胸形赤麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

胸形 赤麻呂(むなかた の あかまろ、生没年不詳)は、奈良時代官人・解工。氏は宗形とも記される[1]朝臣位階正五位上

経歴[編集]

養老5年(721年元正天皇により、解工(工匠土木の技術)に優れる者として褒賞され、賈受君らとともに10疋・絹糸10絇・麻布20端・20口を賜与されている。胸形氏には大陸との交通に関与したものが多く、この場合の赤麻呂も船舶関係の工匠であったものと見られる[2]。なお、この時に選ばれた人物は、『藤氏家伝』下に神亀年間(724年 - 729年)の学芸の士として列挙されたものが多く、皇太子・首皇子(のちの聖武天皇)の教育に資するため、文芸学術に優れた者を選出したものと見られる[3]

聖武朝天平12年(740年)正月に従五位下に昇叙される。次いで同年に発生した藤原広嗣の乱終結後の11月に、聖武天皇の東国行幸へ陪従していた者に対して叙位が行われた際、赤麻呂は外従五位上に昇進している。天平17年(745年)外正五位上に至る。

官歴[編集]

続日本紀』による。

系譜[編集]

  • 父:宗形横根[4]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:宗形豊足[4]
    • 男子:宗形田次麻呂[4]
    • 男子:宗形綱人[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平12年以降
  2. ^ 岩波書店『続日本紀 2』485頁、補注8 - 七八
  3. ^ 岩波書店『続日本紀 2』84頁脚注
  4. ^ a b c d 鈴木真年『百家系図』巻32,宗像

参考文献[編集]

関連項目[編集]