米沢市
よねざわし 米沢市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 山形県 | ||||
市町村コード | 06202-2 | ||||
法人番号 | 7000020062022 | ||||
面積 |
548.51km2 | ||||
総人口 |
77,822人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||||
人口密度 | 142人/km2 | ||||
隣接自治体 |
東置賜郡高畠町、川西町、西置賜郡飯豊町 福島県:福島市、喜多方市、耶麻郡猪苗代町、北塩原村 | ||||
市の木 | コメツガ | ||||
市の花 | アズマシャクナゲ | ||||
米沢市役所 | |||||
市長 | 近藤洋介 | ||||
所在地 |
〒992-8501 山形県米沢市金池五丁目2番25号 北緯37度55分20.1秒 東経140度7分0.4秒 / 北緯37.922250度 東経140.116778度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
鎌倉時代は長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、戦国時代(天文の乱の後)に伊達氏の本拠地となる。「独眼竜」こと伊達政宗は米沢城で生まれ、岩出山(現在の宮城県大崎市)へ移転するまで米沢を支配した。
江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町となった。上杉氏からの縁で上越市(新潟県西部)との関係が深い。戦国時代に上杉氏が福島城下を領地にしていたことや、江戸時代に年貢米や物資の運搬のため米沢藩米蔵が福島城下に多く立ち並んでいたことから福島市との関係も深い。
市域は南置賜郡の大半および東置賜郡の一部を加えた範囲に及ぶ。
地理
南部及び東部は広い山地に囲まれており盆地である。一般的には米沢盆地と呼ばれている。市南部は幾つもの川が刻まれ尾根筋と谷筋が東西交互に並んだ複雑な地形であり、明治時代まで米沢と会津を結ぶメインルートであった旧米沢街道は県境越えの桧原峠までの市内に船坂峠・綱木峠の2つの峠がある。南端の吾妻連峰一帯は磐梯朝日国立公園となっており、天元台スキー場や栗子国際スキー場がある。市街地は市の中北部にあり、最上川の西岸の米沢城址付近に集中している。
気候
四季の変化に富み、日本海側気候の盆地特有の気候を示しており、夏は夏日、真夏日となる日が多いが、日中は暑くても朝晩は涼しくなり熱帯夜にはならない。冬は一日中氷点下の真冬日となる日も多い。零下10度を下回る日も珍しくなく、1978年2月17日には-18.2度を観測しているなど寒さが厳しい。米沢市の気象観測地点の標高は245m、一方、福島市の福島地方気象台の標高は67mと標高差は178mほどしか無く、両市中心街の距離は40km弱しか離れていないが、太平洋側気候の福島市とは気候に非常に大きな違いがあり、冬季の冷え込み、真冬日日数、熱帯夜日数、積雪量などで非常に大きな差がある。
日本海越えの季節風の影響により冬には最深積雪が1mを越える年もあり、山形県内でも豪雪地帯の一つとなっているが(特別豪雪地帯に指定されている)、気候を利用した果物の栽培が盛んな地域でもある。
極値[1]
要素 | 観測値 | 観測年月日 |
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最高気温 | 37.7℃ | 2018年8月23日 |
最低気温 | -18.2℃ | 1978年2月17日 |
人口
- 置賜地方で最大の人口を擁しており、長らく横ばいの人口変化で9万人前半台を推移していたが、2010年4月1日現在で89832人の8万人台になり[2]、2015年10月1日現在では85953人である[3]。
米沢市(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
- 1871年廃藩置県により、米沢が置賜県の県庁所在地となる。 8月29日 —
- 1876年山形県( - 1876年 8月)などが合併する。以後は山形県に属する。 8月21日 — 置賜県と
- 1889年 4月 1日 — 市制を施行する。日本で最初に市制を施行した31市の中の一つである。
- 1899年奥羽本線米沢駅が開業する。 5月15日 —
- 1908年[4] 9月 3日 — 市章を制定する。
- 1976年 - 1980年 — 財政再建団体の指定を受ける。
- 1988年八谷鉱山が閉山する。 3月 2日 —
行政区域の変遷
- 1889年市制の施行により、南置賜郡米沢城下のうち123町と、花沢村、福田村、外ノ内村および館山村、口田沢村、吹屋敷村、赤芝村、塩野村、片子村、三沢村、赤崩村、笹野村、遠山村の各一部が合併して発足(米沢城下のうち6町は南原村の一部となる)。 4月 1日 —
- 1953年上長井村を編入。 8月 1日 — 南置賜郡
- 1954年10月万世村、広幡村、六郷村、塩井村を編入。 1日 — 南置賜郡
- 1954年11月三沢村、窪田村を編入。 1日 — 南置賜郡
- 1955年山上村を編入。 1月 1日 — 南置賜郡
- 1955年東置賜郡上郷村を編入。 2月 1日 —
- 1955年南原村を編入。 4月 1日 — 南置賜郡
- 1998年高畠町と境界変更。 1月 6日 — 東置賜郡
- 2007年 1月25日 — 東置賜郡高畠町と境界変更。
行政
市長
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
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官選米沢市長 | ||||
1 - 2 | 大滝龍蔵 | 1889年(明治22年)7月5日 | 1899年(明治32年)7月30日 | |
3 | 大滝新十郎 | 1899年(明治32年)9月9日 | 1902年(明治35年)6月18日 | |
4 | 平田駒太郎 | 1902年(明治35年)7月22日 | 1905年(明治38年)2月3日 | |
5 - 6 | 二村忠誠 | 1905年(明治38年)2月3日 | 1912年(明治45年)1月20日 | |
7 | 酒井寛助 | 1912年(明治45年)4月23日 | 1914年(大正3年)3月13日 | |
8 | 深沢忠蔵 | 1914年(大正3年)4月16日 | 1918年(大正7年)4月15日 | |
9 | 宇佐美駿太郎 | 1918年(大正7年)5月13日 | 1920年(大正9年)6月25日 | |
10 | 永井秀蔵 | 1920年(大正9年)11月24日 | 1924年(大正13年)11月23日 | |
11 | 深沢忠蔵 | 1925年(大正14年)3月5日 | 1929年(昭和4年)3月4日 | |
12 - 16 | 登坂又蔵 | 1929年(昭和4年)3月16日 | 1944年(昭和19年)3月4日 | 死去 |
17 | 宇佐美辰五郎 | 1944年(昭和19年)5月2日 | 1946年(昭和21年)11月16日 | |
公選米沢市長 | ||||
18 | 岡村武雄 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1948年(昭和23年)7月7日 | |
19 - 20 | 高橋広吉 | 1948年(昭和23年)8月5日 | 1955年(昭和30年)12月3日 | 死去 |
21 - 25 | 吉池慶太郎 | 1956年(昭和31年)1月27日 | 1975年(昭和50年)12月20日 | |
26 - 27 | 長俊英 | 1975年(昭和50年)12月22日 | 1983年(昭和58年)12月21日 | |
28 - 32 | 高橋幸翁 | 1983年(昭和58年)12月22日 | 2003年(平成15年)12月21日 | |
33 - 35 | 安部三十郎 | 2003年(平成15年)12月22日 | 2015年(平成27年)12月21日 | |
36 | 中川勝 | 2015年(平成27年)12月22日 |
警察
消防
- 置賜広域行政事務組合消防本部 — 2012年3月までは米沢市消防本部であった。原型は大正時代に設立された「米沢市消防組常備消防部」(東北地方初の常備消防)
- 米沢市消防団 — 16分団制
紋章
米沢市の「米」の字を図案化し、末広で構成したものである。制定は文献によっては1919年5月19日の米沢大火で米沢市役所を全焼し、文書等を類焼したために不詳であったが、[4]都市の紋章:一名・自治体の徽章によると1908年9月3日に一般公募によって制定されたことが解る。[6]
経済
産業
江戸時代から続く産業として、繊維産業が盛んで、米沢織(米織)とよばれる。米沢紬と呼ばれる紬も、周辺町村と合わせて生産される。明治時代には、米沢高等工業学校がおかれ、大正時代には、同学校教授秦逸三によって帝国人造絹絲株式会社(帝人の前身)が興った。後に、工場用地、用水の問題から米沢工場は廃止されている。1949年(昭和24年)、米沢高等工業学校は山形大学工学部と改組されるが、工学部は米沢キャンパスとして現在も米沢に拠点を置いている。
米沢市に本社を置く主要企業
工場・事業所を置く主要企業
金融機関
米沢市に本店・支店・出張所等の窓口を置く預貯金取扱金融機関は以下のとおり(2016年4月現在)。
金融機関種別 | 金融機関名称 |
---|---|
地方銀行 | 山形銀行(6)、荘内銀行(3)、東邦銀行 |
第二地方銀行 | きらやか銀行(3) |
信用金庫 | 米沢信用金庫(8) |
労働金庫 | 東北労働金庫 |
公庫 | 日本政策金融公庫 |
信用組合 | 山形第一信用組合 (2) |
農協 | 山形おきたま農業協同組合(3) |
- 括弧内は窓口事務所数(事務所数1の場合は省略) 山形銀行、荘内銀行、きらやか銀行のブランチインブランチは除く。
- 米沢市の指定金融機関は、山形銀行
郵便
姉妹都市・提携都市
- 国内
参考: 姉妹都市の位置(米沢市サイト内)
- 海外
学校
米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいる。上杉家歴代の中でも家祖謙信と中興の祖鷹山は特に顕彰され、全小学校の講堂(体育館)には参考画像と同じ肖像画を掲げ、教育が行われる。また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とする。
- 大学・短期大学
- 山形大学米沢キャンパス(工学部)
- 山形県立米沢栄養大学
- 山形県立米沢女子短期大学
- 高等学校
- 中学校
(全て米沢市立、8校)
- 小学校
(全て米沢市立、18校、分校7校)
- 興譲小学校
- 東部小学校
- 西部小学校
- 南部小学校
- 北部小学校
- 窪田小学校
- 愛宕小学校
- 塩井小学校
- 広幡小学校
- 松川小学校
- 六郷小学校
- 万世小学校
- 三沢西部小学校
- 上郷小学校
- 三沢東部小学校
- 三沢東部小学校山梨沢分校(休校中)
- 関小学校
- 関小学校綱木分校(休校中)
- 関小学校高湯分校(休校中)
- 関根小学校
- 関根小学校赤崩分校(休校中)
- 関根小学校松原分校(休校中)
- 関根小学校板谷分校(休校中)
- 南原小学校
- 南原小学校李山分校(休校中)
交通
鉄道
中心となる駅:米沢駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
バス
- 高速バス
- 一般路線バス
- 山交バス
- 米沢市市民バス
- 一般ツアーバス(タクシー代替になることがあり)
- 会津若松・喜多方 - 米沢:会津・置賜間バス運行推進委員会(広田タクシー) ※4月下旬 - 11月下旬の土休日のみ
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
空港
観光
- ご当地ソング 『これぞ天下の上杉節』:門脇陸男
- マスコットキャラクター 『かねたん』(直江兼続マスコットキャラクター)
- ローカルヒーロー 『YOZAN戦士アズマンジャー』(戦隊ヒーロー。米沢の特産品「米沢のABC」をモチーフとしている。)
祭事
名所・観光地・遺跡・史跡
- 松が岬公園(米沢城址)
- 上杉伯爵邸
- 餐霞館遺跡(鷹山公隠居後の住居)
- 上杉家廟所
- 林泉寺(上杉氏の菩提寺)
- 塩野毘沙門堂(長井氏・伊達氏・上杉氏の庇護を受けた古刹)
- 普門院(上杉鷹山が師・細井平州を出迎えた寺。国の史跡「上杉治憲敬師郊迎跡」)
- 白子神社(上杉鷹山が藩の立て直しをする際、誓詞(現存)を納めた米沢最古の神社)
- 成島八幡神社
- 米沢市上杉博物館(伝国の杜)
- 国宝上杉本洛中洛外図屏風
- 国宝上杉家文書
- 旧米沢高等工業学校本館
- 栗子国際スキー場
- 米沢スキー場
- 遠山覚範寺跡(伊達政宗が父輝宗を弔うため建てた寺跡)
- 直江石堤(直江兼続が米沢を洪水から守るために松川の現在の米沢市大字赤崩に作った。別名「谷地河原堤防」)
- 滑川大滝(日本の滝百選)
- 那須与一の供養塔(西蓮寺の虚空蔵菩薩堂の前に建つ三重の層塔)
- 前田慶次供養塔(堂森善光寺)
- 宮坂考古館(前田慶次の遺品を展示)
- 上杉城史苑
- 一ノ坂遺跡(矢来町にある約6000年前の日本最長のロングハウス跡)
- 古志田東遺跡(平安時代の豪族の居館跡。国の史跡)
- 延徳寺遺跡
- 戸塚山古墳(山頂の前方後円墳を発掘したところ、女性とみられる人骨が出土した)
- 白馬の騎士(天元台スキーの雪形。川中島での上杉謙信公の姿に見立てられ、米沢のシンボルの一つである)
- 草木塔
- 笹野観音堂(置賜三十三箇所観音霊場19番札所[8])
参照:城下町ふらり歴史探訪
土産
米沢のABC
米沢の特産品をわかりやすく宣伝するために考案された。
- A - 舘山林檎 (Apple) 寒暖差の大きいこの地に良く合い、濃縮されたような甘酸っぱさが特徴である。主に「ふじ」が有名
- B - 米沢牛 (Beef) いわずと知れた日本三大和牛[9]。その発祥と主な生産地は隣町の飯豊町。
- C - 米沢鯉 (Carp) 昔たんぱく質不足を補うため上杉鷹山が飼育を始めた。
悪臭問題
2008年(平成20年)12月、市南部の南原地区内の堆肥製造事業所と養豚事業所が原因とされる悪臭が市街地まで達し、多くの苦情が発生したため、米沢市議会に特別委員会が設置された。2014年(平成26年)3月時点で苦情はほぼない状態となっており、特別委員会では「解決まであと一歩」と報告されている。しかし、隣接する住宅への悪臭はいまだ解決されていないため、現在は堆肥製造事業所の業態転換と養豚事業所の移転実現へ向けた市と県の支援と指導が続いている。
著名な出身者
- 政治・軍事
- 石川昭光 - 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将
- 伊達政宗 - 戦国時代の陸奥国の戦国大名で、仙台藩初代藩主、出羽国米沢に生まれる
- 支倉常長 - 戦国時代から江戸時代初期の伊達政宗の家臣であり、慶長遣欧使節として、メキシコ(当時はヌエバ・エスパーニャ副王領)やキューバ、スペイン王国、教皇領などを訪れる
- 雲井龍雄 - 幕末の米沢藩士、志士
- 平田東助 - 政治家
- 池田成彬 - 政治家
- 山下源太郎 - 軍人、海軍大将、男爵、第9代・第10代連合艦隊司令長官
- 南雲忠一 - 軍人、海軍大将
- 下村正助 - 軍人、海軍中将
- 小林仁 - 軍人、海軍中将
- 宮下健一郎 - 軍人、陸軍中将
- 黒金泰美 - 政治家、官房長官
- 木村武雄 - 政治家、建設大臣
- 遠藤武彦 - 政治家、農林水産大臣
- 登坂又蔵 - 米沢市長
- その他
- 原元辰 - 通称は惣右衛門(そうえもん)、赤穂四十七士、足軽頭300石、大石良雄の参謀
- 小田切万寿之助 - 外交官
- 井上治 - プロレスラー
- 石塚庸三 - 実業家
- 大橋乙羽 - 小説家、編集者
- 宮島大八 - 書家、近代日本における中国語学習書の『官話急就篇』の著者
- 伴淳三郎 - 俳優
- 山形英夫 - 歌手
- 眞島秀和 - 俳優
- あき竹城 - 女優
- 伊東忠太 - 建築家
- 我妻榮 - 民法学者
- 河上清 - ジャーナリスト
- 大熊信行 - 評論家、経済学者、歌人
- 本間久雄 - 英文学者、国文学者
- 高橋里美 - 哲学者
- 田島由紀子 - BARGAINSボーカル
- 矢野仁一 - 東洋史学者
- 本間国生 - 日本画家
- 皆川睦雄 - 野球選手
- ますむらひろし - 漫画家
- ラズウェル細木 - 漫画家
- 田中信生 - 牧師
- 針重敬喜 - 編集者、アマチュアテニス選手
- 相田幸二 - 料理研究家
- 牛嶋俊明 - FM岡山アナウンサー、おしょうしな観光大使(2009 - )
- 寺沢寛一 - 理論物理学者
- 鈴木由紀子 - 作家
- 華村あすか - 女優、グラビアアイドル
参考文献
脚注
- ^ 気象庁(米沢の観測史上1 - 10位の値)
- ^ “市町村別人口・世帯数 平成22年4月現在”. 山形県. 2013年8月8日閲覧。
- ^ Ⅲ人口の概要 - 米沢市
- ^ a b “市章の制定”. 米沢市例規集. 2013年8月8日閲覧。
- ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。『朝日新聞』。
- ^ “米沢市”. 都市の紋章:一名・自治体の徽章. 2013年8月8日閲覧。
- ^ 米沢八湯リストアップ
- ^ やまがた!発旅の見聞録 #0951 2011年10月4日閲覧。
- ^ しかし日本三大和牛自体に明確な定義はなく、特に関西地方では代わりに近江牛を入れることがある。
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
- 上杉の城下町 米沢 観光情報 - ウェイバックマシン(2002年5月26日アーカイブ分)
- 米沢観光ナビ
- 米沢観光物産協会
- 米沢市に関連する地理データ - オープンストリートマップ