西園寺実益

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西園寺実益(さいおんじ さねます、永禄3年(1560年) - 寛永9年3月12日1632年5月1日))は、安土桃山時代から江戸時代前期の公卿正親町天皇(106代)・後陽成天皇(107代)・後水尾天皇(108代)の三朝にわたり朝廷に奉仕し、官位従一位右大臣まで昇った。父は左大臣西園寺公朝。母は内大臣万里小路秀房の娘。妻は久我晴通の娘。子に内大臣西園寺公益がいる。

永禄4年(1561年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、元亀3年(1572年)に従三位となり公卿に列する。その後も権中納言権大納言を経て、天正8年(1580年)に右近衛大将に就任した。以降慶長8年(1603年)までの長きにわたり右近衛大将に在職した。慶長4年(1599年)には神宮伝奏を兼務する。慶長16年(1611年)に再度右近衛大将となり、慶長19年(1614年)にはそれを辞して新たに内大臣に転じた。元和3年(1617年)に従一位へと進み、元和4年(1618年)に内大臣を辞職。元和6年(1620年)には右大臣となるも翌年に辞職している。

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