西鉄600形電車 (軌道)

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西鉄北九州線600形電車
600形649(左 後期更新車)・600形625(右 前期更新車)
(平成12年11月初旬、筑豊電鉄萩原駅)
基本情報
製造所 新潟鐵工所・川崎車輌・近畿車輛
主要諸元
軌間 1435
電気方式 直流600V(架空電車線方式)
最高運転速度 60
車両定員 80人(座席36人)
車両重量 16.3t
全長 12,200
全幅 2,400
全高 4,030
主電動機 TDK524-2c
主電動機出力 45.0kw
駆動方式 吊り掛け駆動方式
制御装置 直接式抵抗制御
制動装置 直通式空気ブレーキ
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前期更新車・非冷房の610、平成4年10月24日、室町電停付近)
後期更新車・非冷房の616、平成4年10月24日、室町電停付近)

西鉄600形電車(にしてつ600けいでんしゃ)とは、西日本鉄道(西鉄)北九州線で使用されていた路面電車車両の一形式である。

製造経緯・車両構造

北九州線の前身である九州電気軌道が開業当初から使用している1形・35形木造ボギー車を置き換えるため、1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)にかけて近畿車輛川崎車輌新潟鉄工所の3社で計50両が製造された。全50両中の半数以上にあたる32両が近畿車輛製であった。

車体は66形の更新車とほとんど同一形状で、張り上げ屋根に正面3枚窓、両端に折り戸を設け、側面扉間に上段固定下段上昇窓が10枚あるスタイルであった。集電装置は当初トロリーポールだったが1955年(昭和30年)ごろにパンタグラフに変更している。台車は川崎製が川車600、新潟製がNT-5(いずれもK-10と同形)、近車製が鋳鋼ウイングバネ台車のFS-51であった。

本形式の導入により、木造車両1形・35形は福岡市内線に転属し、100形となった。

運用

昭和25年の製造以来、北九州線100形と共に、長らくボギー車の主力をなしていた。1970年(昭和45年)にワンマン化改造が実施され、前面中央窓をHゴム支持化し、後扉に隣接する窓1枚を埋めて方向幕と外部放送用スピーカーを設置している。

1981年(昭和56年)から車体強化などの更新工事が実施された。将来の冷房化に備えて車体構造を強化し、側面上段窓をHゴム支持(いわゆる「バス窓」)に改めている。このうち1983年(昭和58年)末以降に施行された21両は前面中央窓および方向幕を拡大、前照灯が筑豊電鉄2000形3両連接車と同様のシールドビーム2灯に改められ、前面中央に西鉄の社紋がつけられた。さらに車内を床も含めて鋼板張りにして不燃化を図った。更新工事は1986年(昭和61年)まで実施され、昭和60年の路線縮小時に未更新だった6両の内603 - 605・636の4両は廃車となった。この廃止により系統が砂津 - 折尾のみになり、パンタグラフは折尾側に統一されている。

路線縮小の翌年から残存車両の冷房改造が始まった。改造に際しては中央部の屋根上に冷房装置が、非パンタグラフ側寄りの屋根上に冷房電源用の電動発電機などを収納した機器箱がそれぞれ搭載された。冷房化された車両は同時に塗色変更も行われ、その後保安ブレーキ取り付け工事も施工されている。しかし予算の都合で新規の冷房化改造は1989年(平成元年)を最後に途絶え、改造車は半数の23両にとどまり保安ブレーキ取り付けも全冷房車両には及ばなかった。

1992年(平成4年)の一部廃止(路面区間全廃)の際には冷房改造車の611・619・621・622・625・632・635・646・649の9両を残し、他はすべて廃車された。一部の廃車車両は砂津車庫にしばらく留置されていたが、保存された634を除き後にすべて解体されている(634ものちに解体)。

1998年(平成10年)には運用減から632・635が廃車となった。残る7両は2000年(平成12年)の北九州線全廃まで使用され、全廃と同時に廃車となった。

他社への譲渡車両はないが、一部の廃車車両の主要機器が長崎電気軌道に売却され同社の1500形1800形に活用されている。なお、現在広島電鉄に在籍している元北九州線602号は、北九州線時代は502号(500形)であり、本形式ではない。

保存車については後述する。

各車両

車番 製造メーカー 各改造点 廃車年 備考
601 新潟鐵工所 シールドビーム改造 1992年
602 新潟鐵工所 1992年 車体更新第1号車
603 新潟鐵工所 1985年 1985年枝光線廃止時の最終電車
604 新潟鐵工所 1985年
605 新潟鐵工所 1985年
606 川崎車両 シールドビーム改造 1992年
607 川崎車両 シールドビーム改造 1992年
608 川崎車両 シールドビーム改造 1992年
609 川崎車両 シールドビーム改造 1992年
610 川崎車両 1992年
611 近畿車輛 シールドビーム・冷房改造 2000年
612 近畿車輛 冷房改造 1992年
613 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
614 近畿車輛 冷房改造 1992年 末期に八高生によるお別れメッセージ号塗装
615 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
616 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
617 近畿車輛 冷房改造 1992年 正面左端窓も2段化
618 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
619 近畿車輛 シールドビーム・冷房改造 2000年 シールドビーム改造第1号車
620 近畿車輛 冷房改造 1992年 末期に八工生によるお別れメッセージ号塗装
621 近畿車輛 冷房改造 2000年 2000年黒崎駅前~折尾間さよなら電車
622 近畿車輛 シールドビーム・冷房改造 2000年
623 近畿車輛 冷房改造 1992年
624 近畿車輛 冷房改造 1992年
625 近畿車輛 冷房改造 2000年
626 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
627 近畿車輛 1992年
628 近畿車輛 冷房改造 1992年
629 近畿車輛 冷房改造 1992年 1992年黒崎駅前→砂津間さよなら電車
630 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
631 近畿車輛 冷房改造 1992年
632 近畿車輛 冷房改造 1998年 正面左端窓も2段化
633 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
634 近畿車輛 冷房改造 1992年 末期に西高生によるお別れメッセージ号塗装
635 近畿車輛 冷房改造 1998年 1992年砂津→黒崎駅前間さよなら電車
636 新潟鐵工所 1985年
637 新潟鐵工所 1992年 廃車後しばらく砂津車庫で留置
638 新潟鐵工所 シールドビーム改造 1992年
639 新潟鐵工所 シールドビーム改造 1992年
640 新潟鐵工所 1992年
641 新潟鐵工所 1992年
642 新潟鐵工所 シールドビーム改造 1992年
643 新潟鐵工所 1992年
644 近畿車輛 冷房改造 1992年
645 近畿車輛 シールドビーム改造 1992年
646 近畿車輛 シールドビーム・冷房改造 2000年
647 近畿車輛 冷房改造 1992年
648 近畿車輛 冷房改造 1992年
649 近畿車輛 シールドビーム・冷房改造 2000年 廃止当日最後の営業運転車両
650 近畿車輛 冷房改造 1992年
  • 上記のとおり冷房改造されたのはすべて近畿車輛製の車両であった。
  • 614・620・634は廃止直前に『お別れメッセージ号』と言う名で沿線の高校生によりオリジナル塗装がなされた。
  • 1996年の西鉄社章変更の時に、残存シールドビーム車両は車両正面のこの社章がはずされたが、619はしばらくこの社章がつけられたままになっていた。

保存車

筑前山家駅構内で保存されている621号(2003年1月)

1992年(平成4年)の一部廃止により廃車となった『お別れメッセージ号』の車両のうち、634が当時西鉄の経営していた到津遊園の駐車場に保存された。しかし車体の腐食が進み、2000年(平成12年)に同園が閉園された後に撤去され現存しない。

2000年の北九州線全廃まで残った車両のうち、611・621は廃車後に競売に出された。611は2011年現在、京都郡苅田町にある北九州保育福祉専門学校附属苅田幼稚園に保存されており、非公開だが外部から見ることができる。621は私設団体に引き取られ、筑紫野市筑前山家駅構内の空き地に置かれ、維持管理が行われていたが、2012年(平成24年)7月にかしいかえん内に設置された「レトロ電車パーク」に移設された[1]

脚注

  1. ^ "かしいかえんに西鉄電車ミニ博物館が!「レトロ電車パーク」7/13オープン!" (PDF) (Press release). 西日本鉄道. 12 July 2012.