藤原豊主

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藤原 豊主(ふじわら の とよぬし、生年不詳 - 承和14年5月17日847年7月3日))は、平安時代前期の貴族藤原京家神祇伯藤原大継の子。子に氏岑がいる。官位従四位下播磨権守

経歴

弘仁14年(823年)正月に従五位下叙爵、同年11月従五位上と、淳和天皇即位前後に続けて昇叙される。淳和朝では近衛少将を務め、天長8年(831年)淳和天皇が南池院離宮行幸した際に、捕獲した鮮魚について嵯峨上皇の居所であった冷然院への献上を命じられている。

仁明朝の承和5年(838年)に正五位上から従四位下に昇叙される。承和14年(847年)5月17日卒去。最終官位散位従四位下。

人物

和歌に優れ、歌人大友黒主とともに「藤豊主か伴黒主か」と並称されたという[1]

脚注

  1. ^ 『尊卑分脈』

参考文献