自然法論

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ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1830年ルーヴル美術館所蔵。自然法論とは、法的理念による現実の基礎付けあるいは現実との闘争である。

自然法論(しぜんほうろん、: natural law theory: Naturrechtslehre)は、広義においては、自然法に関する法学政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、近世自然法論から法実証主義の台頭までの期間で論じられることが多い。


定義

自然法論とは、広義においては、自然法に関する法学、政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、近世自然法論から法実証主義の台頭までの期間で論じられることが多い。自然法論という用語が最広義で用いられるとき、すなわちそれが文明開闢以来の西欧学問の全時代をカバーするときには、論者の表現の中に自然法という言葉が直接的には使われていない場合がある。例えば、ミッタイスはホメロスヘシオドスの神話の中に自然法の原形を見出すが、ホメロスヘシオドス自然法という言い回しを知っていたわけではない。

古代ギリシャ

ヘラクレイトス

ヘラクレイトスは流転する宇宙の中にロゴスを見た。

最初期の自然法論に数え入れられるのは、古代ギリシャ宇宙論である。例えば、ヘラクレイトス宇宙論によれば、人間は、天体宇宙の法則によって運動しているように、宇宙の法則に従って生きるべきである[1]。このような考え方の下では、物理的な法則と倫理的な法則とが、同一の概念に属している。「天体がある法則に従って運動している」という事実と、「人間はある法則に従って生きるべきだ」という規範との区別には、何ら注意が払われていない[2]

プラトン

次第に、事実と規範とは異なるという意識が芽生え始める。そのような方向性は、まず、プラトンの中に見出される。プラトンは、自然本性から与えられる絶対的に正しいものと、具体的な時と場所において相対的に正しい人為的規則とを区別する[3]。前者は理念(イデア)、後者は現実となり、理念は現実が目指す永遠の目標となる。つまり、自然法とは「〜である」という事実に関するものではなく、「〜すべし」という事実の目標であるということが自覚されるに至った。

プラトンヘラクレイトス宇宙論から離れている点が、もうひとつある。それは、自然法は現実の中に内在しないということである。プラトン哲学においては、現実が目標とする理念は、イデアとして、この現実世界の中ではなく、イデア界という超越的な場所に存在すると想定された。それは、現実の中には観測されず、思考によってのみ到達可能な場所である。すなわち、プラトンが言う自然法とは、正しい思考の末に発見されるであって、現実の中において観測可能なものではない。

アリストテレス

これに対して、アリストテレスは、理念を現実の中に引き戻す[4]。理念は、現実の中に内在しており、個々の事物の中には、それぞれの事物の理想像が既に可能性として秘められている。このことは、プラトンアリストテレス国家論に重要な差異をもたらした[5]プラトンは、地上のどこにもない理想の国家を想定し、それを現実の国家の目標とした。これは、理念は現実世界の中に存在しないという彼の哲学からの必然的な帰結である。反対に、アリストテレスは、現実にある個々の国家制度を比較検討し、そこから国家の理想像を発見しようとする。彼にとって、国家の理想像は、現実の国家そのものの中に存在しているはずであった。

ストア派

ストア派にとって自然は一大関心事であり、そこではあらゆるものの価値がこの自然によって規定された[6]。ある生き物の自然(すなわちそれに相応しい構成と振る舞い)に合致するものは必然的に肯定的な価値を持ち、それに反するものは必然的に否定的な価値を持つ[7]

初期ストア派

ストア派の特徴は、世界と人間の連続性を自覚することである[8]ストア派の創始者であるキティオンのゼノンによれば、物事の目的とは自然本性の完成であるがゆえに、人間の自然本性とは何であるかが分かれば、人間の目的もまた明らかになるはずであった[9]。そして、人間の自然本性宇宙自然本性とは連続しており、宇宙自然本性とは法則性=必然性に他ならないから[10]、人間の目的とは、正しい推論(すなわち論理法則)に従って行動することである[11]

義務は次のように定義される。「生における整合的なことで、それが実行されたときに合理的に説明されることである」。これとは反対のことは義務に反することである。これは、非ロゴス的な動物にも及ぶ。なぜなら、それらも、それ自身の自然本性と整合的な何らかの働きをしているからである。理性的な動物の場合は、次のように説明される。「生における整合的なこと」。 — ストバイオス『抜粋集』第2巻7-8[12]

ゼノンの傑出した弟子であるクリュシッポスは、ディオゲネス・ラエルティオスの証言が正しいとすれば、古代ギリシャ以来のピュシスノモスとの区別を整理し、自然法を各国のより高次のものであると解した[13]

また正しくあることは自然本性によるのであって制定によるのではなく、それはや正しい推論の場合と同じである。これはクリュシッポスが『善について』の中で言っている通りである。 — ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』第7巻128[14]

ローマ・ストア派

セネカ自然法によって絶対王政を擁護し、その刃に倒れた。

ローマストア派の思想家たちは、完成された状態よりもそこにいたる過程を重視し、人間の可謬性を許容した[15]。彼らの思想の下に見られるのは、自然法を通俗化、人間化し、実際的な使用を容易ならしめることであった[16]。このような現実主義的傾向は、ローマ法における自然法の次のような定義において、やや極端な形で述べられている。

自然法とは、自然が全ての動物に教えたである。なぜなら、このは、人類のみに固有のものではなく、陸海に生きる全ての動物および空中の鳥類にも共通しているからである。雌雄の結合、すなわち人類におけるいわゆる婚姻は、実際にこのにもとづく。子供の出生や養育もそうである。なぜなら、私が認めるところによれば、動物一般が、たとえ野獣であっても、自然法の知識を与えられているからである。 — 学説彙纂第1巻第1章第1法文第3項[17]

ストア派自然法概念をローマの法律家や教父たちに広めたのは、専らキケロであった[18]キケロ自身は哲学の専門家ではなかったが、ウァロを除けば、当時のローマにおける最も哲学的造詣の深い人物のひとりであった[19]

そもそも自然があらゆる種類の生物に授けた性質として、生けるものはみな自己の生命と身体を守り、害になると思われるものは避け、生きるために必要であるものすべて、たとえば、食物、住処といった類のものを探して用意する。…(中略)…自然はまた、理性の力によって、人と人を結び合わせて言葉と人生をともにする関係を作り出す。わけても、生まれてきた子供たちへのある特別な愛を生じさせる。さらに自然は人を促して、人々が集まり、賑わう場をなし、これに参加したい気持ちを起こさせる。そのために、生活の糧にもたしなみにも十分なだけのものをそろえようという努力の気持ちを起こさせる。そして、この気持ちは自分ひとりのためだけでなく、妻や子ら、その他、大切な人として守らねばならない人たちのために生ずる。こうした心がけがまた勇気を駆り立て、事を成し遂げる大志を育てる。 — キケロ『義務について』第1巻4節[20]

セネカエピクテトスマルクス・アウレリウスにおいては、宇宙自然がやや宗教的な口調で語られる[21]セネカは、友人の「いったいなぜ、世界が摂理によって導かれているのに、善き人々に数多の悪が生じるのか」という質問に対して[22]、次のように答えている。

君を神々と和解させよう。最善なる者たちに対して最善なる神々と。当然ながら、善きものが善きものを害するなどということは、自然が許さないからだ。 — セネカ『摂理について』1節[23]

キリスト教の自然法論

自然法思想は、ギリシャ哲学キリスト教の融合によって、キリスト教倫理学にも影響を及ぼすようになった。既に4世紀には、カッパドキア三星を中心とする司教たちの説教の中に、ストア哲学自然法の教えが流れ込んでいる[24]。11世紀から12世紀にかけての「改革」(reformatio)の理念は、教父たちの解釈によれば、権威ある書物に則りながら、自然理性に従って生きることを目標とする[25]

この流れの中で、キリスト教もまた自然法思想に影響を与え、自然法キリスト教化していく。アウグスティヌスとその後継者たちは、永久法としての神定法を導入し、自然法をこれに帰属せしめた[26]。教令集を編纂したグラティアーヌスは、自然法十戒および福音書の中に含まれているものと説明する[27]。このことは、ギリシャ哲学におけるロゴスユスティノスの下で神に帰せしめられたように[28]、神こそが全宇宙の段階的秩序の頂点に立っているという考え(位階主義)を示している[29]。このようなキリスト教的法理論は、世俗法にも影響を及ぼした[30]

神みずからがであり、それ故に神はを愛する。 — ザクセンシュピーゲル序文

アウグスティヌスの自然法論

アウグスティヌス神定法自然法とを結び付けた。

アウグスティヌスは、自然法論の枠組みの中に、ギリシャおよびローマ哲学者たちが知らなかった神定法という概念を導入した[31]。もっとも、アウグスティヌスの自然法論は、ひとつの著作の中で体系的に展開されておらず、異なる年代に書かれた複数の著作の中にちりばめられている。このため、アウグスティヌスが自身の自然法論をひとつの整合的な体系として提示しているとは言い難いが[32]、およそ次のように図式化できる。

まず、の時間的な継続性という観点から見れば、は、永遠不変の永久法と、有限可変の一時的な法とに区別される[33]永久法とは、神の理性あるいは神の意思であり、自然な秩序に従うことを命じ、それを乱すことを禁じるものである[34]。この永久法のうち、人間の心の中に書き込まれたものが、自然法である[35]

次に、の制定者という観点から見れば、は、神定法人定法とに区別される[36]。一時的な法は、永久法に則らねばならないが[37]永久法違反の行為を全て現世において罰する必要はない[38]。これは、一時的な法によって見逃された行為の有責性が、の処罰によって担保されているからである。これらの区別は、観点が異なるだけで、永久法神定法、一時的な法と人定法とは一致する[39]

トマス・アキナスの自然法論

トマス・アキナス永久法を頂点とするの階層構造を描き出した。

トマス・アキナスの自然法論は、端的に言えば、全宇宙を支配する不変の永久法から、人間の一時的な便宜のために制定される人定法までの階層構造を記述することにある[40]

まず、永久法とは、この宇宙を支配するの理念である[41]。そして、永久法のうち、理性的被造物たる人間が分有しているものが、自然法である[42]。さらに、自然法のうち、人間が何らかの効用のために特殊的に規定するものが、人定法である[43]。最後に、神定法とは、人間が永久法により強く与れるように、から補助的に与えられたである[44]。すなわち、人間の能力には限界があるために、人々は永久法から与った自然法にもとづいて適切に人定法を制定するということができず、また、様々な意見の対立が生じるので、それを補うためにから与えられたものが、神定法である。ここで、神定法として念頭に置かれているのは、旧約聖書新約聖書において命じられている事柄であり、前者は旧法(lex vetus)、後者は新法(lex nova)と呼ばれる[45]

このような流れの中で、自然法はより強い存在意義を与えられた。永久法は、のうちにある最高の理念であり[46]、あらゆるの源泉である[47]。このような永久法の一部である自然法は、あらゆる人定法の源泉であり、今や、その妥当性の基準となる。

ここからして、人間によって制定されたはすべて、それが自然法から導出されているかぎりにおいて本質ratio legisに与るといえる。これにたいして、なんらかの点で自然法からはずれているならば、もはやそれはではなく、の歪曲coruptio legisになるであろう。 — トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第95問題第2項[48]

近世自然法論

ここで近世とは、17世紀から18世紀までのいわゆる近世自然法論の時代を指す。この時代において、中世的なヨーロッパの精神的統一が崩れ、数々の市民国家が勃興する。宗教戦争がこれに拍車をかけ、世俗教会という二元的世界観はその妥当性を失ったため、市民国家の正当化と、各市民国家間の的関係が、自然法論の主要な目的となった。それゆえに、この時代に特徴的なのは、各市民国家の固有の法(=市民法)の有効性をなるべく肯定した上で、市民法に服さないいくつかの諸関係、とりわけ国際関係を規律する合理的だが非実定的なを模索する傾向である。ここでは、大陸法系における自然法論者の代表としてフーゴー・グロチウスを、イギリス法系における代表者としてトマス・ホッブズを取り上げる。その他には、ジョン・ロックモンテスキュールソーザミュエル・フォン・プーフェンドルフクリスティアン・トマジウスクリスティアン・ヴォルフなどがいる。

グロチウス

グロチウス自然法の脱化を図った。

グロチウスの主眼は、彼が国際法の父と呼ばれるように、各市民国家間の平時および戦時の合理的かつ非実定的なを探究することにあった。このことは、彼の主著の『戦争と平和の法』という表題にそのまま現れている。そこでは、以下のような法の重層構造が見られる[49]

ここで重要なのは、各の優先順位である。自然法万民法および市民法が全く別のことを定めている場合には、市民は、原則として、市民法に従うことを強いられる[50]。つまり、各市民国家内部において強制力を有するのは、市民法である。なるほど、自然法道徳的な指図として、市民共同体内部においてもなお妥当するが、しかし、それは強制不可能な規範に過ぎない[51]。また、万民法自然法との関係においても、自然法が劣後する[52]グロチウスは、自然法の普遍性と市民法の尊重とを、強制可能性の有無という観点から両立させたのである。

ホッブズ

ホッブズ自然法による近代市民国家の基礎付けを行った。

グロチウスの自然法論の主題が、分裂する市民国家間の合理的な法規制にあったとすれば、ホッブズのそれは、市民国家そのものの正当化である。ホッブズは、次のような順序で、自然状態から必然的に市民国家が生じると説明する[53]

  1. 自然状態においては、人間の自然本性と人間が置かれた自然的条件のゆえに、万人に対する万人の戦争が起こる。
  2. この状態を抜け出すための必要な条件(=自然法)を理性が発見し、平和社会状態に移行することが可能である。
  3. 社会状態を維持するための必要十分条件は、主権の設立とそれへの服従である。

このようなホッブズの論証は、思考実験的な性格を有している。つまり、仮に市民国家を持たない人々がいるならば、彼らはどのような規範を受け入れるのかということである[54]。実際に自然状態が存在したかどうかは重要ではない。また、ホッブズは、事実から規範を直接的に導出するという自然主義的誤謬をも入念に回避している。ホッブズの主張の要点は、自然状態から市民国家へ移行すべしということではなく、仮に自然状態が生じるとしても、人々はそこで市民国家へと向かう自然法を受け入れるであろうという予測である[55]

19世紀における自然法論批判

19世紀から20世紀前半までの法理論は、専ら伝統的な自然法論の否定という形で進行した。この背景には、歴史主義および実証主義という2つの哲学的背景が見出される[56]。とりわけ、ドイツの法学界では、歴史主義に裏打ちされたパンデクテン法学と、実証主義を徹底したケルゼン純粋法学が席巻し、自然法を強く否定した。もっとも、フランスでは同じ時代に科学学派自然法の科学的研究というものを標榜しており[57]、自然法論が完全に死滅したわけではない。

歴史法学による自然法論批判

サヴィニー自然法の普遍的妥当性を否定した。

ドイツの法学者カール・フォン・サヴィニーが率いた歴史法学派は、18世紀における自然法論と19世紀後半における法実証主義との中間期に属する[58]歴史法学派の特徴は、特殊な実定法主義であり、それは民衆法民族法)中心の法実証主義である[59]は、一方では全民族生活の中に息づき、他方では法曹階級の手によって特殊化学問化され、前者は民衆法ないし自然法、後者は学問法、学説法ないし法曹法と呼ばれる[60]。つまり、とは歴史の進化過程における産物であり、いわゆる慣習法の形で成立する[61]。この点で、歴史法学派は、それ以前の自然法論における自然法の普遍的妥当性という観念を放棄している[62]

サヴィニーグロチウスの自然法論を自然法と歴史的道徳学との未分化状態にあると評価し、その後大学においては自然法のみが扱われるようになったと述べる[63]。そこでは自然法の法学的な分析と哲学的な分析とが別々に行われ、前者は単にローマ法の法的真理を提示し、後者はそれよりも内容的に空虚で貧弱なものである[64]

法学それ自体は、自然法なしにも、それがある場合と同様によく研修されうる。このことは、全く哲学が研修されなかった時代においても、或いは少なくとも、哲学が現在もはや哲学と考えられないような時代においても、法学は大いに繁栄しえた、ということからしてすでにいいうることである。哲学に惹かれない者は哲学をおけ。哲学の研修は単に半年を必要とするに止まらず、それは全生涯の仕事である。 — サヴィニー『法学方法論』[65]

法実証主義による自然法論批判

コント実証主義法学の状況を一新した。

法実証主義とは、実定法を唯一の研究対象とし、その規範的意味内容を明らかにする法解釈学である[66]。哲学的意味における実証主義を考案したのはオーギュスト・コントであり、これを法学的に確立したのはイギリスの法学者ジョン・オースティンである[67]。もっとも、法実証主義がどのような立場であるかについては、法実証主義者の間ですら見解の一致を見ないが、およそ3つの立場に分類される[68]

  1. 法実証主義とは、法を実力者の命令と解する考え方である。
  2. 法実証主義とは、法の概念から自然法正義を排除排撃する考え方である。
  3. 法実証主義とは、法の評価を拒否する考え方である。

このような考え方をとる法実証主義が否定するのは、実定法に対して正不正の評価をして、そしてその妥当性を基礎づける正義価値としての自然法である[69]

ケルゼンの自然法論批判

ハンス・ケルゼンは、自然法と実定法との差異を2つ挙げる。ひとつは、自然法が実質的妥当原則に服するのに対して、実定法は形式的妥当原則に服するということである[70]。自然法とは、神、自然または理性に由来するがゆえに、善であり、正しくかつ正義であるが[71]、これに対して、実定法は人間の意思によって定立され、それらゆえに価値のある実定法も反価値的な実定法も存在しえる[72]。つまり、自然法も実定法も規範なのだが、自然法における当為は絶対的な当為であり、実定法のそれは相対的な当為である[73]。もうひとつは、自然法の諸規範は神、自然または理性に由来するので、それを実現するための人為的な強制手段を必要としないが、これに対して、実定法は何らかの人為的な強制手段に頼らざるをえないということである[74]。したがって、強制可能な法について語る学問は全て実定法に関する法実証主義的な学問であり、反対に自然法論は、前述のような自然法の観念を純粋に維持するかぎりにおいて、強制機関を持たない観念的な無政府主義に陥る[75]。このような差異は、実証主義-相対主義、自然法論-絶対主義という構図に帰着する[76]

かくして、自然法と実定法との間にはこのような架橋し難い溝が存在しているので、自然法によって実定法秩序を基礎付けようとすることは不可能である[77]。自然法が実定法に授権しえるとすれば、「自然法が実定法に対して自己に代わるべきことを授権していることを意味する」[78]。なぜなら、自然法と実定法は、妥当根拠の異なる2つの規範体系であり、論理的に併存不可能だからである[79]

自然的」秩序の妥当が主張されるなら、それと並んで同時に同一の妥当規則をもつ実定的秩序を仮定することはできない。実定的秩序を他から導き出すことのできない、したがってまた、より上位の秩序によって正当づけることのできない最高の規範とする徹底した実証主義の立場からは、自然法の妥当は承認できないように、この自然法の立場からいっても、-自然法がその純粋な観念に適合して示されるかぎり-実定法の妥当する余地はまったくない。自然法と並んで実定法が存在するなど、論理的にはもってのほかである。 — ケルゼン『自然法論と法実証主義』[80]

ラートブルフの自然法論批判

グスタフ・ラートブルフによれば、狭義の法学とは、実定法の客観的意味に関する科学である[81]。法学が実定法のみと関わる以上、それは法の価値を取り扱う法哲学およびその価値の実現に役立つ法政策と異なる学問領域に属する[82]。なるほど、実定法にもまた理念は存在するが、それは(1)単なる法適合性としての正義(すなわちある行為が実定法に合致しているかどうかということ)[83]、(2)価値相対主義に服する合目的性[84]、そして(3)法的安定性である。

自然法が呼び求められていたのは、lex legum(法律の法)をそこに見出すためであり、普通法の混乱の中に確固たる原理を見出すためであった。そして、その代わりに生じたことは、自分で法の不安定に貢献したことだった。方法論的自覚の欠除、自然法の哲学と自然法自体との矛盾からもまた当然の報いをうけた。自分だけの法意識を普遍妥当的な法源だと考えることに慣れ、また紙の上なら何でも書けるので紙に書いただけで自然の声だと称したとき、あらゆる恣意の制限は失敗に帰し、結局は全てが動揺せざるをえなくなった。 — ラートブルフ『自然法と実定法』[85]

現代における自然法論

グスタフ・ラートブルフ

法実証主義者であったラートブルフ自然法への回帰を図ったのは、ナチス・ドイツの敗北という深刻な政治的状況下においてであった。そこで問題になったのは戦中に合法であった非人道的行為に対する遡及的に処罰可能性である[86]。行為時に合法であった行為を事後的に違法とし処罰することは、刑法上の罪刑法定主義に違反する。このため、行為時に一見すると合法的であった行為、すなわち当時の制定法に鑑みれば合法的であった行為から、合法性を剥奪する必要が生じた。そこで用いられたのが、該当行為に合法性を与える制定法そのものを自然法によって覆すという手法である。

ラートブルフによれば、自然法の内容とは、正義の理念である[87]。この理念を最初から追求しないような制定法は、無効とされねばならない。法的安定性も確かに法理念の一部であるが[88]、著しい不正においては正義に劣後する。そして、正義の具体的な内容は、デモクラシーの維持と人間の尊厳の尊重にある[89]

このような再生自然法論は、その思想的背景であった戦後処理問題が終結するとともに、多くの批判を受けたが、純粋な法実証主義に戻ることも憚られた。以後、法実証主義との折衷的な道が模索されるようになる[90]。そのような流れに位置付けられる法学者として、ヘルムート・コーイングアルトゥール・カウフマンなどがいる。

ハーバート・ハート

ハーバート・ハートは、道徳を融合させようとしたフラーの自然法論に反対し、独自の自然法論を形成した[91]ハートイギリス分析法理学の伝統に則って法実証主義から出発するが[92]の内容は完全に自由なわけではない。その内容は、人間の自然本性や自明な真理からして、生命身体所有などに関する相互自制に関するルール、約束およびその手に関するルール、矯正に関するルールが、自然法の最小限の内容として追求されねばならない[93]

脚注

  1. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.13.
  2. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.15.
  3. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.16-17.
  4. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.17.
  5. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.18.
  6. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.286.
  7. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.287.
  8. ^ 中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会、2000年、p.379.
  9. ^ 中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会、2000年、p.379.
  10. ^ 中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会、2000年、p.379-380.
  11. ^ 中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会、2000年、p.382.
  12. ^ 中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会、2000年、p.162-163.
  13. ^ 中川純男=山口義久訳『初期ストア派断片集4』京都大学学術出版会、2005年、p.362.
  14. ^ 中川純男=山口義久訳『初期ストア派断片集4』京都大学学術出版会、2005年、p.188-189.
  15. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.352.
  16. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.19.
  17. ^ 訳出にあたっては、春木一郎『学説彙纂プロータ』有斐閣、昭和13年、p.60-61を参考にした。
  18. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.348.
  19. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.345.
  20. ^ 中務哲郎=高橋宏幸訳『キケロー選集9』岩波書店、1999年
  21. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.353-354.
  22. ^ セネカ著、高橋宏幸訳『倫理書簡集』岩波書店、2005年、p.3.
  23. ^ セネカ著、高橋宏幸訳『倫理書簡集』岩波書店、2005年、p.5.
  24. ^ クラウス・リーゼンフーバー著、村井則夫『中世思想史』平凡社、2003年、p.57.
  25. ^ クラウス・リーゼンフーバー著、村井則夫『中世思想史』平凡社、2003年、p.164.
  26. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.23.
  27. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.16-17.
  28. ^ クラウス・リーゼンフーバー著、村井則夫『中世思想史』平凡社、2003年、p.23.
  29. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.24.
  30. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.24.
  31. ^ 高坂直之『トマス・アクィナスの自然法研究ーその構造と憲法への展開ー』創文社、昭和46年、 p.65.
  32. ^ 例えば、永久法というタームは、異なる著作の中においてやや異なる意味で用いられている。cf. Herbert A. Deane. The political and social ideas of St. Augustine. New York: Columbia University Press (1963) p.281. n.47.
  33. ^ アウグスティヌス著、泉治典=原正幸訳『アウグスティヌス著作集3ー初期哲学論集(3)ー』教文館、1989年、p.36-37.
  34. ^ Augustinus. Contra Faustum. lib.22. §.27.
  35. ^ Herbert A. Deane. The political and social ideas of St. Augustine. New York: Columbia University Press (1963) p.87.「自然法とは、それが理性の使用によって人間により発見されえるがゆえに、普遍的な法であり、モーセの法が与えられなかった異教徒たちによっても発見され、そして伝承されている。つまり、アウグスティヌスは、『信心深い人々の心』に書かれた『神の永久法(lex Dei aeterna)』について語っており、そして、モーセを通じてユダヤ人に与えられた法はこの永久法から写されたのだと言っている」(引用者訳)。
  36. ^ アウグスティヌス著、泉治典=原正幸訳『アウグスティヌス著作集3ー初期哲学論集(3)ー』教文館、1989年、p.31.
  37. ^ アウグスティヌス著、泉治典=原正幸訳『アウグスティヌス著作集3ー初期哲学論集(3)ー』教文館、1989年、p.37. Idem p.61-62.
  38. ^ アウグスティヌス著、泉治典=原正幸訳『アウグスティヌス著作集3ー初期哲学論集(3)ー』教文館、1989年、p.34.
  39. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.23.
  40. ^ 高坂直之『トマス・アクィナスの自然法研究ーその構造と憲法への展開ー』創文社、昭和46年、p.36.
  41. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第1項
  42. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第2項
  43. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第3項
  44. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第4項
  45. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第5項
  46. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第93問題第1項
  47. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第93問題第3項
  48. ^ トマス・アキナス著、稲垣良典訳『神学大全』第13巻、創文社、昭和52年、p.94.
  49. ^ GROTIUS, Hugo. De jure belli ac pacis. (1625) lib.1. cap.1. §.9-10; §.14-15. Cf. 大沼保昭『戦争と平和の法〔補正版〕』東信堂、1995年、p.85-93.
  50. ^ もっとも、市民は市民法に従うべしというこのルールそのものは、自然法に由来している。すなわち、各市民は、市民国家内部の多数者が定めたことに従うことを、明示的または黙示的に約束しており、そして、約束は自然法上守られねばならない。Cf. GROTIUS, Hugo. De jure belli ac pacis. (1625) Prolegomena §.15.
  51. ^ Ex. GROTIUS, Hugo. De jure belli ac pacis. (1625) lib.2. cap.12. §.12.
  52. ^ Ex. GROTIUS, Hugo. De jure belli ac pacis. (1625) lib.2. cap.2. §.16.
  53. ^ 内井惣七『自由の法則 利害の論理』ミネルヴァ書房、1988年、p.4-5.
  54. ^ 内井惣七『自由の法則 利害の論理』ミネルヴァ書房、1988年、p.16.
  55. ^ 内井惣七『自由の法則 利害の論理』ミネルヴァ書房、1988年、p.14.
  56. ^ H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』創文社、昭和46年、p.51-54.
  57. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.151-152.
  58. ^ 矢崎光圀「歴史法学派」『法学セミナー』1957年5号、日本評論社、p.8.
  59. ^ 矢崎光圀「歴史法学派」『法学セミナー』1957年5号、日本評論社、p.8.
  60. ^ 矢崎光圀「歴史法学派」『法学セミナー』1957年5号、日本評論社、p.9.
  61. ^ 矢崎光圀「歴史法学派」『法学セミナー』1957年5号、日本評論社、p.9.
  62. ^ 田中耕太郎「サヴィニーにおける国際主義と自然法」『法律哲学論集』第1巻、昭和17年、p.163.
  63. ^ サヴィニー著、服部栄三訳『法学方法論』日本評論新社、昭和33年、p.74-75.
  64. ^ サヴィニー著、服部栄三訳『法学方法論』日本評論新社、昭和33年、p.75.
  65. ^ サヴィニー著、服部栄三訳『法学方法論』日本評論新社、昭和33年、p.76.
  66. ^ 木村亀二「法実証主義の再検討」『法哲学年報』有斐閣、1962年、p.18.
  67. ^ 八木鉄男「法実証主義の再検討ー法実証主義的思考の一側面ー」『法哲学年報』有斐閣、1962年、p.33.
  68. ^ 木村亀二「法実証主義の再検討」『法哲学年報』有斐閣、1962年、p.18-20.
  69. ^ 木村亀二「法実証主義の再検討」『法哲学年報』有斐閣、1962年、p.23.
  70. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.6.
  71. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.6.
  72. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.9.
  73. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.10.
  74. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.7.
  75. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.8.
  76. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.14-15.
  77. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.43-44.
  78. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.44.
  79. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.41.
  80. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.41-42.
  81. ^ 尾高朝雄=野田良之=阿南成一=村上淳一=小林直樹訳『ラートブルフ著作集4 実定法と自然法』東京大学出版会、1961年、p.23.
  82. ^ 尾高朝雄=野田良之=阿南成一=村上淳一=小林直樹訳『ラートブルフ著作集4 実定法と自然法』東京大学出版会、1961年、p.23.
  83. ^ 尾高朝雄=野田良之=阿南成一=村上淳一=小林直樹訳『ラートブルフ著作集4 実定法と自然法』東京大学出版会、1961年、p.58.
  84. ^ 尾高朝雄=野田良之=阿南成一=村上淳一=小林直樹訳『ラートブルフ著作集4 実定法と自然法』東京大学出版会、1961年、p.58-60.
  85. ^ 尾高朝雄=野田良之=阿南成一=村上淳一=小林直樹訳『ラートブルフ著作集4 実定法と自然法』東京大学出版会、1961年、p.145.
  86. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.209.
  87. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.208.
  88. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.203.
  89. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.208.
  90. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.210.
  91. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.234-238.
  92. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.238-239.
  93. ^ 田中成明=竹下賢=深田三徳=亀本洋=平野仁彦著『法思想史〔第2版〕』有斐閣Sシリーズ、1997年、p.242.

参考文献

  • A. P. ダントレーヴ著、久保正幡訳『自然法』 岩波書店、1952年
  • L. L. フラー著、稲垣良典訳『法と道徳』 創文社、1968年
  • H. ミッタイス著、林毅訳『自然法論』 創文社、1971年
  • ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』 木鐸社、1974年
  • ヘーゲル著、神山伸弘ほか訳『自然法と国家学講義 ハイデルベルク大学1817・18年』 法政大学出版局、2007年
  • ヨハネス・メスナー著、水波朗ほか訳『自然法 社会・国家・経済の倫理』 創文社、1995年
  • トマス・アクィナス著、稲垣良典ほか訳 『神学大全』 創文社、2005年

外部リンク