谷野格

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谷野格

谷野 格(たにの かく、1874年明治7年)8月16日[1][2] - 1923年大正12年)6月10日[3])は、日本裁判官

経歴[編集]

兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身[2]1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる[1]。東京区裁判所検事東京地方裁判所検事、司法省参事官、東京控訴院検事、東京帝国大学法科大学講師嘱託を歴任[2]1913年(大正2年)、大審院判事となる[1]1914年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員に就任。1916年(大正5年)には法学博士の称号を得た[1]

1917年(大正6年)、台湾総督府法院判官に転じ、覆審法院長、高等法院長を務めた[1][4]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。 
  • 高千穂学園八十年編集委員会編『高千穂学園八十年史』(学校法人高千穂学園、1983年)