豊肥本線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。UE-PON2600 (会話 | 投稿記録) による 2016年3月20日 (日) 13:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎歴史: 2次資料による出典追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

豊肥本線
観光特急「あそぼーい!」
観光特急「あそぼーい!」(立野駅)
概要
通称 阿蘇高原線
起終点 起点:大分駅
終点:熊本駅
駅数 37駅
運営
開業 1914年4月1日 (1914-04-01)
全通 1928年12月2日
所有者 鉄道院→鉄道省
運輸通信省運輸省
日本国有鉄道
九州旅客鉄道
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 148.0 km (92.0 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 交流20,000 V・60 Hz 架空電車線方式(大分 - 下郡信号場間、肥後大津 - 熊本間)
運行速度 最高95 km/h (59 mph)
路線図
テンプレートを表示

豊肥本線(ほうひほんせん)は、大分県大分市大分駅から熊本県熊本市西区熊本駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線地方交通線)である。「阿蘇高原線」(あそこうげんせん)という愛称が付けられている。

国土交通省監修『鉄道要覧』では、大分駅を起点としているが、JR線路名称公告では熊本駅が起点で、列車運行上も熊本から大分行きの方向が下りになっている。ここでは、経路図、沿線概況、駅一覧などを除き『鉄道要覧』に合わせ大分駅起点として記述する。

概要

世界有数の規模を持つ阿蘇カルデラの中を横切って九州中部を横断し、大分市と熊本市を結ぶ路線である。特急列車も多く運行され、阿蘇や城下町・竹田市を通る観光路線であるとともに、大分市・熊本市への通勤・通学路線でもある。 JR化後は、大分、熊本都市圏近郊において増発、新駅設置など、輸送力は大きく改善された。国鉄時代は1時間に1本程度であったが、現在では20-30分間隔で運行されており、また観光路線ということもあり、幾分黒字に近づいた。実際に大分県内を走るJR線(当路線と、日豊本線久大本線)の中でも営業係数は低い。

2012年12月1日より、大分駅 - 中判田駅間および、肥後大津駅 - 熊本駅間で、IC乗車カードSUGOCA」が利用可能である[1]。なお、中判田駅 - 肥後大津駅間ではSUGOCAでの乗降はできないが、SUGOCAでの乗車で通過することはできる[2]

路線データ

  • 管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 路線距離(営業キロ):148.0km[3]
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:37(起終点駅含む)[3]
    • 豊肥本線所属駅に限定した場合、起終点駅(大分駅は日豊本線、熊本駅は鹿児島本線の所属[4])が除外され、35駅となる。
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間(交流20,000V・60Hz):
  • 閉塞方式
    • 熊本駅 - 下郡信号場間:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
    • 下郡信号場 - 大分駅間:自動閉塞式(単線)
  • 最高速度:95km/h

大分駅 - 滝水駅(構内除く)間が大分支社、滝水駅 - 熊本駅間が熊本支社の管轄である。

沿線概況

風景説明の都合上この章では熊本起点で説明する。

熊本駅から肥後大津駅までは電化区間で、政令指定都市である熊本市をはじめとする熊本都市圏の通勤通学路線となっていて[5]、沿線には学校や光の森を始めとした、新興住宅地や、ニュータウンが多くあるため、鹿児島本線熊本口よりも豊肥本線熊本口の方が運行本数も利用者も多くなっている。朝の通勤時間帯は10分間隔で運行される。熊本駅は2015年3月に一部高架化されたが、豊肥本線は地上ホームから出発する。鹿児島本線と分かれたあと白川を超えると、住宅地が広がる。また、熊本駅よりも市街地により近く、東部地区へ近いことから同じ熊本市電と連絡する駅であっても新水前寺駅を利用する人が多くいる(利用者数は県内第2位)。そのため、熊本駅の利用者はあまり多くない。再び白川を越えた後、武蔵塚駅付近からは加藤清正が整備した杉並木の街道と併走する。光の森駅をすぎるとやがて肥後大津駅に到着する。この駅からは、熊本空港への連絡タクシーが出ている。

肥後大津から先は非電化となり、阿蘇外輪山に向かってゆく[6]。右下に阿蘇から有明海に流れ下る白川を見下ろすようになると立野駅。ここは外輪山が1か所だけ途切れて低くなった場所で、阿蘇のカルデラ内と熊本平野をつなぐ白川も道路も鉄道もここを通らねばならない。ここで鉄道は有名なスイッチバックで標高を稼いでカルデラ内に入る[6]。熊本から立野に到着した列車の運転士は、ホームの上を歩いて反対側の運転席に行き逆向きに発車、しばらく坂を登って停止すると今度は車内を歩いて元の運転台に戻り、再び初めと同じ進行方向で発車する。この間、白川の渓流はどんどん遠くなってゆき、やがて列車は阿蘇カルデラ内の平原(阿蘇谷)に入る[6]

阿蘇駅(2006年9月4日)

阿蘇谷を走る間、右には阿蘇の火山群、左には広い田圃の向こうに長大な崖のようにそびえ立つ北側外輪山を見ることができる。宮地駅近くには肥後国一宮阿蘇神社があるが、このあたりが火山群が最も良く見える。宮地駅を出ると列車は左右に大きくカーブしながら東側外輪山を登ってゆく。いくつかの長めのトンネルを抜けて、一瞬左手に広大な阿蘇谷を見渡せるがすぐに豊肥本線の最高点である坂の上トンネル(延長2,886m)に入る[6]。ここまでひたすら登りつづけてきた豊肥本線は分水嶺を超え、ここから下り始める[7]。緩やかに波打つ高原を左右に細かくカーブしながら下ってゆくが、この周辺は9万年前に阿蘇山が大噴火した時に火砕流に覆い尽くされた一帯(火砕流台地)である。

滝水駅豊後荻駅の間に横たわる大分県との県境付近から、豊肥本線は大野川水系上流の幾筋もの川を、ある時は渡り、ある時は川筋に沿って走ってゆく。これらの支流が稲葉川と大野川の2本の川に集約されて盆地に流れ込み、その底になったところが豊後竹田駅。四方を山に囲まれた竹田市は「れんこん町」と呼ばれるほどトンネルが多く、豊肥本線も何本ものトンネルを通り抜けて豊後竹田駅に着く。瀧廉太郎の『荒城の月』で有名な岡城は駅近くにあるが、盆地の底にある駅や市街からは見上げるような高さの台地上に石垣を組んでいる。

豊後竹田駅(2006年9月4日)

竹田市を出ると、豊肥本線はおおまかに大野川に沿って、谷筋を通ってだんだん平地へ降りてゆく[8]。竹田市やその東隣の豊後大野市奥豊後と呼ばれる地域で、沿線には大野川水系の豊かな水資源による湧水や滝等が数多い。豊肥本線は豊後大野市のうちの緒方町、三重町、犬飼町などの長閑な風景の中、川幅を広げながら流れる大野川およびその支流を何度か渡る。

中判田からは一転して大分市の郊外住宅地に入り乗客・運行本数共に多くなる。国道10号に並行して東九州の中核都市である大分市の市街地を縦断。下郡信号場からは日豊本線と並走しながら大分川橋梁を渡ったところで高架区間に入り、その後久大本線が合流。駅南側の再開発工事が進む大分駅で終点となる。大分駅ホームは2012年3月17日に完全高架化されたが、それに先立ち豊肥・久大本線のホームのみ2008年夏に先行して高架化されたため、その間特急「九州横断特急」は大分側橋梁手前で豊肥本線から仮設の渡り線を経て日豊本線(当時地上ホーム)に入るようにして、別府駅までの直通運転を継続した。

運行形態

地域輸送

普通列車はおおむね豊後竹田駅・宮地駅・肥後大津駅で運転系統が分かれている。

大分駅 - 三重町駅間・肥後大津駅 - 熊本駅間で運転されているワンマン運転の普通列車(2両編成)は、2006年3月17日までは無人駅および有人駅での営業時間外の停車時は前の車両のドアのみ開き(中扉は開かず・後ろ乗り前降り)乗車時には整理券を取る必要があったが、翌3月18日のダイヤ改正後より、すべての駅で列車のホーム側のすべてのドアから乗り降りできるようになった。さらに熊本側は2013年3月16日のダイヤ改正よりすべての列車によるすべてのドアからの乗り降りできる区間が立野駅 - 熊本駅間に拡大された。

大分駅 - 豊後竹田駅間

キハ200系気動車を中心に運行され、大分駅 - 中判田駅・犬飼駅・三重町駅間の区間運転列車も設定されている。1時間あたり大分駅 - 豊後竹田駅間の直通が1本、大分駅 - 中判田駅間は区間運転が入って2 - 3本になる。朝晩には犬飼駅・三重町駅発着の設定がある。2008年3月14日までは、夕方に豊後竹田発とその折り返し中判田行き1往復が日豊本線別府駅まで乗り入れていた。2014年3月15日のダイヤ改正で最終列車の三重町着時刻が0時台となり日付を跨ぐようになった。2015年3月14日のダイヤ改正で中判田・三重町発で日豊本線亀川行きが復活したが、亀川発の豊肥本線乗り入れ列車は設定されていない[9]。キハ200系はもともと福北ゆたか線筑豊本線篠栗線)や熊本地区で使われていたが、電化で大分地区に転属した。

豊後竹田駅 - 宮地駅間

山あいの過疎地を走るために駅間距離が他より長く利用者が少ない。運転本数もこの区間の通し列車が1日5往復と豊後荻発豊後竹田行きの区間列車下り1本のみで、3 - 6時間ほど運転間隔が開く時間帯がある。特に波野駅と滝水駅に停車する普通列車は午前中は上りが7時台の熊本行きと10時台の宮地行きの2本、下りが7時台の豊後竹田行き1本しかなく、次の列車は上下線とも13時過ぎまで停車しない。この区間はワンマン運転対応のキハ220形キハ125形気動車などによる単行運転が行われている(6時台の豊後荻発豊後竹田行きとその折り返しの豊後竹田発熊本行き、21時台の宮地発豊後竹田行き(熊本発18時台)はキハ47形2両編成による運転)。

宮地駅 - 肥後大津駅間

キハ200系・キハ40系気動車による2両編成列車が、一部の時間帯を除き1時間あたり1本程度運転されている。一部の列車を除き、日中は肥後大津駅で熊本駅発着の電車に接続するダイヤを取っているが、早朝・夕方以降は熊本駅直通列車も設定されている。

肥後大津駅 - 熊本駅間

1999年の熊本国体に合わせて電化されたこの区間では、2両編成の815系817系電車により昼間は1時間あたり3本程度運転が行なわれており、早朝および深夜に熊本駅 - 光の森駅間の区間運転列車も設定されている。平日朝ラッシュ時は約10分間隔で運転されるが、混雑するため815系・817系では4両編成での運転も行われるほか、415系(熊本駅 - 光の森駅間のみ)も乗り入れる。この他、鹿児島本線への乗り入れも少数ながら設定されており、鳥栖駅大牟田駅(平日のみ)・八代駅 - 光の森駅・肥後大津駅間で運行されている。九州新幹線との接続を意識して、始発は5時台、終電は0時台になっている。0時台の終電は新幹線全線開業後に新設された。

豊肥ライナー

2011年3月12日九州新幹線全面開通後、後述の特急「有明」の豊肥本線内での運行が廃止されるのに伴い新たに快速列車「豊肥ライナー」が設定され、2013年3月15日まで運行された[10][11]

熊本駅 - 肥後大津駅間の途中停車駅は「有明」と同じく新水前寺駅・水前寺駅・武蔵塚駅・光の森駅であり、肥後大津発3本・光の森発3本、肥後大津行き3本・光の森行き4本の計13本が10時台から16時台にかけて運行されていた。2013年3月16日のダイヤ改正をもって豊肥ライナーの愛称は廃止され、各駅停車の普通列車となった[12]

優等列車

九州横断特急

全線にわたり特急九州横断特急」が運行されている。多客期は3-4両編成で運転されるが、通常の2両編成で走る場合は運転台に『ワンマン』の表示がされ、女性客室係員が乗務している場合でも扉操作や運転案内放送は運転士が行っている。

沿線に阿蘇を有する豊肥本線は古くから観光路線として位置付けられ、1958年からは準急ひかり」が運行され、1961年からは循環列車となる準急「ひまわり」が設定された。その後の変遷を経て、豊肥本線内を運転する優等列車は急行「火の山」に統合され、その一部は天草諸島島原半島へ向かう観光客の利便を考慮して三角線三角駅まで直通運転が行われた。1992年に「火の山」は特急に昇格して「あそ」と改称し、車両もキハ185系気動車に置き換えられた。2004年3月13日には「あそ」と肥薩線の特急「くまがわ」の一部の列車を統合し、運転区間を別府駅 - 大分駅 - 熊本駅 - 人吉駅間に変更したうえで「九州横断特急」と改称した。

1987年から途中の中断を経て九州新幹線(鹿児島ルート)全線開業時まで、鹿児島本線博多駅発着の特急「有明」が豊肥本線内の熊本都市圏部に乗り入れていた。熊本駅は熊本市中心部から離れており、熊本市の中心市街地や住宅地が豊肥本線沿線にあることから、熊本都市圏からの利便性向上を図り運行され、九州自動車道経由で福岡市と熊本市を結ぶ高速バスひのくに号との競合を意識していた。当初は非電化であったためDE10形ディーゼル機関車が485系電車を牽引して豊肥本線を水前寺駅まで走行していたが、1994年に一旦廃止された後、1999年の熊本駅 - 肥後大津駅間の電化開業に伴い再開され、運転区間も熊本駅 - 水前寺駅・武蔵塚駅・光の森駅・肥後大津駅間となった。2007年3月18日改正からは、早朝の博多方面行きの「有明」1本が豊肥本線内(光の森駅→熊本駅間)普通列車として運転されていた。

九州新幹線(鹿児島ルート)全面開業に伴い、2011年3月11日限りで「有明」の豊肥本線内での運行を終了した。「九州横断特急」も一部が熊本駅発着に変更されている[11]

なお現在、豊肥本線内では特急が先行の普通列車を追い抜くことはない。

観光列車

各地から阿蘇への観光客集客を目的として、毎年概ね3月から11月までの土日祝日および小・中・高等学校の長期休暇期間中などには熊本 - 宮地間に専用車両を使用した臨時列車が運行されている。

1988年3月からキハ58形キハ65形を改造したジョイフルトレインサルーンエクスプレス」を使用した臨時急行列車「サルーンエクスプレス阿蘇観光号」が運転されたが、同年8月28日からは8620形蒸気機関車がアメリカ風に改造された50系客車を牽引する「SLあそBOY」が運転された。以後「SLあそBOY」は毎年3月から11月に運転されていたが、機関車の老朽化により2005年8月に「SLあそBOY」は運行休止となり、同年内に運転される予定であった「SLあそBOY」はディーゼル機関車が牽引する「ディーゼルあそBOY」として運転されたが、同年限りで終了した。

2006年7月22日からは内装や外観を昭和30年代のイメージに改造したキハ58系2両を使用する臨時快速列車「あそ1962」が運行を開始、車内では昔のCM放映や阿蘇の特産品および駄菓子販売を行った。「あそ1962」は2010年12月26日をもって運行を終了した。

2011年6月4日よりキハ183系1000番台を改造した観光特急「あそぼーい!」が運行されている[13]。また、これに先立ち2011年3月12日より5月29日までは臨時特急「阿蘇ゆるっと博」が運行されていた[11]

使用車両

過去の使用車両

歴史

大分 - 玉来間は国鉄の犬飼軽便線(いぬかいけいべんせん。後に犬飼線と改称)として、宮地 - 熊本間は宮地軽便線(みやじけいべんせん。後に宮地線と改称)として、両線とも1914年に開業した[14]。なお現在、南阿蘇鉄道となっている立野 - 高森間も宮地線の支線として開業している[14]

最後の区間である玉来 - 宮地間が開業して大分 - 熊本間が全通したのは1928年で、宮地線・犬飼線を合わせて豊肥本線となった[14]。その際、立野 - 高森間の宮地線の支線は高森線となった[14]

阿蘇・竹田などの多雨な山間部を通っているため、集中豪雨や土砂災害などの災害が発生しやすく、そのたびに数か月から災害の規模によっては1年以上も不通となることもある。1990年7月2日の集中豪雨では緒方 - 宮地間が不通となり、復旧に1年3か月を要した[15]。1993年9月2日の台風13号では三重町 - 豊後清川間が不通になり、全線復旧まで8か月を要した。2004年9月に三重町 - 豊後清川間の百枝トンネルが土砂崩壊により不通となり、12月の復旧までバスによる代行輸送を行った。2012年7月12日の九州北部豪雨では緒方 - 肥後大津間の各所で土砂流入・築堤崩壊・橋梁流出などの災害が発生した[16]。緒方 - 豊後竹田間および宮地 - 肥後大津間は同年9月3日までに順次復旧し、被害の大きかった豊後竹田 - 宮地間は、同年8月20日より代行輸送(同日から9月2日まではジャンボタクシーによる代行輸送、9月3日より七城観光バス・大野竹田バス亀の井バス(湯布院営業所)等によるバス代行輸送)を行っていたが、翌2013年8月4日に復旧し運転を再開した[17][18]。復旧にあたって、被害を受けた区間では路盤やトンネルが強化や土石流対策が施され、九州北部豪雨と同程度の雨が降っても耐えられる物となった[18][19]

年表

犬飼線(大分 - 玉来)

  • 1914年(大正3年)4月1日犬飼軽便線として大分 - 中判田間を開業、下郡連絡所(豊州本線との分岐点に設置[14]。豊州本線所属)・滝尾駅・中判田駅を新設[14]
  • 1916年(大正5年)9月1日:中判田 - 竹中間を延伸開業、竹中駅を新設[14]
  • 1917年(大正6年)7月20日:竹中 - 犬飼間を延伸開業、犬飼駅を新設[14]
  • 1921年(大正10年)3月27日:犬飼 - 三重町間を延伸開業、菅尾・三重町の各駅を新設[14]
  • 1922年(大正11年)
    • 4月1日:下郡連絡所を下郡信号場に改称。
    • 9月2日:軽便線の呼称を廃止し、犬飼軽便線を犬飼線に改称[14]
    • 11月23日:三重町 - 緒方間を延伸開業、牧口・緒方の各駅を新設[14]
  • 1923年(大正12年)12月20日:緒方 - 朝地間を延伸開業、朝地駅を新設[14]
  • 1924年(大正13年)10月15日:朝地 - 豊後竹田間を延伸開業、豊後竹田駅を新設[14]
  • 1925年(大正14年)11月30日:豊後竹田 - 玉来間を延伸開業、玉来駅を新設[14]

宮地線(熊本 - 宮地)

  • 1914年(大正3年)6月21日:熊本 - 肥後大津間を宮地軽便線として開業、春竹・水前寺・竜田口・三里木・肥後大津の各駅を新設[20]
  • 1916年(大正5年)11月11日:肥後大津 - 立野間を延伸開業、瀬田・立野の各駅を新設[14]
  • 1918年(大正7年)1月25日:立野 - 宮地間を延伸開業、赤水・内牧・坊中・宮地の各駅を新設[14]
  • 1920年(大正9年)7月25日:原水駅を新設。
  • 1922年(大正11年)9月2日:軽便線の呼称廃止にともない宮地軽便線を宮地線と改称[14]
  • 1928年(昭和3年)2月12日:立野 - 高森間の支線を開業、長陽・阿蘇下田・中松・阿蘇白川・高森の各駅を新設[14]

豊肥本線(全通後)

全通当時の坂ノ上隧道宮地口付近の様子
  • 1928年(昭和3年)12月2日:玉来 - 宮地間を延伸開業し豊肥本線が全通、波野・滝水・豊後荻の各駅を開業、宮地線と犬飼線をあわせて豊肥本線と改称し、同時に宮地線支線(立野 - 高森間)を高森線に分離[14]
  • 1940年(昭和15年)5月1日:春竹駅を南熊本駅に改称[21]
  • 1941年(昭和16年)10月1日:竹中 - 中判田駅間を機関車と客車2両が転落し、44名が死亡する事故が発生[22]
  • 1943年(昭和18年)9月20日:8時20分ごろ、滝水 - 豊後荻駅間で熊本駅発大分行き列車(機関車1両、客車3両)が30m下の谷底に転落し、2名が死亡する事故が発生[23][24]。折からの豪雨で築堤が流出していたため[23]
  • 1960年(昭和35年)3月10日:市ノ川駅を新設。
  • 1961年(昭和36年)3月20日:坊中駅を阿蘇駅に改称[15]
  • 1963年(昭和38年)3月20日:下郡信号場を廃止。
  • 1967年(昭和42年)8月13日:下郡信号場(2代)を新設(初代と同所。大分電車区への分岐点)。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1981年(昭和56年)10月1日:武蔵塚駅を新設。
  • 1983年(昭和58年)11月30日:大分 - 熊本間CTC使用開始[26]、制御所は立野と大分に設置
  • 1986年(昭和61年)
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月22日:敷戸駅を新設[27]
    • 4月1日:大分 - 竜田口間の貨物営業を廃止 (-139.1km)、国鉄分割民営化にともない九州旅客鉄道(第1種)・日本貨物鉄道(熊本 - 竜田口間・第2種)が承継。
  • 1988年(昭和63年)3月13日:新水前寺駅を新設。
  • 1989年(平成元年)3月11日:いこいの村駅を新設。
  • 1990年(平成2年)
    • 1月1日:日本貨物鉄道が竜田口 - 熊本間の第二種鉄道事業を休止 (-8.9km)[15]
    • 7月2日:緒方 - 阿蘇間が集中豪雨のため不通[15]
    • 7月7日:宮地 - 阿蘇間が復旧[15]
    • 11月1日:牧口駅を豊後清川駅に改称[28]
  • 1991年(平成3年)
  • 1992年(平成4年)7月15日:平成駅を新設[15]
  • 1993年(平成5年)
    • 9月2日:三重町 - 緒方間が台風による土砂災害で不通[15]
    • 9月16日:三重町 - 豊後清川間が復旧。
    • 12月1日:日本貨物鉄道が竜田口 - 熊本間の第二種鉄道事業を廃止 (-8.9km)[15]
  • 1994年(平成6年)5月1日:全線復旧[15]
  • 1999年(平成11年)10月1日:肥後大津 - 熊本間を電化[15]
  • 2002年(平成14年)3月23日:大分大学前駅を新設。
  • 2004年(平成16年)
  • 2006年(平成18年)3月18日:光の森駅を新設。
  • 2012年(平成24年)
    • 7月12日:緒方 - 肥後大津間が九州北部豪雨により橋梁の一部と路盤が流失するなどの被害を受け不通。
    • 7月24日:立野 - 肥後大津間が復旧[29]
    • 8月20日:緒方 - 豊後竹田間が復旧[30]。同日13時から豊後荻 - 宮地間でジャンボタクシーによる代行輸送を開始。
    • 9月3日:宮地 - 立野間が復旧。豊後竹田 - 宮地間でバス代行輸送[18][31]
    • 12月1日:大分 - 中判田間および肥後大津 - 熊本間にSUGOCAを導入。
  • 2013年(平成25年)8月4日:豊後竹田 - 宮地間が復旧し、全線で運転再開する[18]

駅一覧

下り方向(熊本から大分方向)に記述する。

  • 停車駅
    • 普通列車は全駅に停車。
    • 特急列車の停車駅については「九州横断特急」参照。
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、◆:列車交換可(スイッチバック駅)、|:列車交換不可
電化/非電化 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地
電化 熊本駅 - 0.0 九州旅客鉄道九州新幹線鹿児島本線三角線[* 1]
熊本市交通局幹線田崎線熊本駅前電停
熊本県 熊本市 西区
平成駅 2.7 2.7   中央区
南熊本駅 0.9 3.6  
新水前寺駅 1.6 5.2 熊本市交通局:幹線 (新水前寺駅前駅
水前寺駅 0.6 5.8  
東海学園前駅 2.0 7.8   東区
竜田口駅 1.1 8.9   北区
武蔵塚駅 4.0 12.9  
光の森駅 1.9 14.8  
三里木駅 1.0 15.8   菊池郡 菊陽町
原水駅 3.1 18.9  
肥後大津駅 3.7 22.6   大津町
非電化 瀬田駅 4.6 27.2  
立野駅 5.1 32.3 南阿蘇鉄道高森線 阿蘇郡南阿蘇村
赤水駅 7.9 40.2   阿蘇市
市ノ川駅 2.4 42.6  
内牧駅 3.8 46.4  
阿蘇駅 3.5 49.9  
いこいの村駅 1.3 51.2  
宮地駅 2.2 53.4  
波野駅 10.7 64.1  
滝水駅 4.9 69.0  
豊後荻駅 6.2 75.2   大分県 竹田市
玉来駅 9.7 84.9  
豊後竹田駅 3.1 88.0  
朝地駅 5.9 93.9   豊後大野市
緒方駅 6.4 100.3  
豊後清川駅 5.1 105.4  
三重町駅 6.5 111.9  
菅尾駅 5.4 117.3  
犬飼駅 7.9 125.2  
竹中駅 5.6 130.8   大分市
中判田駅 5.5 136.3  
大分大学前駅 2.5 138.8  
敷戸駅 1.4 140.2  
滝尾駅 2.7 142.9  
電化※ 下郡信号場 - 145.8  
大分駅 5.1 148.0 九州旅客鉄道:日豊本線久大本線(ゆふ高原線)
  1. ^ 三角線の正式な起点は鹿児島本線宇土駅だが、運転系統上は全列車が熊本駅に乗り入れる

※:下郡信号場 - 大分駅間の電化は大分鉄道事業部大分車両センターへの回送列車のためのもの

過去の接続路線

脚注

  1. ^ SUGOCAのご利用可能エリアを平成24年12月1日(土)に拡大します - 九州旅客鉄道ニュースリリース 2012年9月19日
  2. ^ SUGOCAは、エリア内のご乗車であれば最も安い運賃で減額します - SUGOCA公式サイト内
  3. ^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 5頁
  4. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  5. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 7頁
  6. ^ a b c d 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 8頁
  7. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 9頁
  8. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 10頁
  9. ^ プレスリリース発表時点では亀川発の折り返し列車は久大本線向之原行きと、大分行きとなっている。“平成27年春ダイヤ改正”. 九州旅客鉄道 
  10. ^ 熊本-肥後大津間に快速 豊肥線特急廃止でJR 2010年12月11日[リンク切れ] - 熊本日日新聞 2010年12月18日閲覧
  11. ^ a b c 平成23年春ダイヤ改正 - JR九州公式リリース 2010年12月18日閲覧
  12. ^ 平成25年春ダイヤ改正 - JR九州公式サイト 2012年12月20日
  13. ^ 観光特急「あそぼーい!」運転開始。 - 鉄道ホビダス、編集長敬白、2011年06月16日
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 14頁
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻27号 豊肥本線/久大本線 15頁
  16. ^ “豊肥線全面復旧に1年 九州豪雨被害”. 西日本新聞. (2012年8月2日). http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/316149 2012年8月2日閲覧。 
  17. ^ 豊肥本線運転再開に伴う運転計画およびきっぷの発売について - JR九州お知らせ 2013年8月4日閲覧
  18. ^ a b c d “豊肥線388日ぶり全線運転再開”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (2013年8月14日) 
  19. ^ 豊肥本線 宮地駅〜豊後竹田駅間の運転再開について(別紙1) (PDF) - JR九州公式サイト 2013年6月19日
  20. ^ 「開通せる宮地線」1914年6月20日付大阪毎日新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  21. ^ 『豊肥線物語』312頁
  22. ^ 『豊肥線物語』65-69頁
  23. ^ a b “機関車、客車転落 豊肥線滝水豊後荻間の築堤流失”. 大分合同新聞(朝刊) (大分合同新聞社): p. 2. (1943年9月21日) 
  24. ^ “列車転落遭難者 即死二名・重軽傷卅六名”. 大分合同新聞(朝刊) (大分合同新聞社): p. 2. (1943年9月22日) 
  25. ^ 『世界の鉄道』1974年版、195頁
  26. ^ 『豊肥線物語』314頁
  27. ^ “新駅にあふれる笑顔 牧、敷戸駅がスタ−ト 盛大に門出祝う”. 大分合同新聞(朝刊) (大分合同新聞社): p. 15. (1987年2月23日) 
  28. ^ “「豊後清川駅」が誕生 御嶽太鼓で祝う ″牧口駅″改称”. 大分合同新聞(朝刊) (大分合同新聞社): p. 17. (1990年11月2日) 
  29. ^ トロッコ列車、キャンセル相次ぐ 南阿蘇鉄道 - 熊本日日新聞 2012年7月23日
  30. ^ 九州北部豪雨の影響による運行状況について (PDF) - JR九州、2012年8月20日
  31. ^ 九州北部豪雨の影響による運行状況について(9月3日現在) (PDF) - JR九州、2012年9月3日

参考文献

関連項目