経済協力開発機構
OECDのロゴ | |
設立 |
1948年4月16日 OEECの設立 1961年9月30日 OECDに改組 |
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本部 |
フランス パリ 2, rue André Pascal, 75775 Paris Cedex 16 France 北緯48度51分43秒 東経2度16分10.9秒 / 北緯48.86194度 東経2.269694度座標: 北緯48度51分43秒 東経2度16分10.9秒 / 北緯48.86194度 東経2.269694度 |
会員数 |
34ヶ国 20ヶ国:設立時 (1961年) |
公用語 | 英語、フランス語 |
事務局長 | José Ángel Gurría |
ウェブサイト | http://www.oecd.org |
経済協力開発機構(けいざいきょうりょくかいはつきこう、英: Organization for Economic Co-operation and Development, OECD、仏: Organisation de coopération et de développement économiques, OCDE)は、ヨーロッパ、北米等の先進国によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関。本部はパリに置かれ、公用語は英語とフランス語。「先進国クラブ」とも呼ばれる。
目的
以下の3つを目的としている(OECD条約第1条)
- 経済成長
- できる限りの経済成長、雇用の増大、生活水準の向上を図ること
- 開発
- 経済発展途上にある諸地域の経済の健全な拡大に寄与すること
- 貿易
- 多目的かつ無差別な世界貿易の拡大に寄与すること
沿革
1948年、第二次世界大戦後の疲弊しきったヨーロッパ経済を活性化、救済させるために、アメリカ合衆国によるヨーロッパ復興支援計画を目的としているマーシャル・プランの受け入れを整備する機関として、ヨーロッパ16か国が参加して欧州経済協力機構 (OEEC) が設立された。
1950年、OEECにアメリカ合衆国とカナダが準加盟国として参加。
1961年、ヨーロッパ経済の復興に伴い、欧州と北米が自由主義経済や貿易で対等な関係として発展・協力を行う目的として、発展的に改組され、現在の経済協力開発機構 (OECD) が創立された。
1964年以降、従来の枠である西欧と北米という地理的制限を取り払い、アジア、東欧にも加盟国を拡大した。日本は早くからOECD加盟に関心を示し、枠拡大直後の1964年4月28日に加盟した[1]。
1990年代に入り、冷戦構造が崩壊すると、かつてマーシャル・プランの復興支援の対象として外れていた東欧諸国や新興工業国が加盟するようになり、今に至る。
OECD理事会
理事会は機構の最高機関であり、全ての加盟国が参加する閣僚理事会(年1回開催)と常任代表による通常理事会(頻繁に開催)を招集される。 下部組織は、12分野(経済政策・貿易・金融・開発・環境・食料・科学技術・原子力・教育)に分かれ、35の委員会で構成されている[2]。
開発援助委員会 (DAC)
2009年3月30日、同委員会は、DAC加盟22か国の2008年の政府開発援助 (ODA) 実績の暫定値を発表した。それによると、22か国のODA 総額は1,198億ドル(前年比10.2%増加)、日本円で約11兆5千億円、と過去最高額に達した。しかし、対国民所得 (GNI) 比をみると、加盟国平均は前年の0.28%から微増して0.3%。国連が目標としている0.7%を大きく下回っている。国別では、米国260億1千万ドル、ドイツ139億1千万ドル、英国114億1千ドル、フランス109億6千万ドル、日本93億6千万ドル(5位)。国連目標を満たしているのはデンマーク、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、スウェーデンの5か国のみ。
加盟国
現在の加盟国は以下の34か国。
発足当初の原加盟国(アルファベット順)
- オーストリア
- ベルギー
- カナダ
- デンマーク
- フランス
- ドイツ
- ギリシャ
- アイスランド
- アイルランド
- イタリア
- ルクセンブルク
- オランダ
- ノルウェー
- ポルトガル
- スペイン
- スウェーデン
- スイス
- トルコ
- イギリス
- アメリカ合衆国
その後の加盟国(加盟順)
- 日本(1964年4月28日)
- フィンランド(1969年1月28日)
- オーストラリア(1971年6月7日)
- ニュージーランド(1973年5月29日)
- メキシコ(1994年5月18日)
- チェコ(1995年12月21日)
- ハンガリー(1996年5月7日)
- ポーランド(1996年11月22日)
- 韓国(1996年12月12日)
- スロバキア(2000年12月14日)
- チリ(2010年5月7日)
- スロベニア(2010年7月21日)
- イスラエル(2010年9月7日)
- エストニア(2010年12月9日)
加盟申請国
- ロシア(2007年5月)
関与強化国
加盟を視野に入れたOECD側の調査開始を理事会が事務総長に請求(2007年5月)。
その他
上記の加盟申請国、関与強化国のほか、 香港(「中国香港」として参加)、 中華民国(「 チャイニーズタイペイ」として参加)、 シンガポールなど、多数の国や地域がオブザーバーとしてOECDの種々の機関の活動に参加している。
事務局職員
OECD事務局職員は、国際公務員として、出身国等の特定の国家の利益のためではなく、国際社会の共通の利益のために、中立の立場で働くことが求められる。OECD事務局職員は外交官が有する外交特権と同一の便益が与えられる。
OECD事務局においては、ポストに空席ができた際に、空席公告によって後任者を公募することが一般的である。このため、応募者には経験と実務能力が必要とされる。応募資格は各機関・各役職ごとに定められるが、一般に以下の要件を満たすことが求められる。
- 語学:英語およびフランス語で職務を行えること
- 学位:修士号以上の学位を有すること
- 専門性:学位取得分野での実務経験等を有すること
日本人職員
1990年から1996年まで谷口誠(外務省出身)が日本人として初めて事務次長を務め、その後も1997年から1999年まで重原久美春(日本銀行出身)、1999年から2003年まで近藤誠一(外務省出身)、2003年から2007年まで赤阪清隆(外務省出身)、2007年から2011年まで天野万利(外務省出身)、2011年から玉木林太郎(財務省出身)がそれぞれ、事務次長を務める。
またOECD事務局で最有力局といわれる経済総局では、重原久美春が、1970年代の初めから日本銀行から時を隔てて4回に亘って勤務し、この間、エコノミスト、シニア・エコノミスト、金融調査課長、政策調査局次長、政策調査局長を経て1992年に総局長(チーフ・エコノミスト)に昇進した。主要国際機関のチーフ・エコノミストとして永らく国際舞台で活躍した日本人は重原のほかにはいない。重原は1997年にはOECD副事務総長に就任し、人口高齢化など経済社会問題に関するOECD事務局の活動を統括したほか、中国やロシアなどOECD非加盟国とOECDの協力関係を深めるために尽力した。
関連項目
- 国際機関
- 開発援助委員会 (DAC)
- 国際エネルギー機関 (IEA)
- 経済協力開発機構原子力機関 (NEA)
- OECD多国籍企業行動指針
- OECD生徒の学習到達度調査 (PISA)
- 法整備支援