第7回国民体育大会

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第7回国民体育大会(だい7かいこくみんたいいくたいかい)は、1952年に開催された国民体育大会である。秋季大会は第2回以降の単独県開催ではなく、東北3県の複数県での開催となった。本年は日本が主権を回復し、また陸上競技の沖縄代表選手が15名参加するなど意義深い大会となった。

概要[編集]

期間 開催地 競技数 参加者数
1952年1月24日 - 1月27日 栃木県日光市 1 1,583
1952年3月5日 - 3月9日 北海道小樽市 1 1,100
1952年9月17日 - 9月21日 宮城県塩竈市松島町 1 430
1952年9月20日 - 9月23日 栃木県宇都宮市 1 1,235
1952年10月19日 - 10月23日 宮城・山形・福島県 28 19,046
合 計 32 23,394

秋季大会の開会式は、天皇皇后臨席のもと、福島県営信夫ヶ丘陸上競技場[1]で執り行われた。一方宮城・山形の会場では福島からのラジオ中継により開始式が同時刻に行われた。

テーマ曲は「第七回国民体育大会讃歌」(作詞・大友真一郎、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男)。

実施競技[編集]

総合成績[編集]

天皇杯[編集]

冬季大会[編集]

  • 1位 - 北海道
  • 2位 - 長野県
  • 3位 - 東京都

夏・秋季大会[編集]

  • 1位 - 東京都
  • 2位 - 福岡県
  • 3位 - 愛知県

皇后杯[編集]

冬季大会[編集]

  • 1位 - 北海道
  • 2位 - 東京都
  • 3位 - 青森県

夏・秋季大会[編集]

  • 1位 - 東京都
  • 2位 - 愛知県
  • 3位 - 岡山県

脚注[編集]

  1. ^ 現在は福島市に移管され、福島市信夫ヶ丘競技場となっている。

参考文献[編集]