美江寺
美江寺 | |
---|---|
美江寺観音 | |
所在地 | 岐阜県岐阜市美江寺町2-3 |
位置 | 北緯35度25分34.95秒 東経136度45分30.34秒 / 北緯35.4263750度 東経136.7584278度座標: 北緯35度25分34.95秒 東経136度45分30.34秒 / 北緯35.4263750度 東経136.7584278度 |
山号 | 大日山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 十一面観音 |
創建年 | 伝・717年(養老元年・霊亀3年) |
開基 | 伝・勤操、元正天皇(勅願) |
正式名 | 大日山 観昌院 美江寺 |
別称 | 美江寺観音 |
札所等 |
東海白寿三十三観音31番 美濃三十三観音18番 岐阜観音3番 |
文化財 |
乾漆十一面観音立像(国の重要文化財) 猩々面(市重要文化財) |
法人番号 | 1200005000718 |
美江寺(みえじ)は、岐阜県岐阜市にある天台宗の寺院である。山号は大日山。院号は観昌院。通称「美江寺観音」。正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は十一面観音。
美濃三十三観音霊場第十八番札所。岐阜観音札所第三番札所。東海白寿三十三観音第三十一番札所。
瑞穂市美江寺については、美江寺宿を参照。
沿革
『新撰美濃志』の伝えるところによれば、717年(養老元年・霊亀3年)、元正天皇勅願により、伊賀国名張郡の伊賀寺(坐光寺)【名張市の夏目廃寺】の十一面観音を美濃国に移したのが当寺の起源であるという。この十一面観音を本尊として、719年(養老3年)、美濃国本巣郡十六条(後の美江寺村、現瑞穂市美江寺)に美江寺が創建され、開山は勤操(ごんそう、東大寺別当)、竣工は723年(養老7年)であったという。
その後、中世までの沿革は判然としないが、土岐氏の帰依を受け、1506年(永正3年)、土岐成頼が伽藍を修造したという。現在地に移転したのは1549年(天文8年)、斎藤道三の稲葉山城の築城時ともいい、織田信長が移転させたという説もある。稲葉山城の南西に位置し、裏鬼門を守護するという。
1871年(明治4年)、政府による寺領上知令により寺領を失う。1945年(昭和20年)7月には、岐阜空襲により伽藍を焼失。その後、1952年(昭和27年)に阿弥陀堂(仮本堂)が再建され、1955年(昭和30年)に本堂、1986年(昭和61年)に仁王門がそれぞれ再建されている。
文化財
- 国の重要文化財
- 乾漆十一面観音立像
- 像高176.6cm。奈良時代の作。近畿地方以外には珍しい脱活乾漆造(麻布を漆で貼り固めて造形した張り子状の像)の仏像であり、技法、作風等から制作は奈良時代・8世紀にさかのぼると推定される。
- 岐阜市指定文化財
- 木造十一面観音立像[1]
- 木造菩薩坐像[1]
- 猩々(しょうじょう)面[1]
- 木造獅子頭 ヒノキ製で高さ約29センチ、長さ約36センチ、幅約34センチ 鎌倉時代 岐阜市重要文化財(2015/12/1)
- 木造不動明王半跏(はんか)像 ヒノキ製で高さ高さ約28センチ 鎌倉時代 岐阜市重要文化財(2015/12/1)
所在地
- 岐阜県岐阜市美江寺町2-3
行事
- 美江寺まつり - 毎年3月第1日曜日に行われる。別名けんかまつり、蚕まつり。山車(だし)の上から猩々面(しょうじょうめん)を被った男が杓子を群集に投げつけ、杓子の底の抜け具合で吉兆を占う。現在は行われていない。
- 節分星まつり - 毎年2月3日
- 本尊ご開帳 - 毎年4月18日
- 岐阜空襲慰霊祭 - 毎年7月9日
- 大護摩 - 毎年10月
- 人形供養 - 毎年11月
- 除夜の鐘 - 大晦日
交通アクセス
岐阜バス「美江寺町」バス停、または「市民会館・裁判所前」バス停が最寄である。
- JR岐阜駅バスターミナル、名鉄岐阜のりばより、「御望野」、「宝珠ハイツ」、「岩戸公園」、「旦ノ島」行きや長良線などを利用。
その他
瑞穂市美江寺の地名の由来は、かつて美江寺があった名残である。現在もこの地には美江寺観音がある。これは1567年(永禄10年)、織田信長の命で建立されたものである。瑞穂市の美江寺観音に毎年3月第1日曜日にお蚕祭りがあり、岐阜市の美江寺の美江寺祭りと良く似た祭りが行なわれている。
脚注
- ^ a b c “岐阜市内の指定等文化財一覧” (2012年4月6日). 2013年5月14日閲覧。
参考文献
- 『日本歴史地名大系 岐阜県の地名』平凡社
- 『角川日本地名大辞典 岐阜県』角川書店
- 『岐阜県百科事典』岐阜日日新聞社、1968