第二航空戦隊
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第二航空戦隊(だいにこうくうせんたい)とは、日本海軍の機動部隊の一翼を担った空母部隊のことである。戦局の悪化により1944年(昭和19年)7月10日解隊。
概要
前線部隊である第二艦隊には、最前線での偵察・攻撃・防御に適していた航空部隊の設置が要求されていたが、航空機の能力が低く、航空母艦が不足していたために、航空戦隊を設置する余裕がなかった。1933年(昭和8年)に4隻目の航空母艦として「龍驤」が竣工し、「赤城」単艦・「加賀」単艦・「鳳翔」+「龍驤」の三交代が可能となった。これを受けて、1934年より第二艦隊に設置された。「蒼龍」「飛龍」は竣工するとさっそく第二航空戦隊に編入され、戦没するまで定位置だった。
空母「蒼龍」「飛龍」を主力として第一航空艦隊を構成する部隊の1つとして編成された。空母のほか、護衛のために第23駆逐隊が所属していた。初代司令官は山口多聞少将。主に、真珠湾攻撃や、ウェーク島攻撃、ポートダーウィン攻撃、セイロン沖海戦に参加するが、ミッドウェー海戦で主力空母2隻を失い解隊された。その後7月に、空母「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」で再建された。司令官は角田覚治少将。「龍驤」が第二次ソロモン海戦で沈没したため、「龍鳳」が第二航空戦隊に加わった。マリアナ沖海戦で「飛鷹」は沈没、残った隼鷹と龍鳳は艦載機が消耗し、解隊された。
編制
- 1944年(昭和19年)7月10日 解隊
歴代司令官
- 片桐英吉 少将:1934年(昭和9年)11月15日 -
- 堀江六郎 大佐:1935年(昭和10年)11月15日 -
- 塚原二四三 少将:1937年(昭和12年)12月1日 -
- 三並貞三 少将:1937年12月15日 -
- 鮫島具重 少将:1938年(昭和13年)9月1日 -
- 戸塚道太郎 少将:1939年(昭和14年)10月20日 -
- 山口多聞 少将:1940年(昭和15年)11月1日 - 1942年(昭和17年)6月5日戦死
- 角田覚治 少将:1942年7月14日 -
- 酒巻宗孝 少将:1943年(昭和18年)5月22日 -
- 城島高次 少将:1943年9月1日 -