貴州
中国地名の変遷 | |
建置 | 635年 |
使用状況 | 貴港市 |
後漢 | 郁林郡 |
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三国 | 郁林郡 |
西晋 | 郁林郡 |
東晋十六国 | 郁林郡 |
南北朝 | 南定州 |
隋 | 広州 |
唐 | 南尹州 貴州 |
五代 | 貴州 |
北宋/遼 | 貴州 |
南宋/金 | 貴州 |
元 | 貴州 |
明 | 貴県 |
清 | 貴県 |
中華民国 | 貴県 |
現代 | 貴県 貴港市 |
貴州(きしゅう)は中国にかつて存在した行政区画名。唐代から明初にかけて設置された。1369年(洪武2年)に貴県と改称された。現在の広西チワン族自治区貴港市に相当する。
唐代
宋代
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元代
下州。『元史』によれば8,891戸。
1277年(至元14年)に行貴州事が設置され、郁林県を管轄した。1305年(大徳9年)に郁林県は廃止、行州事による直轄地域とされた。元代は和斜温両投下の食邑所在地とされた[1]。
1302年(大徳6年)には州内で大規模な反乱が発生している[2]。