菊地賢人
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選手情報 | ||||
フルネーム | 菊地 賢人 | |||
ラテン文字 | Masato Kikuthi | |||
国籍 | 日本 | |||
種目 | 長距離走 | |||
所属 | コニカミノルタ | |||
大学 | 明治大学 | |||
生年月日 | 1990年9月18日(33歳) | |||
出身地 | 北海道ニセコ町 | |||
自己ベスト |
5000m : 13分35秒18(2014年)[1] 10000m : 28分04秒25(2014年) ハーフマラソン : 1時間00分32秒(2015年) 30km 1時間32分09秒 (2016年) | |||
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菊地 賢人(きくち まさと、1990年9月18日 - )は日本の陸上競技選手、専門は長距離種目。室蘭大谷高校、明治大学卒業。コニカミノルタ所属。
人物
- 北海道ニセコ町出身。小学6年生の時に本格的に陸上をはじめる。[2]高校生まで道内で過ごし、室蘭大谷高校在学中に10000mで30分06秒50の北海道高校生記録を樹立する。
- 高校卒業後は明治大学に進学し、競走部のメンバーとして活躍。箱根駅伝には4年連続で出場した。中でも3年時の第88回箱根駅伝では、チームの主将であり絶対的エースであった鎧坂哲哉(現・旭化成所属)が坐骨神経痛の影響から回避したエース区間2区を菊地が担当し、区間5位の走りでまとめ、明治大学史上49年振りの総合3位以内に貢献した。[3]大会後に鎧坂から主将を受け継ぎ、4年時にはチームをまとめた。
- 大学卒業後コニカミノルタに入社。第97回日本選手権では5000mに出場し4位入賞、2014年のニューイヤー駅伝では最終区間7区を担当し、区間2位の走りで先頭を独走しコニカミノルタ2連覇の優勝テープを切るなどルーキーイヤーから活躍する。2年目のシーズンも好調を維持し、第98回日本選手権では5000mに出場し、前年より1ランクアップの3位入賞。2015年のニューイヤー駅伝ではスピード区間3区を担当し、1位の日清食品グループと11秒差の2位でタスキを受け取ると、先頭を走る日本選手権10000mで4連覇中の日本屈指のスピードランナー佐藤悠基を猛追し、4秒差まで追い上げタスキを繋いだ。菊地も佐藤相手に差を詰める快走だったが、明治大学の先輩である旭化成の鎧坂が菊地を上回り区間賞を獲得。菊地は2年連続の同駅伝区間2位となった。同年の都道府県対抗男子駅伝では北海道チームの3区を走り区間賞を獲得し、北海道はチーム史上最高の総合18位となった。
- 近年のハーフマラソンの走力には定評があり、現在日本記録と7秒差の1時間00分32秒という日本歴代3位の記録を保持している。最後の箱根駅伝後の2013年の香川丸亀国際ハーフマラソンで1時間02分26秒の自己記録をマークしたところから始まり、翌2014年の丸亀ハーフでは1時間01分50秒の記録で5位入賞(日本人3位)、その2週間後の全日本実業団ハーフマラソンでは1時間01分17秒の記録で準優勝(日本人1位)を果たし、翌月の世界ハーフマラソンにも日本代表として出場し、日本人トップの18位となった(記録1時間01分22秒)。さらに翌2015年の丸亀ハーフでは日本歴代5位(当時)となる1時間00分57秒の記録で7位(日本人1位)となり、2週間後の全日本実業団ハーフで日本歴代3位となる1時間00分32秒の記録で3位入賞(日本人1位)を果たす。このようにわずか2年ほどの間に5度自己ベストを更新、6度63分以内の記録をマークと絶え間無い成長と安定感を見せている。特に日本歴代3位の記録をマークした2015年の全日本実業団ハーフマラソンでは20km地点まで佐藤敦之の日本記録と同じペースで走っており、今後の日本記録の樹立が期待されている。[4][5]
自己ベスト
5000m公認 : 13分35秒18 (2014年)
10000m公認 : 28分04秒25 (2014年)
ハーフマラソン公認 : 1時間00分32秒 (2015年)
30km公認 : 1時間32分09秒 (2016年)
出典
- ^ “コニカミノルタ陸上競技部-菊地賢人”. 2015年6月25日閲覧。
- ^ 「がんばれニセコ 先輩からのメッセージ (PDF) 」 、『広報ニセコ』2011年10月、ニセコ町 p. 8
- ^ “箱根駅伝公式Webサイト”. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “香川丸亀国際ハーフマラソン”. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “全日本実業団陸上競技連合‐ハーフマラソン”. 2015年6月25日閲覧。