藤原興方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。豆もち (会話 | 投稿記録) による 2014年4月7日 (月) 12:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

藤原 興方(ふじわら の おきかた、生年不明 - 天徳4年(960年)3月)は平安時代中期の貴族藤原南家真作流、武蔵守藤原経邦の子。官位従五位上尾張守

経歴

武蔵守経邦の子(四男か)として生まれる。右大臣藤原師輔の正室・盛子は姉妹にあたるため、興方は兼家中宮安子からみて伯(叔)父にあたる。興方が卒去した際に安子が喪服を着した。

初め醍醐天皇六位蔵人に補される。蔵人であった延長8年(930年)4月には穢によって賀茂祭を停止することを奏上する[1]天慶元年(938年)には蔵人に加えて主殿助に任ぜられる。天慶6年(943年尾張守に任ぜられ[2]、この前後に従五位下叙爵される。なお、この時には主殿助を辞している。少なくとも天慶9年(946年)には尾張守在任中であった。

天暦4年(950年)頃には美濃権守に転じる。その後大和守・美濃守を務めたという[3]天徳4年(960年)3月29日前に卒去。最終位階は従五位上。

系譜

脚注

  1. ^ 西宮記延長8年4月15日条
  2. ^ 類聚符宣抄』に収める任符請印宣旨に依る。
  3. ^ 尊卑分脈藤原南家真作