器
主電動機は三菱電機製MB-3127-A、出力180kW×4個を採用。台車はMc車、M車は近畿車輛製KD-83を、Tc車は近畿車輛製KD-83Bを採用。電動発電機と空気圧縮機は12400系の仕様を踏襲せず、30000系と同一品(日立製作所 HG-634-Erbと三菱電機 C-2000形)を採用した。12400系は12200系のシステムを踏襲したため、1基につき2両分を賄うが、当該系列は 30000系と同じく1基で4両分を賄う。両機ともク12510形に一括搭載した[27]。
なお、1981年に増備された第5編成 (12415F) は4両編成で落成し、Mc、M車にはパンタグラフがそれぞれ2基搭載された[7]。補機類の搭載がないサ12560形は重心の上昇が懸念されたため、本来、屋根上に6基のユニットクーラーを取り付けるところを、当該車両は2基のみ(ロスナイも搭載)とし、他は30000系中間車と同一品のユニットクーラーを床下に取り付けた[27]。このため、床下全体をダクトが覆い、特異な外観となった[26]。また、台車をKD-83Bに変更した[26]。
集電装置はPT-4811-A-M下枠交差型パンタグラフに変更されている[26][7]。パンタグラフは電動車同士で隣り合うため、Mc、M車の伊勢寄り(大阪発着基準)に各1基搭載とした[27]。なお、将来T車を加えた4両編成にする計画があったため、それぞれもう1基増設できるようにしていた。
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ク12510形(12515)
4両分を賄えるCP、MGを搭載 -
モ12460形(12465)
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サ12560形(12565)
床下のダクトが目立つ -
モ12410形(12415)
接客設備
客室は、大筋では12400系のデザインを踏襲しているが、妻部壁面の「伊勢志摩」「奈良大和路」のイラストを省略した代わりに車内広告枠が設けられた。また、妻壁は艶のないレザー調の化粧板となった[28][注釈 9]。
サ12560形はユニットクーラーを床下に搭載した関係上、冷風をダクトを介して天井に送る必要から、窓柱に風道を通した。このため全ての窓柱が他車と比べて厚くなっている。また、この付近の側壁にリターン風道整風板が設けられた[28]。
トイレ・洗面室はMc、M車に、車販基地はM車に設置された。トイレは和式のみとして男子小用は省略された[28]。洗面台はトイレの向かいに設けられ、この点、12400系と異なり独立性の強い空間となった[28]。
編成
現行の編成は12400系と同様にMT比2M2Tの4両編成で、大阪側からモ12410形 (Mc) - サ12560形 (T) - モ12460形 (M) - ク12510形 (Tc) で組成される。
- 12411F - 12414Fは当初はサ12560形を連結していなっかたため、3両編成であった。
- 編成定員は264名(12400系と同一)。
改造・車体更新
第5編成にあわせて、1983年7月にはT車サ12560形が4両製造され、第1 - 第4編成に組み込まれ、全編成が4両化された[29][7]。
4両化時、12411F - 12414Fはパンタグラフを増設する予定であったが、M - T - M間に母線を引き通した。そのため、パンタグラフ増設は行わず、1編成2基のままとした[29]。また12415Fも製造時より母線は設置されていたが使用されていなかった。12411F - 12414Fの4両化と同時に母線を有効とし、Mc、M車のパンタグラフを1基ずつ取り外し、12411F - 12414Fと外見上の差をなくしている[29]。なお、12411F - 12414FではT車挿入の翌年(1984年1月)、集電装置間隔の問題からモ12460形の伊勢寄りのパンタグラフを大阪寄りに移設して、モ12410形のパンタグラフとの間隔を縮小した[29]。
12400系と同様に1988年から120km/h運転対応工事が施工された[29][7]。2000年から12400系と同内容の車体更新工事が始まり、2002年に完了している[30]。2002年に更新された12415Fの前面行先表示器は白地幕から22000系と同一の赤地幕に変更され、側面行先表示器の字幕は「○○ゆき」から「○○」表示のものに交換された[27]。ただし、12400系と同様に間接照明は設置されていない。
その後、12415F以外の4編成は行き先表示器を白地幕からLED式とし[7]、2008年からは転落防止幌の設置と新型ATS設置 (ATS-SP)・デッドマン装置更新工事を開始し[7]、全編成完了している[7]。
2015年からは高安検修センターにて本形式の2回目の車体更新工事 (B更新) が開始され、同年10月現在で12411Fと12412Fが更新を完了している[31]。更新により、内外装材の張り替え、ク12510形への喫煙室設置とそれに伴う号車表示器や側面方向幕の移設[31]、全台車のボルスタアンカー部分へのヨーダンパ取付が行われている[31]。座席数はB更新前より12名減少の252名。
近鉄では、22000系の車体更新を皮切りに、2016年春以降に保有する全ての汎用特急車両の塗装変更を発表しているため[22]、本形式でも塗装変更の対象とされている[22]。
車体更新 | B更新 | 行先表示器 | 喫煙室設置 | |
---|---|---|---|---|
12411F(NN11) |
2000年10月[23] | 2015年9月[31] | LED | 2015年9月[31] |
12412F(NN12) |
2000年11月[23] | 2015年10月[31] | LED | 2015年10月[31] |
12413F(NN13) |
2001年10月[23] | 未施工 | LED | 未設置 |
12414F(NN14) |
2001年12月[23] | 未施工 | LED | 未設置 |
12415F(NN15) |
2002年8月[23] | 未施工 | 赤幕 | 未設置 |
-
A更新後しばらくは白の字幕であった
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簡易リクライニングシート
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デッキ
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シャッターが閉じられた車販準備室
コンパクトな化粧室
配置検車区
1980年7月9日に竣工し[29]、同月より名阪特急にて運用開始された[26]。
かつては高安検車区に配置され、2014年まで全車が東花園検車区に配置されていたが[32]、2015年4月現在は2か所に分割して配置されており、12411F - 12414Fは東花園検車区に[25]、12415Fは富吉検車区に配置されている[25] (2014年9月に東花園検車区から転属[33]) 。登場時は主に名阪ノンストップ特急に使用されていたが、1988年に21000系による名阪ノンストップ特急の運用が開始されたことに伴って、現在の運行形態になっている[7]。
12600系
近鉄12600系電車 | |
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主要諸元 | |
編成定員 | 264名[2] |
車体長 | ク12600形のみ20,800mm 他3両は20,500[2] |
車体高 | ク12700形は3,920mm サ12750形は3,810mm 他2両は4,150[2] |
台車 | 近畿車輛 KD-83・KD-83B[2] |
制御装置 | 三菱電機 ABFM-254-15-MDHB |
概要
1982年に登場した12410系の改良型である[7]。京都・橿原線の吊り掛け駆動式特急車18000系の廃車代替として登場[34][7]した。
12410系と異なり、最初から4両編成として製作されたため新形式となった。製造は2編成8両にとどまり[7]、以後の車両デザインは21000系「アーバンライナー」をベースとしたため、12600系は車両デザインにおいて、10100系や12000系を基本とする最後の特急車となった[35]。また、その後の汎用特急車は22000系にモデルチェンジされた[7][注釈 10]。
主要機器
主電動機は12400系・12410系と共通の三菱電機MB-3127-Aを採用、台車は12410系に引き続き、Mc車、M車は近畿車輛製KD-83を、Tc車、T車は近畿車輛製KD-83Bを採用している。補機類は、電動発電機がク12700形、空気圧縮機がサ12750形にそれぞれ4両分がまかなえる容量のものが1台ずつ搭載されている[36]。
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KD-83形台車(電動車用)
-
KD-83B形台車(付随車用)
12410系からの変更箇所
12410系からの変更点は、トイレがMc車からT車(サ12750形)の大阪側設置に変更されたことで[7]、これに伴って、和式1室から和式1室、洋式1室ずつの12200系と同じ部屋数に戻された[37]。また、M車(モ12650形)トイレは変わりなく和式のみである[38]。洗面台はサ12750形は半個室タイプから12400系と同じく乗降扉付近に戻され、併せて洗面所のデザインを一新し、ベージュ地に斜めストライプの入った化粧板を曲げ加工のうえ採用し、柔らかな造形となった[39]。
トイレ配置変更に伴い定員も変更された[7]。Mc車はトイレが無くなったことで4名増加の68名、T車は逆にトイレ新設によって4名減の68名、ほか2両は変化はない。なお、編成全体の定員数は12400系、12410系、12600系とも264名である[2]。
編成全体の重量バランスを考慮し、12410系ではク12510形に一括搭載されていた補機類を、当該系列ではT車に分散した(C-2000M形電動空気圧縮機等)[36]。また、Mc車、M車の電制用主抵抗器もT、Tc車に移した[36]。また、12410系ではT車の重心上昇の懸念からユニットクーラーを床下設置としていたものを、屋上設置に変えた[36]。
そのほか、乗務員室の環境改善のために奥行きが拡大され、それに伴い乗務員扉の位置が12410系と比較して60mm客室側に移動した[36]。この拡大変更は30000系の最終増備車30215Fにも適用されている。
編成
MT比2M2Tの4両編成で、大阪側からモ12600形 (Mc) - サ12750形 (T) - モ12650形 (M) - ク12700形(Tc) で組成される。
大阪・京都発着編成 名古屋発着編成 |
← 大阪難波・賢島・鳥羽 近鉄名古屋 →
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形式 | モ12600形 (Mc) | サ12750形 (T) | モ12650形 (M) | ク12700形 (Tc) | ||||
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搭載機器 | CON,◇ | CP | ◇,CON | MG | ||||
自重 | 41.0t | 36.0t | 41.0t | 36.0t | ||||
定員 | 68 | 68 | 64 | 64 | ||||
車内設備 | 洗面室・トイレ | 洗面室・トイレ 車内販売準備室 |
- 編成定員は264名(12400系・12410系と同一)。
-
モ12600形
-
サ12750形
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モ12650形
-
ク12700形
増備車
1986年に12602Fが増備されたが[7]、12601Fの製造から3年半を経過していることから部分的な改良が実施された。まずパンタグラフが4基搭載からMc車、M車に各1基ずつ、編成全体で2基の搭載に変更された[7]。また30000系の最終増備車30215Fと同様に、トイレ・洗面所部分の窓が省略された[7]。車内についても改良が実施され、座席のリクライニング機構が30215Fと同様に2段階式からフリーストップ式に改められたほか[7]、客室仕切自動ドアの開閉機能を従来のマットスイッチ方式から光電スイッチ方式に改めている[40]。また床の清掃性向上と腐食防止のために床敷物をコーナーでRに巻き上げている。
-
床敷物のコーナーはRとなった
-
光電スイッチが近鉄特急車としてはじめて設けられた。
(写真は15200系)
改造・車体更新
12400系、12410系同様、1988年に最高速度120km/hに引き上げられている[7]。
2002年に12400系・12410系と同内容の車体更新工事が行われた[7]。側面の行先表示器字幕は「○○ゆき」表記から「○○」表記とされ、正面行先表示器字幕は白地から22000系に準じた赤地に変更された[7]。客室照明は12400系・12410系と同様に間接照明は設置されていない。トイレについてはモ12650形の和式を洋式化、サ12750形の洋式は便器交換、和式は男性用小便器にそれぞれ変更された(洋式トイレの処理方式はいずれも真空式に変更)。なお、Mc車とM車にパンタグラフ(PT-48形)を各2基搭載していた12601Fは、車体更新の際にMc-T-M間に母線を引き通すことにより各1基とする改造を受けており、トイレ・洗面所部分の窓を撤去している[7]。
また、2009年から2011年にかけては新型ATS (ATS-SP) 設置・デッドマン装置更新工事、特急車用スクリーンタイプの転落防止幌設置の各工事が実施されている[7]。
近鉄では、22000系の車体更新を皮切りに、2016年春以降に保有する全ての汎用特急車両の塗装変更を発表しているため[22]、本形式でも塗装変更の対象とされている[22]。
車体更新 | B更新 | 行先表示器 | 喫煙室設置 | |
---|---|---|---|---|
12601F(NN51) |
2002年11月[23] | 未施工 | 赤幕 | 未設置 |
12602F(NN52) |
2002年12月[23] | 未施工 | 赤幕 | 未設置 |
配置検車区
18000系の置き換え目的で投入されたため、当初は西大寺検車区に配置され、京奈・京橿特急など京都線主体に運用されたが[7]、1990年3月以降は富吉検車区に配置され[41]、2015年4月現在も富吉検車区に配置されている[25]。
現在の運用
- 共通事項
登場時から12000系・12200系や18400系、30000系ビスタカーと併結した6・8両編成で運用されているが、1994年以降は22000系との併結、2009年4月以降は新車投入された22600系との併結も多く運転されている。
- 明星検車区
- 12400系12401F - 12403F
- 阪伊乙特急や阪奈・京奈特急を中心に運用されている[7]。特に限定した運用は組まれておらず、同区配置の12200系4両編成や東花園検車区所属の12410系と共通で運用される[7]。
- 阪伊乙特急を中心に2編成連結の8両編成や、さらに2両連結した10両編成の運用も存在する。
- 富吉検車区
- 12410系12415F
- 12600系12601F・12602F
- 名古屋線を中心に、名伊・名阪乙特急で運用されている。こちらも特に限定運用は組まれていないため、同区配置の12200系4両編成と共通運用である[7]。3編成しかないために編成を組むのは稀ではあるが、名伊乙特急では2本連結の8両編成で運用される場合もある[42]。
- 東花園検車区
- 12410系12411F - 12414F
- 特に限定運用は組まれていないため、明星検車区配置の12200系4両編成や12400系と共通で運用される[7]。
「サニーカー」の名称について
本系列の愛称である「サニーカー」の名称は、鉄道アナリストの川島令三が命名したとされ[注釈 11]、当初は近鉄では正式な名称として認めていなかったという(その後近鉄でも使用するようになった)。
1983年に発行された『カラーブックス「近鉄II」』保育社 (ISBN 4-586-50622-9) の著者で、製造メーカーである近畿車輛の技術者であった鹿島雅美は、12400系については「サニーカー」と記している。しかし、10400・11400系「エースカー」の後継と見たのか、「サニーカー」の名称が相応しくないと考えたのか、12410系については「最新エースカー」、12600系電車は「最新エースカーII」と同書に記している。
「サニーカー」と称するのはこの12400系電車と派生系列である12410系電車および12600系電車が該当し[7]、(呼ばれることは少ないが)製造年代が同じである16010系電車を含むこともある。なお、16010系は12400系の狭軌版[43]である。
脚注
注釈
- ^ 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、60 - 62頁。また12400系の初期デザイン案では、2階建車の構想として、先頭車をダブルデッカー(または先頭展望ハイデッカー)とする案も検討された。『鉄道ファン』(第608号)2011年12月号、31頁
- ^ 『とれいん』(第409号)2009年1月号、65頁 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、182頁 ロスナイは三菱電機の商標で、普通の換気装置とは異なり、排気によって空調で冷やした冷気(冬は暖気)が失われないように、新たに吸気する際に逃した冷気(暖気)を再度車内に取り入れる熱交換機能をもつ。このため排気による車内温度の変化を極力抑えることで、エアコンの負荷が減って省エネにも貢献する。ロスナイ設置の主目的は、たばこの煙を車外に排出することで、これは当時の近鉄特急は禁煙号車の設定がなく(1983年3月より、まず禁煙席[1号車の1-32番]が設定された)、車内にたばこの煙と臭いが充満していたことから設置することになった。
- ^ ロイヤルラインの名称は『近鉄特急VISTA CAR 30000系車両』近畿日本鉄道、1978年(30000系カタログ)から抜粋した。12400系と30000系制御電動車のインテリアは概ね同一である。
- ^ 12000系の連結面側の仕切りドアもこれに似たデザインであるが、こちらはアクリル製のマジックドアである(『鉄道ファン』(第505号)1988年12月臨時増刊号、92頁 および同誌(第80号)1968年2月号、10 - 14頁)。
- ^ 1975年10月28日以来である。12200系が使用された最後の運行であった。
- ^ 御座所のソファは近鉄百貨店装工部の手によるものである。『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月、17頁
- ^ モとサの位置を入れ替える。方向転換する訳ではない。『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月、17頁
- ^ 12400系をはじめとする標準軌の車両が発着する1番のりばと同一ホームの向かい側にある8番のりばは狭軌となっており、16000系等の狭軌専用車の入線が可能。このため、標準軌の1 - 3番のりばから狭軌の4 - 7番のりばまでの徒歩連絡が省かれる。通常の営業では8番のりばでの客扱いはない。
- ^ 座席幅が12400系比+26mm横に拡大され、1,096mm化されたという資料も存在する(『鉄道ピクトリアル』1988年12月臨時増刊号、186頁、『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、153頁)。しかし、同じ鉄道ピクトリアル1988年12月臨時増刊号 90頁では1,070mmと従来通りの寸法が表記されており、さらに後年登場した21000系のレギュラーシート(原型)は1,070mm(『TECHNICAL NOTES KINTETSU21000』(21000系技術解説書)近畿日本鉄道編纂、11頁)と記載され、仮に12410系が1,096mmとして、当該系列よりも新しい車両の席幅が狭くなっている点は不審。
- ^ 1986年の当該系列第2編成建造後、約6年間は汎用型特急車両の建造は行なわれていなかった(『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、167頁)。その間に21000系、26000系の新デザインの固定編成系列の建造が行なわれ、その後に登場した22000系は大幅なモデルチェンジを受けて建造された。
- ^ 『全国鉄道事情大研究 大阪都心部・奈良篇』(草思社)などでそのように言及している。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j 『鉄道ファン』(第205号)1978年5月号、100 - 102頁
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- ^ 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、61頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an 『私鉄車両年鑑2012』 39p・40p (発行 イカロス出版 2012年)ISBN 978-4-86320-549-9
- ^ 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、174 - 175頁
- ^ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、33頁
- ^ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、32頁、38頁
- ^ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、32頁 ジャンパ栓受を取り付けた当時の写真が掲載されている。
- ^ 1年後に竣功した30000系よりPT4811-A-M下枠交差式パンタグラフ化された。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、185頁
- ^ 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、212頁
- ^ 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、35頁
- ^ a b c d 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、32 - 33頁
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- ^ 『カラーブックス「私鉄の特急電車」』保育社 p.63 ISBN 4-586-50812-4
参考文献
書籍・カタログ
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- 田淵仁『近鉄特急 下』JTB、2004年。ISBN 4-533-05416-1。
- 寺本光照・林基一『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、1985年。
- 諸河久・杉谷広規『カラーブックス 日本の私鉄 近鉄Ⅰ』保育社、1998年。ISBN 4-533-05171-5。
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- 『信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車』近畿日本鉄道技術室車両部、1993年。
雑誌
- 『鉄道ファン』
- 「新車インタビュー 近畿日本鉄道の新特急車 12000系」『鉄道ファン』第80号、交友社、1968年2月、10 - 14頁。
- 鹿島雅美「新車ガイド 近鉄特急がチョット変身 12400系登場」『鉄道ファン』第205号、交友社、1978年5月、100 - 102頁。
- 「大手私鉄車両配置表」『鉄道ファン』第473号、交友社、2000年9月、55頁。
- 羽田憲一「100系デザインストーリー1」『鉄道ファン』第608号、交友社、2011年12月、31頁。
- 『とれいん』
- 白川英行「MODELERS FILE 近畿日本鉄道12200系」『とれいん』第409号、エリエイ出版部・プレスアイゼンバーン、2009年1月、58 - 65頁。
- 『鉄道ピクトリアル』
- 「特集 近鉄特急」『鉄道ピクトリアル』第505号、電気車研究会、1988年12月。
- 「近畿日本鉄道特集」『鉄道ピクトリアル』第398号、電気車研究会、1981年12月、17頁。
- 「特集 近畿日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』第727号、電気車研究会、2003年1月。
- 『週刊鉄道データファイル』
- 「13年ぶりに現れた「名阪ノンストップ特急」用系列 近畿日本鉄道 12410系」『週刊鉄道データファイル』第147号、ディアゴスティーニ・ジャパン、15 - 16頁。
関連項目
外部リンク
- 鉄路の名優|近鉄企業情報 - 近畿日本鉄道