花咲くアーモンドの木の枝

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『花咲くアーモンドの木の枝』
英語: Almond Blossom
作者フィンセント・ファン・ゴッホ (F671, JH1891)
製作年1890年2月
種類油彩キャンバス
寸法73.3 cm × 92.4 cm (28.9 in × 36.4 in)
所蔵ゴッホ美術館アムステルダム
所有者ゴッホ財団

『花咲くアーモンドの木の枝』(はなさくアーモンドのきのえだ)は、フィンセント・ファン・ゴッホ1890年に制作した油絵。

ゴッホが南フランス・サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院で療養していた時、パリに住んでいた弟テオドルス・ファン・ゴッホ(テオ)に男の子(フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ)が生まれたのを祝って制作した作品である。

制作

1890年1月31日、テオと妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(ヨー)との間に、長男が生まれると、テオは、兄に、手紙でそのことを知らせ、名前をフィンセントにしようと思っていることを伝えた。ゴッホは、折り返し、「今日、吉報を受け取って、言葉で表せないほど嬉しい」という手紙を送っている[1]

ゴッホは、2月19日に母に宛てて書いた手紙の中で、「その子のためにすぐ青い空を背景に白い花をつけたアーモンドの木の枝の絵を描き始めました」と報告している[2][3]

3月17日頃テオに宛てて書いた手紙の中では、「花咲く木の枝のキャンバス」が会心の作であることを伝えている[4]

ゴッホは、4月29日、この絵を他の絵とともにテオに送り、テオは、5月3日の手紙で、兄に、絵が届いたことを伝えている[5]

ゴッホは、テオとヨーの寝室にこの絵を掛けてほしいと思っていたが、2人は、リビングのピアノの上に飾ることとした[6]

鑑賞

ゴッホは、新しい生命の象徴として、アーモンドの木の枝を選んだ。南フランスでは2月に早くも花を咲かせる木である。主題や、はっきりした輪郭線、画面の中での木の配置などは、日本の浮世絵の影響が見られる。花の色は、もとはピンク色が強かったが、光線にさらされて褪色し、より白っぽくなっている[6]

来歴

テオの死後はヨー、その死後は息子フィンセント・ウィレムに受け継がれ、現在、アムステルダムゴッホ美術館に収蔵されている。

ゴッホが書いたその他のアーモンド

アーモンド以外の花の絵

脚注

  1. ^ 二見 (2010: 258)。
  2. ^ 二見 (2010: 260)。
  3. ^ フィンセントより母アンナ宛書簡855(1890年6月5日、サン=レミ、CL: 627)。
  4. ^ フィンセントよりテオ宛書簡857(1890年3月17日頃、サン=レミ、CL: 628)。
  5. ^ テオよりフィンセント宛書簡867(1890年5月3日、パリ、CL: T33)。
  6. ^ a b Almond Blossom”. Van Gogh Museum. 2015年11月23日閲覧。

参考文献