衛藤晟一
衛藤晟一 えとう せいいち | |
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生年月日 | 1947年10月1日(76歳) |
出生地 | 大分県大分市 |
出身校 | 大分大学経済学部卒業 |
所属政党 | 自由民主党(二階派) |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2007年7月30日 - 現職 |
内閣 |
第2次安倍内閣 第2次安倍改造内閣 第3次安倍内閣 |
在任期間 | 2012年12月26日 - 現職 |
選挙区 |
(旧大分1区→) (大分1区→) 比例九州ブロック |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1990年2月19日 - 2000年6月2日 2003年11月11日 - 2005年8月8日 |
選挙区 | 大分市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1979年4月 - 1986年11月 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1973年 - 1979年3月 |
衛藤 晟一(えとう せいいち、1947年10月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、内閣総理大臣補佐官(国政の重要課題担当)、自民党大分県連会長。過去に、自民党参議院幹事長代行、衆議院議員(4期)。
来歴・人物
学生時代
大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学[1]。大学在学中、宗教法人生長の家の政治活動に参加し[2]、別府大学の井脇ノブ子と共に九州学生自治体連絡協議会(のちの全国学生自治体連絡協議会)を結成。自身も大分大で保守派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。
政治家としての活動
1973年、大分市議会議員に当選。1979年には大分県議会議員に当選し、2期務めた。
1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・塩谷立・細田博之・古屋圭司・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦など)。3期連続当選したが、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では民主党の釘宮磐に敗れ、比例区でも復活できずに落選した。
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では無所属(民主党推薦)の吉良州司に敗れたが、比例九州ブロックで復活当選。2004年9月、厚生労働副大臣に就任。2005年7月5日の郵政国会では、郵政民営化に造反して反対票を投じたため、副大臣を罷免された[4]。同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、自民党大分県連が衛藤の公認を申請していた[5]が、自民党本部は佐藤錬の公認を決定した[6]。衛藤は無所属で大分1区から出馬したが、民主党に入党していた吉良に再び敗れ落選。
2007年(平成19年)7月29日の第21回参議院議員通常選挙で比例区からの立候補を希望し、自民党に公認を申請したことが引き金となって前年末に続く郵政造反組復党問題が起こる。党内では前年末の「造反組議員」復党で内閣の支持率が下がったことなどから根強い反対意見も有ったが、総裁・安倍晋三が自民党の総裁推薦候補(自民党には比例代表選挙に際して総裁が自らの推薦候補を1名だけ指名できる慣例がある)を衛藤にすることに強い意志を表明した。自民党党紀委員会では賛成10票、反対7票という異例の多数決となったが、復党が実現して比例代表候補となった。
地盤が狭い元衆議院議員が参議院比例区に立候補する場合、通常は地元の票固めを行う。しかし衛藤の支持層を比例区で取り込もうと考えていた公明党への配慮から、自民党本部は復党にあたって地元大分での選挙活動を認めないなどの厳しい制約を課した。衛藤は福岡県に選挙事務所を置こうとしたが、公明党はそれについても「九州内では意味がない」と反発したため、最終的に東京・渋谷に選挙事務所を置くことになった[7]。2007年6月11日に東京で開かれた「えとうせいいち君を激励する会」では、文部科学大臣の伊吹文明や自民党幹事長の中川秀直、政調会長の中川昭一などが支援を表明した。地元大分で活動できない中、202,314票を獲得して党内13位で当選。
2007年12月12日、参議院本会議において野党提出の郵政民営化凍結法案の採決で棄権したため、自民党参議院議員会長の尾辻秀久から厳重注意処分を受けた[8]。衛藤は「ボタンの押し忘れ」などと主張した[8]。
2008年(平成20年)4月14日、自民党大分県連により、県連復帰が承認された[9]。これに対して、公明党大分県本部代表で当時県議だった竹中万寿夫が同日の自民党県連年次大会出席を急遽取り止めた。竹中は衛藤の県連復帰により、「自公の信頼関係が崩れ、今後の自公協力が厳しくなる」と述べた。
2010年(平成22年)1月、議員グループのぞみに参加。自民党障害者特別委員長を務める。2011年、自民党参議院幹事長代行に就任。2012年12月、第2次安倍内閣の内閣総理大臣補佐官(国政の重要課題担当)に就任。
2013年(平成25年)4月23日、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会の一員として靖国神社に参拝[10]。
同年7月21日、第23回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し204,404票を獲得して党内10位で再選。
政策・主張
- 憲法9条の改正に賛成し,自衛隊を他国同様「国防軍」にすべき[11]。
- 集団的自衛権の行使容認に賛成[11]。
- 総理や閣僚の靖国参拝は問題ない[11]
- 婚外子の相続差別撤廃に反対し、2013年12月5日に可決された婚外子の相続分規定改正案に、自民党の党議拘束に反して賛成票を投じなかった[12]。
- 教育問題の一環として歴史教科書問題にも取り組んでいる。2004年10月、イギリスにおける歴史教科書問題を時のサッチャー政権が教育基本法を改正することで「自虐偏向」を「正常化」したとされる事例を現地調査するための、与野党合同の「イギリス教育改革調査団」を設立。2005年4月に、PHP研究所から中西輝政監修、自民党幹事長代理(当時)の安倍晋三らと共著で『サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道』を上梓した。
- 慰安婦問題に関しては、1997年に結成された「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の幹事長に就任。存在肯定派と否定派の両派の有識者を招いて意見を聞く勉強会を主催した。
- 2008年11月11日、自民党の国防関係合同部会にて、歴史認識に関して、日本国政府見解を否定する論文(「真の近現代史観」懸賞論文)を発表して航空幕僚長を更迭された田母神俊雄を擁護。「歴史認識を教育するなんてことを言ってもらったら困る」と述べ、日本の歴史教育の在り方を見直す考えを示すとした防衛省側を批判した[13]。
- 鳩山由紀夫内閣の選択的夫婦別姓法案に反対した[14]。
- 自社さ連立政権時代に、与党福祉プロジェクトチームに所属。自自公連立政権時代には、「これからは、老夫婦を看る子供の数は3分の1に減り、介護期間は今の10倍になります。掛け算すると30倍の負担です。介護保険を辞めたら家族の美風は崩壊してしまいます」と述べ、介護保険の成立に力を尽くした[15]。
エピソード
村山富市の首班指名をめぐって
1994年、羽田内閣の総辞職後の内閣総理大臣指名選挙について、総裁の河野洋平や幹事長の森喜朗が日本社会党委員長の村山富市を推したため、自民党両院議員総会は大いに紛糾した。しかし、旧大分1区[16]で村山と直接のライバル関係にあった衛藤が賛意を表明したことから、議論の流れが大きく変わり、村山首班指名で決着した[17]。この結果、自社さ連立政権が成立し、自民党は11ヵ月ぶりに政権に復帰した。
安倍晋三との関係
安倍晋三とは「盟友中の盟友」とされる[18]。1993年に衛藤が再選した時、安倍は初当選の新人議員だったが、共に憲法改正や教育問題、歴史認識に関して政治理念が一致していたため、行動を共にすることが多かった。衛藤は自民党社会部会長を務めていた頃、安倍を厚生行政に関わらせるように動いた[18]。1999年、それまでポストに恵まれなかった安倍は小渕内閣の改造・党人事で社会部会長(現・厚生労働部会長)に抜擢された。
衛藤は第44回衆議院議員総選挙の際に自民党を離党し、選挙で落選したが、第1次安倍内閣が発足すると、首相に就任していた安倍の強い意向により、落選者としては唯一自民党に復党した[18]。
参院選での選管による得票数不正操作事件
2013年(平成25年)7月21日執行の第23回参議院議員通常選挙で、衛藤は比例区において、全国から20万4,000票以上を獲得し当選したが、香川県高松市においては衛藤の得票数ゼロという、奇妙な集計結果が出た。
- この結果について、衛藤の支持団体の一つである香川県遺族連合会などは、開票ミスによるものであるとして、高松市選挙管理委員会に対し、票の再点検を求めていたが[19]、高松市選挙管理委員会は応じなかった。
- その後高松地方検察庁へ告発があり、同地検が捜査を進めた所、当時の高松市選挙管理委員会の選挙管理委員長ほか当時の高松市職員3名が、集計済の白票約300票を再度白票として入力させ、後で見つかった衛藤の312票は集計せずにダンボールに梱包し[20]、8月になってからそれを無効票の箱に移し替え、その他にも、同年9月と2014年(平成26年)1月にも、2010年の第22回参議院議員通常選挙の投票用紙を無効票の箱に入れたり、白票に文字を書き込む[21]などの隠蔽工作が発覚し、同地検は2014年(平成26年)6月25日に、同3名(うち1名は定年退職済)を、公職選挙法違反(投票増減)の疑いで逮捕し[22]、7月15日に高松市の市職員6人を、公職選挙法違反と刑法の封印等破棄罪で起訴した。
- 衛藤は「信じられない。日本でそんな事が起こり得るのかとびっくりしている。自分は間違いなく入れたという方の声が無視されたのは非常に残念。」と述べた[23]。
- 中央選挙管理会は、事の事態を重視し、事実関係を調査するため、高松市に職員を派遣する方針を決めた。神崎浩昭委員長は「なるべく早く調査を始めたい。過去にない事態で、再発すれば選挙そのものの信頼が失くなる」と述べ、再発防止策を講じ、高松市選挙管理委員会に対して、助言や勧告をする権限を示唆した[24]。この事件で中央選挙管理会は、全ての都道府県選挙管理委員会に対し、厳正な開票作業の徹底を働き掛ける様、総務省に求めた[25]。
米国への「失望」表明
安倍晋三首相が2013年12月26日におこなった靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことについて、2014年2月16日に『約束を果たした首相の靖国参拝[26]』の題名でYouTubeに投稿した動画で、「我々の方が失望した」という内容の批判をおこなった[26][27]。衛藤は動画の中で、安倍の靖国神社参拝前に、自身が2013年11月の訪米や同年12月初旬の米国大使館訪問で参拝への理解を求めていたことを説明[27][28]し、「安倍政権は、民主党政権で崩れた日米関係修復に非常に大きな力を割いてきた。米国は同盟関係にある日本をなぜ大事にしないのか[28]」「米国はちゃんと中国にものが言えないようになりつつある。米国の声明は、中国に対する言い訳にすぎない[28]」とアメリカ合衆国を非難した。
2月19日、菅義偉官房長官は、衛藤の発言について「(衛藤氏の)個人的見解だ。日本国政府の見解ではない」と述べた上で、衛藤に発言の取り消しを指示した[29]と述べた。同日、衛藤は発言を取り消し、動画を削除した[26][29][30]。
米国務省の副報道官は、「日本政府は個人的見解であり政府見解ではないと説明している」として、問題視しない考えを示した上で、安倍の靖国神社参拝に「失望」声明を出したことについては、「米国の立場は明確だ」とも述べた[31]。
不祥事
- 国民年金保険料未納
衆議院厚生労働委員長在任中の2004年5月14日、国民年金保険料の未納が判明した[32]。議員年金に加入すれば同時に国民年金にも加入していることになるものと誤解していた衛藤は、衆議院議員に初当選した1990年2月から11年11か月間、保険料を納付していなかった[32]。
- 運動員の逮捕
2005年の衆議院選挙において、大分市内の住宅街で法定外の文書を配布したとして、衛藤の運動員が3名逮捕された[33][34][35]。
- 外務官僚水かけ事件
2011年5月24日、自民党本部で開かれた同党外交部会で、外務省アジア大洋州局審議官の北野充が横を向いて同僚と話した瞬間に激高し、「いい加減にしろ。本気で国益を守ろうと思っているのか」と叫んで、数メートル離れた場所からコップの水を浴びせ掛けた[36]。「自分が話している最中に横を向いていた」とのこと[37]。内閣総理大臣(当時)の菅直人が日韓首脳会談において大韓民国の国会議員が北方領土を訪問する計画を立てていたことに言及しなかった理由について、北野は「事実関係を確認中だった」と答えていた。
所属団体・議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会[3]
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(幹事長)
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局長)
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 創生「日本」
- 真の人権擁護を考える懇談会
- 平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
- のぞみ
- 日本の水源林を守る議員勉強会
- 国籍問題を検証する議員連盟
- 正しい日本を創る会
- 憲法20条を考える会
- 国際観光産業振興議員連盟(顧問)[38]
支援団体
テレビ出演
放送日 タイトル 2009年11月7日 このホームルーム政治を如何にせん
脚注
- ^ “えとうのプロフィール”. 衛藤晟一公式サイト. 2013年11月8日閲覧。
- ^ 「(日本会議研究)憲法編:下 家族尊重、条文明記を主張」、朝日新聞、2016年3月25日。
- ^ a b 「靖国神社と日本会議――シリーズ【草の根保守の蠢動 第8回】」、Harbor Business Online、2015年5月1日
- ^ “郵政法案成立へ全力 参院も攻防激化必至”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年7月5日) 2012年11月13日閲覧。
- ^ “郵政反対派か、対立候補か 自民党大分県連が対応苦慮”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年8月16日) 2012年11月13日閲覧。
- ^ “大分1区は前職の佐藤氏 武部氏、理解深まる”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年8月14日) 2012年11月13日閲覧。
- ^ “「参院選 漂う悲哀「郵政造反・くら替え組」 失った地盤・看板…」”. 産経新聞. (2011年7月26日)
- ^ a b 時事通信2007年12月14日
- ^ “衛藤晟氏が県連復帰”. 大分合同新聞. (2008年4月14日)
- ^ 超党派国会議員168人が靖国参拝 89年以降で最多 日本経済新聞 2013年4月23日
- ^ a b c [2013年参院選 毎日新聞候補者アンケート]
- ^ 2013年12月5日参議院本会議
- ^ “自民で田母神氏擁護論 国防合同部会「なぜ悪い」”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年11月11日) 2013年5月13日閲覧。
- ^ 第174回国会参議院予算委員会議事録 6号 平成22年03月05日
- ^ “物語・介護保険”. 大熊由紀子. 2013年11月8日閲覧。
- ^ 直近の第40回衆議院議員総選挙(1993年)は中選挙区制で、衛藤と村山がともに当選。
- ^ 森喜朗・亀井静香「対談 毅然と対決、死闘十一か月の攻防」『月刊自由民主』平成17年3月号、自由民主党、2005年。
- ^ a b c 「止まらぬ失言にアメリカ激怒 安倍政権を壊す“お友達”の暴走」『週刊朝日』2014年3月7日号、朝日新聞出版、2014年2月28日、2014年3月2日閲覧。
- ^ “自民・衛藤氏「高松0票」支援者、開票ミス主張”. 読売新聞 (読売新聞社). (2013年8月30日) 2013年11月8日閲覧。
- ^ 深尾昭寛、道下寛子 (2014年7月22日). “ニュース再生:高松市選管の不正、票操作 二重集計で水増し”. 毎日新聞社大阪本社 2014年12月22日閲覧。
- ^ “衛藤氏の票312あった/選挙後も隠蔽工作か”. 四国新聞 (四国新聞社). (2014年7月16日) 2014年9月18日閲覧。
- ^ “参院選で白票300票増やした疑い 高松市幹部ら逮捕”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2014年6月25日) 2014年6月28日閲覧。
- ^ 道下寛子 (2014年7月16日). “公職選挙法違反:高松市選管白票水増し 選管ぐるみ票操作 6人起訴、「不足」と勘違い 昨夏参院選、検証担当者も関与”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 2014年7月18日閲覧。
- ^ “白票水増し調査で中央選管が職員派遣へ 高松市の参院選不正開票”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2014年7月23日) 2014年9月18日閲覧。
- ^ “厳正開票、全国で徹底/中央選管、総務省に要請”. 四国新聞 (四国新聞社). (2014年9月13日) 2014年9月18日閲覧。
- ^ a b c “靖国参拝、首相補佐官が「失望」の米批判の動画”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2014年2月19日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ a b “衛藤首相補佐官、靖国参拝めぐる米国の「失望」を批判”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2014年2月19日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ a b c “衛藤首相補佐官「こっちこそ失望」 米の靖国参拝失望声明”. 東京新聞. (2014年2月19日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ a b “衛藤氏「米に失望」撤回 「個人的見解」通用せず”. 東京新聞. (2014年2月20日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ “衛藤補佐官が対米批判の発言撤回 官房長官の指示受け”. 共同通信社. 47NEWS. (2014年2月19日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ “米政府「個人的見解」取り合わず 衛藤氏の逆批判に”. 共同通信社. 47NEWS. (2014年2月20日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ a b “衆院厚労委員長らも未納 今後の委員会運営にも影響”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年5月14日) 2012年11月13日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2005年9月22日
- ^ 毎日新聞 2005年9月25日
- ^ 毎日新聞 2005年10月28日
- ^ “自民議員、外務官僚に水浴びせる=部会説明に激怒、外相は反発”. 時事通信. (2011年5月24日)[リンク切れ]
- ^ “外務省職員にコップの水 自民・衛藤議員、説明に激高”. 朝日新聞. (2011年5月24日). オリジナルの2011年5月26日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
- ^ 「安倍政権中枢に カジノ議連メンバーずらり」、しんぶん赤旗 2014年9月9日
- ^ “参院選で自民候補支援の宗教団体、靖国参拝に賛否”. 朝日新聞. (2013年8月16日) 2013年10月17日閲覧。金曜日朝刊第3面記事
外部リンク
議会 | ||
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先代 中山成彬 |
衆議院厚生労働委員長 2003年 - 2004年 |
次代 鴨下一郎 |
公職 | ||
先代 谷畑孝 森英介 |
厚生労働副大臣 西博義と共同 2004年 - 2005年 |
次代 中野清 西博義 |