許波多神社

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許波多神社(こはたじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社である。式内社(名神大社)「許波多神社」の比定社であるが、宇治市内には許波多神社という名前の神社が木幡と五ヶ庄の隣接する2つの地区にあり、それぞれ異なる社伝を伝える。旧社格はどちらも郷社。旧称柳大明神

延喜式神名帳では名神大社に列する。大海人皇子(後の天武天皇)や坂上田村麻呂が戦勝を祈願したと伝えられ、勝運を授かる神社として信仰されている。どちらの許波多神社も天忍穂耳命が祭神に加えられている。式内社で天忍穂耳命を祭神とする神社は許波多神社だけであることから、鎌倉時代の『釈日本紀』には「許波多神社に座す神は宗廟の神として、他と異にして尊崇すべきである」と記されている。永禄12年(1569年)には最高位の正一位の神階を受けた。

戦国時代、戦火により社殿のほとんどを焼失し、古伝も失われた。

五ヶ庄の許波多神社

許波多神社
所在地 京都府宇治市五ヶ庄古川13
位置 北緯34度55分0秒 東経135度47分38秒 / 北緯34.91667度 東経135.79389度 / 34.91667; 135.79389
主祭神 瓊々杵尊
天忍穂耳尊
神日本磐余彦尊
社格 式内社(名神大)・郷社
創建 大化元年(645年)
本殿の様式 流造
例祭 11月3日
主な神事 星祭り(2月節分
天王・福島祭(9月23日
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天忍穂耳命のほか瓊々杵尊、神日本磐余彦尊(神武天皇)を祀る。

社伝では、大化元年(645年)、蘇我倉山田石川麻呂の奏上により、孝徳天皇中臣鎌足に命じて木幡荘に皇祖を祀る神殿を造営させたのに始まると伝えられる。当時は柳山の地に社殿があったことから「柳大明神」と呼ばれるようになり、江戸時代までは「柳神社」を正式の社名としていた。明治時代、陸軍宇治火薬製造所(現 陸上自衛隊宇治駐屯地)の建設のため社地全体が官有地として召し上げられ、当社は御旅所であった旧岡田村内の現在地に遷座し、その際に社名を旧称の許波多神社に改称した。

平安時代後期の作とされる男女一対(馬頭天王弁財天)の神像が伝わるが、これは附属の寺で祀られていたものである。本殿には、鎌倉時代の作とされる天忍穂耳命の神像が祀られている。

かつて、社殿より続く東西2町の馬道で競馬(くらべうま)の神事が行われており、「競馬発祥の神社」とされている。当社に残る平安時代の(あぶみ)は重要文化財に指定されている。ほかにも、馬頭天王の神像があることから、「馬の神社」として競馬ファンや競馬関係者の信仰を集めている。

文化財

重要文化財
  • 本殿
  • 鉄宝相華孔雀銅象嵌半舌鐙(てつ ほうそうげくじゃく どうぞうがん はんじたあぶみ)一双、附:鉄舌長鐙 一双
府指定有形文化財
  • 男女神像 二体

外部リンク

許波多神社画像


木幡の許波多神社

許波多神社
所在地 京都府宇治市木幡東中1
位置 北緯34度55分36秒 東経135度47分55秒 / 北緯34.92667度 東経135.79861度 / 34.92667; 135.79861
主祭神 天忍穂耳尊
天照大御神
天津日子根命
社格 式内社(名神大)・郷社
創建 大化元年(645年)
本殿の様式 流造
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社伝では、大化元年(645年)、皇極天皇が夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたと伝えられる。壬申の乱を前に大海人皇子が大津宮から吉野に向かう際、社頭に柳の枝を挿して「我に天位を践まば、この柳、芽を出すべし」と戦勝を祈願した。大海人皇子が即位すると柳の枝が芽を出したことから、天皇は霊験を賛えて「柳大明神」の名を贈り、社領を寄進したという。

明治41年(1908年)に旧河原村の田中神社を合祀したため、同社の祭神であった天照大御神天津日子根命も祭神としている。

境内には「狐塚」と呼ばれる宇治陵第36号墳墓があり、藤原基経の墓と伝えられている。

境内社

  • 市杵島神社
  • 稲荷神社
  • 愛宕神社
  • 八幡宮社
  • 天照皇大神宮
  • 春日神社