西野努

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西野 努
名前
愛称 西野さん、西野TD、
カタカナ ニシノ ツトム
ラテン文字 NISHINO Tsutomu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-03-13) 1971年3月13日(53歳)
出身地 奈良県生駒市
身長 186cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西野 努(にしの つとむ、1971年3月13日 - )は奈良県生駒市出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF

来歴・人物[編集]

学生時代は奈良県立奈良高等学校から神戸大学経営学部へ進学。この進学は会計士になることが目的だった[1]。受験勉強の反動での遊びに飽きた頃に高校の先輩の勧誘でサッカー部に入る[1]。全国大会出場歴や代表歴などの特筆される経歴を持たない全く無名の選手であった。サッカー部には指導者がいなかったため、練習などはすべて自主的に運営していたという[1]。当時の神戸大学サッカー部は関西学生リーグの1部と2部を行ったり来たりするようなチームであったが[1]、西野の同期に高校時代に国体で活躍するような選手が何人かおり、関西学生リーグ1部に昇格した。さらに関西学生選抜代表チームに選ばれる中で、4年生の春にはガンバ大阪から練習に誘われ、続いて浦和レッドダイヤモンズからも夏に声をかけられた[1]。西野は父の会計事務所を継ぐべく会計士の勉強を始めていたが、「(契約期間の)2年やってみてダメならそれでいい」とプロ入りを決意する[1]

卒業後の1993年にJリーグの浦和レッドダイヤモンズへ入団。1年目よりリーグ戦出場を果たすと、浦和のDFラインでプレーを続けた。1998年には日本代表候補にも選出された。

引退後はイギリスリヴァプール大学に留学しMBAを取得する[2]。浦和のフロント(スカウトなど)を経て、複数の会社の取締役をつとめる傍ら、浦和レッズ関係各種イベント出演・講演・執筆活動など多方面で活動を続けている[2]

2015年4月には神奈川県茅ヶ崎市に中学生を対象としたサッカークラブAFC茅ヶ崎を設立した[3]

2008年に産業能率大学客員教授に就任[4]。2016年から2019年まで産業能率大学 情報マネジメント学部教授を務めた[5]

2019年11月より浦和レッドダイヤモンズのテクニカルダイレクターに就任[6]。テクニカルダイレクターの業務について西野はポーランドのサッカーメディアAzjaGolaのインタビューにおいて「スカッドの計画」と「チームマネジメント」と説明している。「スカッドの計画」は雇用、スカウト、契約の締結と更新などを指し、スカウト担当3名、様々な業務の担当2名、法務担当1名のスタッフを統括する立場となる。「チームマネジメント」は日々のトレーニング計画の策定、トレーニングの準備、遠征の管理、選手やクラブ従業員への給与支払いおよび業績の評価を行う。また、西野は取締役会やクラブ社長とのコミュニケーションを図る役割も担っている[7]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 浦和 - J 18 0 2 0 0 0 20 0
1994 0 0 0 0 0 0 0 0
1995 17 0 - 2 0 19 0
1996 0 0 3 0 0 0 3 0
1997 12 25 3 5 0 1 0 31 3
1998 3 27 2 4 0 3 0 34 2
1999 J1 9 1 0 0 0 0 9 1
2000 12 J2 27 4 2 0 4 0 33 4
2001 J1 11 0 2 0 0 0 13 0
通算 日本 J1 107 6 16 0 6 0 129 6
日本 J2 27 4 2 0 4 0 33 4
総通算 134 10 18 0 10 0 162 10

代表歴[編集]

  • 1998年 日本代表候補

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 神戸大学広報誌 風 No.13 (PDF) - 神戸大学、2019年7月、pp.14 - 15(「キラリ 神大OG・OB」)
  2. ^ a b 元浦和レッズ西野努さんが語る 絶対に勉強もやった方がいい理由”. サカイク (2014年3月18日). 2021年6月16日閲覧。
  3. ^ AFC茅ヶ崎とは”. AFC茅ヶ崎. 2021年9月16日閲覧。
  4. ^ スポーツチームのリーダーシップと人的マネジメント” (PDF). 経営センサー4月号 2019 No.211. 東レ経営研究所 (2019年4月16日). 2021年9月16日閲覧。
  5. ^ 【第12回 神戸大学卒業生交流会】”. 神戸大学卒業生交流会 (2021年4月11日). 2021年9月16日閲覧。
  6. ^ 2020シーズン強化体制のお知らせ』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2019年11月26日https://www.urawa-reds.co.jp/clubinfo/2020%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3%E5%BC%B7%E5%8C%96%E4%BD%93%E5%88%B6%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/2021年9月16日閲覧 
  7. ^ Kamil Gala (2021年9月9日). “Diament, który próbuje odzyskać swój blask. Rozmowa z dyrektorem technicznym Urawy Reds.” (ポーランド語). AzjaGola. 2021年9月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]