群馬パチンコ店員連続殺人事件

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福川水門(埼玉県行田市北河原)

群馬パチンコ店員連続殺人事件(ぐんまパチンコてんいんれんぞくさつじんじけん)とは、2003年(平成15年)2月 - 4月に群馬県で相次いで発生した2件の強盗殺人事件。群馬県伊勢崎市と同県太田市でパチンコ店員が相次いで殺害され、被害者の死体はいずれも埼玉県行田市福川に遺棄された。

事件の概要[編集]

群馬県太田市東矢島町の元パチンコ店員の男T(事件当時36歳:無職)は、パチンコ仲間だった栃木県河内郡南河内町(現:下野市)薬師寺のコンビニエンスストア店員だった男O(当時25歳)と共謀。2003年2月23日未明1時ごろ、Tの元同僚である伊勢崎市のパチンコ店員A(当時47歳)を、勤務先兼住居の同市山王町「M」から向かいのコンビニエンスストアへ買い物に出かける際に呼び止め、Oの乗用車に乗せて勢多郡宮城村(現:前橋市)の山林に連れ込み路上でロープで首を絞めて殺害した。Aの遺体をトランクに積み、伊勢崎市に戻ったTとOは、3時ごろ、Aが持っていたを使い警備システムを解除した上で店舗に侵入。売上金300万円を奪ったのち、埼玉県行田市北河原の福川水門までAの遺体を運び、4時ごろ福川に投げ込んで遺棄した。Aの遺体は、3月18日11時40分ごろに福川のさすなべ排水門付近で発見された。

伊勢崎で強奪した金は全て500円硬貨五千円札だった。その大量の500円硬貨をOが太田市内の複数の銀行一万円札両替して、150万円ずつ折半し、1ヶ月ほどのうちに遊興費などで使い果たした2人は、4月1日2時ごろ、お互いに通い詰めていた太田市浜町のパチンコ店「T」駐車場で、同店店員B(当時25歳)を襲いロープで首を絞めて殺害した。Bの財布に入っていた現金11万円と店の合鍵を盗み、店舗に侵入したが、金庫の解錠ができず売上金の窃盗には失敗した。Bの遺体は、A同様、行田市の福川水門から福川に遺棄した。3日後の4月4日10時30分ごろ、腐乱が著しく死因の特定されていなかったAの遺留品を捜索していた埼玉県警行田警察署員によって、Bの遺体は発見された。

なお、TとOは、事件の7年前(1996年)に同じパチンコ店で働いており、その時からの間柄だった。Tが最初の事件の店に勤務していたのは、1998年2月から9月であった。さらに、Tには事件当時約150万円の借金があった。

この事件は2人の逮捕直後に隣の埼玉県熊谷市で元暴力団員らによる熊谷男女4人殺傷事件が発生し、その事件のほうがセンセーショナルであったため、本事件は陰となる形であまりメディアに取り上げられることはなかった。

逮捕と裁判[編集]

埼玉県警・群馬県警の合同捜査本部は、Aの交友関係を中心に洗い出しを進めたところ、捜査線上にTが浮上。2003年7月20日、Aの死体遺棄容疑で2人を逮捕した。さいたま地方検察庁は、2人を強盗殺人、建造物侵入窃盗死体遺棄、窃盗未遂で起訴した。

2004年(平成16年)3月26日、さいたま地方裁判所川上拓一裁判長)は、「Tは主導的役割を果たし、Oも安易に加担したうえ、犯行を積極的に計画した」と認定した上で、「わずか2か月の間に2度も殺害を繰り返した極悪非道な犯行」として、被告人2人(TおよびO)にいずれも求刑通り死刑判決を言い渡した。2人は即日控訴したが、被告人Tは2005年(平成17年)7月13日に東京高等裁判所で予定されていた控訴審第1回公判に出廷せず、弁護人に「死んでおわびしたい」「裁判を続けても結果が見えている」と話し、自ら控訴を取り下げた。弁護側は「被告人は正常な判断ができない状態で控訴を取り下げており、無効」と主張し、公判の続行を求めた。東京高裁は弁護側、検察側双方の意見を聞き検討したが、東京高裁(白木勇裁判長)は2005年11月30日、控訴取り下げを有効と判断し、訴訟終了を決定した。弁護側は特別抗告したが、最高裁判所第二小法廷今井功裁判長)は2006年(平成18年)6月6日付で、弁護人の特別抗告を棄却する決定をした。これにより、Tの死刑判決が正式に確定した。

一方、被告人Oは控訴審で「共犯者のTが主導し、それに追従しただけ。死刑は不当」と主張したが、東京高裁(白木勇裁判長)は「積極的に犯行を遂行し、利得も公平に得ている」と退けた。そして「定職にも就かず、大金目当ての動機に酌量すべきものはない」と指摘。「犯行はいずれも残忍、悪質。2度までも凶悪事件を敢行し、誠に許し難い」と述べ、一審さいたま地裁の死刑判決を支持し控訴を棄却した。Oは上告し、2009年(平成21年)3月31日に最高裁で開かれた弁論で、Oの弁護人は控訴審と同旨の主張をした。しかし、同年6月9日、最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は、「2人の命を奪った結果は重大。共犯者とともにロープで首を絞め続けた殺害方法は残忍極まりない。犯行の準備段階において重要な役割を果たし、実行に積極的に加担し、主体的に犯行を遂行した。金欲しさから最初の事件を起こし、金を手に入れると遊興費に使い、次の事件を敢行したという経緯や動機に酌むべき点はない。被告人が犯行時25歳と比較的若年であって交通事犯による罰金以外に前科がなく、犯行を反省悔悟していること、被告人の両親が第1の被害者の母親に謝罪し、見舞金100万円を支払っていること、第1のパチンコ店に50万円を弁償していることなど,酌むべき事情を十分考慮しても、被告人の罪責は誠に重大であり、被告人を死刑に処した一、二審判決の判断はやむを得ない」として、Oの上告を棄却する判決を言い渡した[1]。これにより、Oも死刑が確定した。

死刑執行[編集]

2021年(令和3年)12月21日古川禎久法務大臣による死刑執行命令(同年12月17日付署名)に基づき、死刑確定者(死刑囚)となっていたTとOは、ともに東京拘置所死刑を執行された(Tは54歳没、Oは44歳没)[2][3]アムネスティ・インターナショナルによると、死刑囚Oは当時、第2次再審請求中だった[4]。なお、同日には大阪拘置所でも、加古川7人殺害事件の死刑囚Fが刑を執行されている[2][3]

参考文献[編集]

法務省発表

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 最高裁判所第三小法廷判決 2009年(平成21年)6月9日 集刑 第296号751頁、平成18年(あ)第2178号、『強盗殺人,建造物侵入,窃盗,窃盗未遂,死体遺棄被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(パチンコ店員強殺事件)」。
  2. ^ a b 伊藤和也「3人の死刑執行、2年ぶり 加古川の7人殺害・群馬の連続強盗殺人」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2021年12月21日。2021年12月21日閲覧。オリジナルの2021年12月21日時点におけるアーカイブ。
  3. ^ a b 法務省 2021.
  4. ^ 山本将克、近松仁太郎「3人の死刑執行 2019年12月以来2年ぶり 法務相」『毎日新聞毎日新聞社、2021年12月21日。2021年12月21日閲覧。オリジナルの2021年12月21日時点におけるアーカイブ。