藤原家範

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藤原 家範(ふじわら の いえのり、永承3年(1048年) - 保安4年9月15日1123年10月6日))は、平安時代中期から末期にかけての貴族藤原北家隆家流、右中弁藤原師家の子。官位正四位下大膳大夫

経歴

権大納言藤原経輔の孫に生まれ、父・師家も順調に昇進するが康平元年(1058年)に右中弁のまま32歳で早世してしまう。そのため家範も昇進が遅れ、治暦3年(1067年)に遠江守をはじめ、安芸守和泉守などの地方官や、右近衛少将大膳大夫を務めるも位階は正四位下に止まってしまう。保安4年(1123年)に卒去。享年76。

系譜

脚注

  1. ^ 尊卑分脈』。藤原基隆の娘ともいう。年代的に基隆の娘とするのが妥当か。

参考文献