西勇輝

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西 勇輝
オリックス・バファローズ #21
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県三重郡菰野町
生年月日 (1990-11-10) 1990年11月10日(33歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト3位
初出場 2009年9月21日
年俸 3,000万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西 勇輝(にし ゆうき、1990年11月10日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。愛称は「西のユウちゃん」。

経歴

プロ入り前

三重県三重郡菰野町出身。三重県立菰野高等学校では2年生の時からエースとして活躍。2年の夏の三重県大会は決勝まで進み、三重県立宇治山田商業高等学校と決勝で対戦するが中井大介(現:読売ジャイアンツ)にバックスクリーン本塁打を打たれるなど4失点し敗北。3年夏は再び県大会決勝で宇治山田商業と対戦。5-2で勝利して第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場を決めた。

2008年度ドラフト会議オリックス・バファローズから3位で指名を受け入団した。

プロ入り後

新人の2009年はファームで18試合登板、その活躍が認められシーズン終盤に1軍昇格を果たした。9月21日の楽天戦でプロ入り初登板。オリックス・バファローズ史上初となる、高卒新人の一年目で一軍登板を記録し、投球内容も1イニングを見事に三者凡退に抑えた。その後、球団としては、オリックス・ブルーウェーブ時代の平井正史以来、15年ぶりとなる高卒新人の先発起用も示唆されるほど首脳陣の期待は高まったが、結局はリリーフとして3試合登板したのみだった。それでも、4回を無安打無失点と結果を残した。

2010年はビハインドでの登板が主ながらも、ロングリリーフで結果を残すなど18試合に登板し、防御率3.41とまずまずの成績を残した。8月12日のソフトバンク戦ではプロ初先発を務め、5回2死までは無安打に抑えながらも、勝利投手まであと一人のところで松田宣浩に同点適時打を浴びるなど逆転を許し、プロ初勝利はお預けとなった。9月5日のソフトバンク戦では、この日プロ初先発した山田修義の後続として4回から登板し、10代リレーを達成する。その後6回まで無失点に抑え、6回裏に味方も勝ち越して勝利投手の権利を得るも、7回表にまたも松田に同点被弾を許し、またしてもプロ初勝利を逃した。夏には顔面神経麻痺を発症し、病との戦いになった。

2011年はオープン戦から結果を出し、早々にローテーション入りを確定させた。4月17日の楽天戦に登板し、初回に犠飛で失点するも、3回から6回までは三者凡退に抑え、7回8奪三振3安打1失点と好投。8回表に味方打線が逆転した事により、高校時代に勝てなかった甲子園でプロ初勝利を飾った。シーズン序盤は味方打線が振るわない試合が多い中、自身は順調に白星を積み重ねていき、4試合目の先発となった5月8日のロッテ戦では7回を3失点に抑え、開幕4連勝を達成した[1]。オリックスの投手としては1993年の長谷川滋利以来、前年未勝利投手の4戦4勝は阪急時代で当時新人だった1978年の三浦広之以来である[2]。その後、連勝は4でストップするも、6月4日の広島戦で5勝目を挙げて順調に思われた。ところが、6月11日の巨人戦で風邪による体調不良により急遽登板を回避し(エバン・マクレーンが代理で先発)、岡田彰布監督に「自己管理ができていない」と叱責を受け、登録を抹消された。その後一軍復帰を果たし、7月1日のソフトバンク戦では7回表からの3イニングを無失点に抑え、プロ初セーブを記録[3]。その後は先発とリリーフで登板するも、8月4日のソフトバンク戦では5回表に細川亨へ顎に死球を与え危険球退場となる[4]等、不安定な投球が目立ち勝ち星から遠ざかっていた。しかし、8月11日の楽天戦で9回9奪三振1失点で、約2ヶ月ぶりの白星となる6勝目をプロ初完投勝利で飾ると[5]、その後は一転して順調に白星を重ねていった。しかし、9月29日のロッテ戦では先発自己最短となる2回2/3を3失点で6敗目。その後、中1日で10月1日の楽天戦で、1点リードの5回表に登板するも逆転を許し、3日で2敗した事に関して岡田監督に「重みがわかっていない」と評され、再度二軍降格となった。しかし、再調整を経て昇格した10月13日の対ロッテ最終戦で、7回2/3を無失点と好投し、自身初の2桁勝利を飾った。山あり谷ありのシーズンとはなったが、チームのクライマックス・シリーズ争いに大きく貢献した一年となった。

プレースタイル

平均球速約141km/h[6]、最速150キロのストレートに加え、スライダーカーブチェンジアップを交える[6]。プロ入り一年目からすでに完成されたフォームに、10球程度で肩が出来上がる仕上がりの早さ、物怖じしないマウンド度胸が持ち味である[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 オリックス 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 13 4.0 0 0 1 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.25
2010 18 1 0 0 0 0 0 0 1 ---- 128 31.2 21 3 14 0 1 31 0 0 12 12 3.41 1.11
2011 25 18 1 0 1 10 7 1 0 .588 537 130.2 109 8 26 0 16 106 1 0 49 44 3.03 1.03
通算:3年 46 19 1 0 1 10 7 1 1 .588 678 166.1 130 11 41 0 17 139 1 0 61 56 3.03 1.03
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

投手記録
打撃記録

背番号

  • 63 (2009年 - 2011年)
  • 21 (2012年 - )

関連情報

写真集

脚注

  1. ^ T―岡田が逆転2ラン!西 ハーラートップ4勝目スポーツニッポン 2011年5月8日付記事
  2. ^ 日刊スポーツ・大阪版 2011年5月9日付紙面記事 6版6面 「データセンター」より。
  3. ^ オリ・西がプロ初セーブ「うれしいです」SANSPO.COM 2011年7月1日付記事。
  4. ^ 今季パ・リーグ初 西が危険球で退場 - 2011年8月4日
  5. ^ 西プロ初完投!オリックス5連勝、楽天は2季ぶり7連敗スポーツニッポン 2011年8月11日付記事
  6. ^ a b 変化球ラーニング チェンジアップ編 西勇輝『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、18-19頁。
  7. ^ ウエスタン一番星

関連項目