藤子スタジオ
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株式会社藤子スタジオ(ふじこスタジオ)は、藤子不二雄Ⓐが立ち上げた漫画制作会社。代表取締役会長は藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)、代表取締役社長は松野喜多枝(安孫子の実姉)。通称「藤子スタジオ」。
概要
- 元々は、藤子不二雄Ⓐと藤子・F・不二雄が「藤子不二雄」時代の1960年代に設立した「有限会社藤子スタジオ」に由来する。1987年(昭和62年)のコンビ解消に伴い、藤子スタジオは藤子不二雄Ⓐ作品の漫画制作と版権管理を引き継ぎ、藤子・F・不二雄作品については新たに設立した「有限会社藤子・F・不二雄プロ」(現株式会社藤子・F・不二雄プロ、通称藤子プロ)が同様の業務を行うことになった。そのため、藤子プロからは源流の会社にあたる。長らく有限会社として業務を行なってきたが、近年になって株式会社化。それに伴い安孫子本人は会長、安孫子の実姉である松野が社長に就任した。所在地は東京都新宿区で、藤子プロと同様に旧スタジオ・ゼロ跡地近辺にある。なお松野は「まんが道」などの安孫子の自伝的諸作品にほとんど登場しないため、一般にはあまり知られていないが藤子不二雄時代から彼らのマネージャーを務め、実娘の松野泉も藤子スタジオの専務取締役兼現マネージャーとして勤務している。
- 現在も執筆活動を続ける藤子不二雄Ⓐ作品の製作と著作権管理を主たる業務とする。
藤子プロとの関係
- 現在、同社と藤子・F・不二雄の「株式会社藤子・F・不二雄プロ」(2006年までの代表取締役会長は藤子F夫人、藤本正子)には資本、業務ともに基本的につながりがなく、完全に別会社として運営されている。そのため、「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄Ⓐ」は個別の作家として著作権等が存在することになり、「藤子不二雄」名義に関する著作権表記は両社名を併記する形を取っている。
- また、両社には『オバケのQ太郎』が長年に渡って再版されなかったことなどから不仲説がささやかれているが、詳細は不明である(なお、同作品の再版問題についてはオバケのQ太郎を参照のこと)[1]。
『オバケのQ太郎』再版問題については「オバケのQ太郎#長期にわたる絶版」を参照
その他
- 晩年の藤子・F・不二雄は小学館の専属(独占)に近い状態であり、現在の藤子プロも小学館と資本関係にある(藤子・F・不二雄プロ参照)が、藤子スタジオは特定の出版社の専属になるといった関係にはなく、小学館以外にも集英社、ブッキングや実業之日本社、中央公論新社や嶋中書店など複数の出版社からも単行本などが多く出版されている。
出身者
- 同社は藤子作品制作において、作画を補助する多数のスタッフ[2]を雇用した。その中には後に独立して一家を構えたものも多い。
- 藤子(藤本、安孫子共に)が多忙な時期には、小学館の新人漫画賞児童部門だった「藤子不二雄賞」入選者が雇用される機会が多かった。
- 藤子不二雄名義で作品を発表していた時期から、各スタッフは基本的に藤本作品か安孫子作品のどちらかのみに携わる体制を敷いており、藤子不二雄賞入選者は児童漫画志望が多かったことから、藤本作品に携わる事が多かったという。例外的に、永田竹丸(永田はトキワ荘時代からの漫画家仲間である)ら初期スタッフや藤本のチーフを勤めた方倉陽二は安孫子作品に携わる事もあった。また同社スタッフではないがしのだひでおも両者の作品に携わっている。
- コンビ解消に伴う分社化に当たっては、その時点で安孫子のスタッフだった者が藤子スタジオに残り、藤本のスタッフだった者は新設の藤子プロに移籍する形を取っている。
藤子不二雄時代
- 永田竹丸
- ヨシダ忠
- 羽中ルイ(安孫子チーム)
- さいとうはるお(安孫子チームチーフ)
- えびはら武司(藤本チーム、のちに安孫子側にも就いた事がある)
- 方倉陽二(藤本チームチーフ)
- さとうかずひろ(藤本チームチーフ)
- 田中道明(藤本チームチーフ)
- たかや健二(藤本チームチーフ)
- いそほゆうすけ
藤子不二雄Ⓐ時代
脚注
- ^ その後同作品は、2009年7月に『藤子・F・不二雄大全集』として刊行された。
- ^ 通常はアシスタントと呼ばれるが、安孫子は「作品は全員が共同で作るもの」として、特にこの語を用いている。
関連項目
- 藤子不二雄
- 藤子不二雄Ⓐ
- 藤子・F・不二雄
- 藤子・F・不二雄プロ(藤子プロ)