貨幣数量説

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貨幣数量説(かへいすうりょうせつ quantity theory of money)とは、社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定しているという経済学仮説。物価の安定には貨幣流通量の監視・管理が重要であるとし、中央政府・通貨当局による通貨管理政策の重要な理論背景となっている。

貨幣中立説

貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、経済活動の本質は全て物々交換であり貨幣はその仲介を行っているに過ぎない、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。中立説によれば貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はないとする。

数量説はこの貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって一義的に押さえ込むことが出来るとする。現代の我々には直感的に理解しにくい事であるが、管理通貨制度が定着する以前では「社会」に存在する貨幣の総量は誰にも計測できない(把握されていない)ものであり、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属(金銀など)が喪失されるなりといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

[1]貨幣中立説というのは歴史的には大航海時代以後スペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。新大陸の金銀財宝こそが富の源泉であり、その金銀を本国へと持ち帰り、その量こそが富だとしたのだが、後の絶対王政以後のフランスで重商主義つまり貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されてくるという考え方であった。特に重農主義は貨幣と農産物を交換することで、金銀よりも農産物の方が優位であるとした。その理由は毎年生産され続ける農産物などとその後の発掘に手間がかかりあまり増えない金銀とでは農産物のほうがはるかに優位であり、しかも人間にとって重要な食料である穀物の量を確保すれば自然と金銀と交換され、貿易差額の黒字により蓄積されるという考え方である。言い換えれば鉱山よりも肥沃な田畑の方が効率がいいというものであるが、その後の議会制が整い始めたイギリスにおいて工夫や農夫のどちらの労働も価値があるとされ、「富の源泉は労働力」であると帰結されるに至った。要するに本来は無価値でしかない大地から金銀を抽出する作業も農産物を収穫する作業も人間の労働力があってこそ成り立つのであるのだから、金銀の貴金属や穀物などの農産物に限らない非生産業である、力を蓄え始めてきた交易に従事する商人にとっても受け入れやすい理論だったのである。

フィッシャーの交換方程式

現実の統計値から貨幣量と物価の相関関係を分析するためのツールとしてアーヴィング・フィッシャーの"交換方程式"がある。これは貨幣量と物価の関係を、貨幣の"流通速度"あるいは"取引水準"といった概念を導入することで記述するもの。いわゆる貨幣数量説の代表的なアイデアである。:

M*V = P*Q

M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量
V は貨幣の"流通速度" (特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

交換方程式は逐一個別の取引(単価pの商品をq個だけ取引するため、貨幣mを1回支払う)をマクロ経済全体で合計(∑v=1→V)したものとされる。これは数学上非常に明晰な記述であるが、現実にはマクロ経済全体における流通速度V(PQ/M)や取引量Qといった経済統計としては非常に観測・推計しにくい概念を導入しなければならない困難がある。

現金残高方程式(ケンブリッジ方程式)とマーシャルのk

フィッシャーとほぼ同時代のイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルも、独自に貨幣量と経済水準の相関関係に着目していた。1871年頃には着想を得ていたとされ、1923年に文章化、完全な定式化は弟子のアーサー・セシル・ピグーによって公刊された。貨幣数量説を批判的にとらえる論拠とされるアイデアである。

M = k*P*Y

M はある期間中の任意の時点tにおける現金残高(=ストック)
k は「マーシャルのk」(比例定数)
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Y は実質GDP

PYは名目GDPであり、ケンブリッジ方程式の要諦は「現金として保有される残高は名目GDPに比例している」というものである。人はある年間所得(PY)の水準に比例する程度に、つねに手元に投資や貸付、消費に回してしまわない資金量を一定(M)確保していることが予測できる。その割合比率(k)は貨幣選好であるが、マクロ経済全体で合計した場合にも同様の傾向があるはずである。そこで経済全体をおしなべた結果としての貨幣選好をkとすればM=kPYと記述される。なお、このマーシャルのkの逆数(PY/M)は、貨幣の所得 流通速度と呼ばれる。フィッシャーの交換方程式とは異なり、特定時点での現金残高Mや、期中での名目GDP(名目総生産=名目総所得)は直接の統計や推計により比較的容易に計測することができる。また、kやPが変化しないという仮定の下では、Mを増加させることでYを増加させることができるという関係を表している。

その解釈に関する議論

貨幣数量説の議論は、文献の上ではサラマンカ学派アスピルクエタなど)、ジャン・ボダンジョン・ロー(1705)のreal bill(真手形)ドクトリン、カンティリョン(1732 or1755)のエッセイに端緒を発する。スペインでは新大陸からの金塊の略奪と流入は経済の活性化につながっていると報告され、またイギリスでは戦争や海戦の発生により「なんとはなく」経済が刺激されているとのエッセイ(観想)がなされていた一方で、古典派の啓蒙思想においては貨幣の中立性が強調され、国富の増強は生産能力の増強や市場の整備などによるべきであり、貴金属の他国からの掠奪や金鉱の開発など「貨幣そのものの増大」を目的としても意味がないとされた。

しかし貨幣の本質に対する経験と洞察が進められ、単に貴金属の備蓄量ではない「通貨」の本質が明らかになるにつれ、古典的な貨幣中立説は批判を受ける事になる。1800年代前半のイギリスにおける金塊主義論争がこれである。

金塊は持ち運びや決済の便利のため、両替商(BANK)に預託してその引換証(銀行券)を取引の代価にすることはすでに一般化しており、その引換証をBANKに一定期間預託し別の借り手に貸し付けることで利息を受け取る契約(仲介)も一般化していた(貯蓄銀行による信用創造)。このため両替商がカルテルを組み、特定の攻撃対象となるBANKの引換証を意図的に収集し、突然その全量の引換を要求して破綻させる行為が横行していた。1765年までスコットランド法は緊急の場合の金塊への引換を制限していた。またフランス革命直後の1797年には英国政府は英仏戦争の激化を背景にイングランド銀行の一時的な兌換停止措置を取る。

この措置の解除をめぐり論争が起きた。解除賛成派は兌換停止の継続は引換証(銀行券)を担保とした銀行券の乱造を産み際限のないインフレを生むとした(ヘンリー・ドーソン、ジョン・ホイットリー、デヴィッド・リカード)。一方反対派は、引換証(銀行券)はつねに決済の時点で銀行で清算され商取引で必要とされる規模以上には増加しないため、兌換停止を解除する必要はないとした(リチャード・トレンス、ボサンケ、ジェームズ・ミル(J・S・ミルの父))。歴史的には1821年に兌換性は回復されたが、ナポレオン戦争終了後の1815年から30年にかけてイギリスでは一貫して物価の下落(デフレ)が進行し、金塊と銀行券との兌換性は物価安定への影響に対して重大な疑問を投げかけた。

1844年銀行条例(ピール条例)は、イングランド銀行以外の銀行券の発行を禁じ、なおかつイングランド銀行に発行紙幣量と同等の金塊の保有を義務付けた。これは完全な兌換性の要求として重金主義の再燃であり、英国内で流通する銀行券はイングランド銀行が貯蔵する金塊の量に一致することを厳格に要求した。これを支持したのが通貨学派(オーバーストーン卿、JRマカロック、Tジョップリン、SMロングフィールド、Rトレンス)で、彼らはイングランド銀行の発券業務と銀行業務を分離し、発券量は金塊の貯蔵量に厳格に一致させるべきと主張した。一方、貯蓄銀行はその業務を制約されることはなく、銀行券の預託を受け入れ金利を付与して貸付業務に流用することは規制するものではなかった。

同法に反対したのが銀行学派(Tトゥック、Jフラートン、ジョン・スチュアート・ミル(J・S・ミル))で、銀行券の兌換性さえ確保しておけば、銀行券の発行は厳格に金塊の貯蔵量に制約を受ける必要はないとした。兌換性さえ確保しておけば金塊の保有量と銀行券の額面が一時的に一致していなくても、需給の調整により銀行券の総量は調整され、懸念されるインフレは発生しないとした。結果的に1844年の銀行条例は三度にわたり停止されたことで銀行学派の権威が強化された。


さてフランス革命から第一次世界大戦までの貨幣に関する議論は、おおむねデヴィッド・リカードJ・S・ミルの見識に分類される。彼らを含め当時の経済思想家は、社会に対する観察を観想(エッセイ)として叙述したため、その立場はかならずしも明晰ではなく錯綜している事もあるが、おおむねリカードは金塊の価値は金塊を調達するコストによるとした。金塊は発掘されたり喪失されたりするが、全体での調達コストが金塊の現在価値であり、それが貨幣の価値の源泉である。商品の交易は貨幣の価値を媒介にしておこなわれ、もし調達コストの変動がなければ貨幣の中立性は維持されている。

ミルも同様に金塊の価値を調達コストとしたものの、社会に流入した金塊はそのまま喪失されることはなく蓄積されることから、社会に偏在する金塊の貯蔵量が交易条件(価格)に影響を与える可能性があるとした。ある人は商品を調達するために金塊が必要であっても、その金塊を鉱山から調達しなければならず、金塊の価値として採掘コストを要求されるかもしれない、一方で金塊を貯蔵している人にとっては、金塊の調達コストは同じ金塊を取引相手とやり取りしていけば、次第に減価償却され、やがて金庫から持ち出す手間だけとなってコストは非常に少ないものとなるだろう。金塊が社会に蓄積されていけば、金塊の調達コスト(金利)は低下するだろう。しかし金庫から金塊を持ち出して誰かの交易の便宜に貸与する人にとっては、金塊の調達コスト以上に重要なのは、その金塊が返済されるかどうかである(信用経済)。


イギリスでは1818年に100だった物価が1891年には45と継続的なデフレになやまされ、ドイツ・アメリカなども同様の傾向が見られた。この間、1848年カリフォルニア、51年オーストラリア(ビクトリア州)、86年南アフリカ(ラント金鉱)の発見など各地で金鉱が発見され、金塊ベースの開削供給は順調であったとみられるのにデフレは進行し、貨幣中立説では説明できない経済現象がおこっているのはあきらかだった(古典的な中立説によれば、経済システムの中の金塊量が増えればインフレになる)。結果的にはこれは産業革命が成熟期に達し、英米や欧州各国で商品供給力が急激に増大したことや、金銀複本位の交換レートが変動し、金が退蔵される傾向にあったことなどが要因であるが、革命や戦争、理由のわからない経済恐慌(英1836、英47、英57、英66、欧州73-96)と物価の乱高下に資本主義経済は悩まされ続けた。 金塊の貯蔵量と銀行券の発行可能額の問題はじつに1971年のニクソン・ショックまでもちこされる課題となったが、まずは第一次大戦に起因する管理通貨制度の一時的な採用や、金本位制に復帰後の不胎化政策の採用などにより、ベースマネー(マネタリーベース、直接的には金塊の保有量)と銀行券の発行量、物価に対する行政府(議会・政府)や金融当局の関わり方、金融政策の指針は、より具体的で重要な課題として浮上した。


この頃フィッシャーの交換方程式や、マーシャル(ピグー)あるいはその批判的継承者であるケインズのケンブリッジ方程式が提案される。フィッシャーは著書『貨幣の購買力(1911)』で交換方程式を提唱するが、その書評でケインズやミッチェルが批判したのをはじめ、後にパティンキンらの批判を受ける。

フィッシャーの交換方程式は極めて明瞭で、一見するとMとPに極めて強い相関関係が予想される。しかしその根拠としてVとQが硬直的(変わらない、あるいはほとんど変わらない)ことが前提となっている。VやQが柔軟に動くものであれば、実際Mが増減してそれがPの変動をもたらしたとしても、「なぜそうなるのか」はフィッシャーの交換方程式では全く説明がなされていない。MV=PQは恒等式であり常に成立するが、あるMの水準に対してVやQが何故か相応な値をとって、結果Pが相応な水準になっている、としか言えない。

古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので(供給は需要を創出する(セイの法則))、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになる。物価を安定させるには貨幣量Mの水準にのみ関心を払っておればよい。フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものにほかならない。

フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する(恒等式)。限定された期中における交換(フロー)のみに着目した恒等式には、来期以降の不確実性に対する予測やそれに対する準備(貯蓄)という概念を一見必要としない明瞭さがある。一方でケンブリッジ方程式は貨幣選好kにもとづいて現金残高は特定の水準PYに対しても変動する(方程式)。マーシャルのkは経済全体がどの程度の含み資産をもっているか、経済成長力(自然利子率)がどの程度か、投資収益率(名目利子率)がどの程度か、などといった状況にも左右されるかもしれない。

フリードマンの指摘は80年代後半から乖離を始めマネタリベースと物価の長期安定性は撹乱状態にある。これはインフレターゲットの議論を呼んだ。

フィッシャーの交換方程式と、マーシャルのケンブリッジ方程式は、本来まったく別のアプローチから通貨量と物価のかかわりを記述したものであり、単純に同一視してk=1/Vなどと短絡することはできない。そもそも流通速度(PQ/M)の逆数が貨幣選好であると読み換えることの根拠は無い。しかしQとは相殺取引(売ったものを同値で買い戻す)等を前提とせず、不動産や債券など金融資産の売買を考慮せず、中間生産物の売買を除去すれば国富・国民経済計算の観点からは実質的な価値(実質GDP=Y)そのものであり、また統計的にはMやPは共通した統計量であり、二つの方程式を統合した分析は信用サイクルの分析などに重要な示唆をあたえている。

現実にはマーシャルの現金残高方程式の過程、すなわち貨幣量(流動性)が増減することで実体経済Yが深く影響を受ける効果があることは無視できない。今日(こんにち)では、貨幣の流通量やベースマネーの監視・監理は中央銀行の中心的な業務目的とされ、物価安定のための必要条件とみなされているが、為替や実体経済の側面、すなわち労働分配率(賃金)、税、利子率、人口動態や設備投資、あるいは技術発展などといった可視・不可視な要素までを考量することが物価安定の目標を達成するためには必要であるとされている。

有効需要

貨幣量の増加は、実質金利の低下へつながる。この結果、設備投資の増加へつながり乗数効果で有効需要が増加する。有効需要の増大は生産の増大、あるいは物価の上昇へ結びつく。金本位制の経済では、国が金鉱を開削し金貨をどんどん市場に導入すれば、実質金利は低下し生産は活性化するかもしれない。一方海上輸送中の金貨が難破などにより大量に失われれば、実質金利は上昇し有効需要も減退する可能性がある。(重金主義)

国が戦費調達を目的として戦時国債を増発して中央銀行に引き受けさせれば経済は強く刺激されるかもしれない。ある推計によるとアメリカの1940年度のGDPは9,308億ドルであったが1945年度までに国債を累積で20,850億ドルを発行しGDP16,470億ドルと急進させた。この間の貨幣所得は1.75倍(44年に1.82倍)、物価は1.33倍にとどまっている。

政府が貨幣を増刷し歳出に用いた場合は、上記のプロセスに併せて、さらに有効需要が増大するかもしれない(緑背紙幣軍用手票、戦時フィリピン紙幣・久米島紙幣など)。歳出を通貨発行で賄うことを継続した場合、金利による資源配分機能が抑制され、需要増大のほとんどが物価上昇へ結びつくようになり、高いインフレが発生する。

経済活動が収縮し、不景気により議会に経済活性化を求める声が強まると、国債の発行等を財源とした財政政策(公共投資などのケインズ政策)や政策金利引き下げ等の金融政策が論じられる。

また国債を中央銀行に引受させることで財政出動の原資とし、定額給付所得保障、所得税減税を行うといったヘリコプターマネー論がある。これは国民一人一人に現金等を配り、消費を促し需要を喚起しようとするものであり、政策上の有効性や社会倫理上の議論がある。貨幣錯覚が起きる短期においては、貨幣供給量の変動が実質経済成長に決定的に大きな影響をもたらすと考えるマネタリスト的な考え方と、給付金による財政政策との二つの面を持つ。ただし一般にマネタリストは、政策に関するラグの存在により、貨幣供給量を変化させると不要の景気変動を生んでしまうと考えることから、裁量的に貨幣供給量を変化させることには否定的である。そのような裁量的政策ではなく、景気の落ち込みにより貨幣供給の伸び率が低下しそうな場合、それをある決まった水準に戻すために様々な手段により貨幣供給を拡大させ、結果的にそれが景気を刺激することになるといった、ルールに従った形での政策を支持する。

貨幣錯覚

流通貨幣量の増減は、事前に約束され容易に変更されることのない数値である金利賃金、社会保障、税、および資産価格などに対する評価の修正を通じて経済活動全般に影響を与える。

ケインズによる解釈[2]

一般化された記述
e = ed(1-ee*e0+ee*e0*ew)

eは貨幣量の変化に対する物価の弾力性
edは貨幣量の変化に対する(貨幣で測られた)有効需要の弾力性
eeは(賃金単位で測られた)有効需要の変化に対する雇用の弾力性
e0は雇用の変化に対する産出量の弾力性
ewは(貨幣で測られた)有効需要の変化に対する賃金単位の弾力性

ケインズによれば、貨幣数量説では、ed=1であるとともに、失業の存在するときはew=0、ee*e0=1よりe=0となって物価が不変となり、完全雇用に到達するなり、ew=1、ee*e0=0よりe=1となって物価は貨幣量に正比例して変化すると主張されているとする。

これに対してケインズは、edは流動性選好・資本の限界効率・消費性向の諸制約によって1とは限らず、ewは完全雇用の到達以前に貨幣賃金率などの上昇が見られるため0と1の間の値を示し、ee*e0は収穫法則の制約によって1と0との間の値を示すことから、eは通例1より小であると一般化することができると考え、これを貨幣数量説の一般化された記述と呼んだ[3]

所得速度
M = M1+M2

Mは全体としての貨幣供給量
M1は取引動機及び予備的動機を満たすために保有される貨幣量(活動貨幣)
M2は投機的動機を満たすために保有される貨幣量(不活動貨幣)

ケインズによれば、貨幣数量説において一定と仮定される流通速度と呼ばれているのはY/Mであるが、商取引の慣習が与えられている場合にほぼ一定と見なせるのはY/M1であると主張し、ケインズはこれを貨幣の所得速度と呼んでいた。

参考情報

  • 『貨幣数量説の歴史的発展』平山健二郎 関西学院大学経済学論究 第58巻第2号(20040920)[3]
  • 『わが国における貨幣の長期中立性について』大井・白塚・代田(日本銀行金融研究所・金融研究2004.10)[4]※実質GNPとM2の長期中立性の検証
  • 『文明社会の貨幣-貨幣数量説が生まれるまで-』大森郁夫(知泉書院2012.1)

出典・脚注

  1. ^ 貨幣中立説については奥山忠信「金貨幣の合理性に関する考察」P.2以降も参照のこと。奥山(政策科学学会年報創刊号 2010年12月)[1][2]
  2. ^ 浅野栄一(1976)「ケインズ一般理論入門」有斐閣
  3. ^ ただケインズは、この種の公式化が、関係諸要因の間の厳密な不依存性の仮定に依存したものにすぎないとして、これに多くの価値を認めていなかったことも事実である。


関連項目