笠井信輔
かさい しんすけ 笠井 信輔 | |
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第30回東京国際映画祭にて(2017年10月) | |
プロフィール | |
出身地 | 日本・東京都世田谷区 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1963年4月12日(61歳) |
血液型 | A型(Rh-) |
最終学歴 | 早稲田大学商学部 |
所属事務所 | オールラウンド |
活動期間 |
1987年 - 2019年(フジテレビ所属) 2019年 - (フリー) |
ジャンル | 情報・報道 |
配偶者 | 茅原ますみ |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
『おはよう!ナイスデイ』 『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』 『情報プレゼンター とくダネ!』 『男おばさん』などなど |
笠井 信輔(かさい しんすけ、1963年4月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサー。 東京都世田谷区出身。オールラウンド所属。
祖父に劇作家・脚本家の阿木翁助。妻はテレビ東京社員の茅原ますみ。
来歴・人物
血液型はA型。身長は170cm、体重は62kg。
本町田東小学校、町田市立薬師中学校、東京都立狛江高等学校、早稲田大学商学部卒業。1987年、フジテレビにアナウンサーとして入社し、毎年7月に放送されている『FNS27時間テレビ』の提供読みを記念すべき第1期生として同期の塩原恒夫とともに務めた。1988年4月4日からは、午後の情報番組『タイム3』で須田哲夫アナウンサーなどとともに司会を担当。1994年9月30日の『タイムアングル』終了まで6年半出演した。1997年3月31日から、夕方の報道番組『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』メインキャスターを笹栗実根(報道局記者)と担当。1998年3月30日からは、午前の情報番組『ナイスデイ』で榊原るみとともに総合司会として出演した。
1999年から2019年9月まで『ナイスデイ』の後番組『情報プレゼンター とくダネ!』のサブ司会兼メインアシスタント・ニュースデスクを歴任し、2007年7月から2019年9月までアナウンス室専任部長(情報担当部長)を務めた。またフジテレビのホームページおよび携帯サイド内の「アナウンスマガジン」の編集長でもあった。東日本大震災の際には民放関係者として最初に被災地入りし、生レポートを行なった。のちに当時の様子、またあまりの惨状にPTSDを患ったことなどをルポルタージュにまとめている。
『とくダネ!』の中の1コーナー「とくダネ!TIMES」(のち「得もり」)を担当していた。「得もり」となってからはスタジオ登場の前に副調整室で最初の話題を出す。また、季節を問わず常にベストを着用している。後輩の伊藤利尋がサブ司会に就任するまで、総合司会の小倉智昭の休暇時は代理総合司会をしていた。
大学時代はスキークラブと放送研究会の両方に所属[1]。3年生の時にTBS『ぴったし カン・カン』でアルバイトスタッフとして働いていたが、就活時にTBSでは男性の募集がなかったため、フジテレビと、他に日本テレビとテレビ朝日を受験したが、2局には不合格だった。
先輩の軽部真一と公私ともに仲が良く、「男おばさん」とのコンビを組んでいる。
趣味・特技はスキー(1級)、カラオケ、(映画、ビデオ、宝塚歌劇)鑑賞、パソコン通信。ミステリー小説を愛読し,推理作家・折原一のファンであるとのこと。さらには自称オタクを公言し、宝塚歌劇団や最新ハリウッド映画[2]、またかつての同僚ならびに上司でもあり、現在はフリーアナウンサー・鉄道文化人に転身した堺正幸と同じく鉄道などに詳しいと主張している[3][4]。特に映画に関しては、新作のハリウッド映画だけで年間130本以上を鑑賞するとし[5]、フジテレビクラブ会員限定イベント「笠井信輔のシネマン坊トークショー」(年2回程度開催)の司会を務めるほか、「お台場冒険王」内のイベント「The Movie King お台場映画王2005」ではゼネラルプロデューサーに就任した。軽部と同じく名実ともにフジテレビのナンバーワンシネフィル(映画狂)を自称しており、軽部とともにフジテレビが東宝とともに経営するCSチャンネル「日本映画専門チャンネル」に出演している。『ゴジラ2000 ミレニアム』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』『UDON』では本人役で登場し、シネフィルならではの芝居を披露している。
3人兄弟の長男で、自身も3人の息子を持つ父親である。漫画「鉄子の旅」(小学館)では息子のユウくん、はるボンとともに出演している(単行本第3巻に収録)。
2015年9月16日、声帯ポリープの除去のため、一時休養が発表となる[6]。9月28日放送の『とくダネ!』で復帰[7]。
2019年7月30日、同年9月30日付けでフジテレビを退職し、フリーアナウンサーに転身すると伝えられた[8]。同年9月30日を以てフジテレビを退職[9]。同年10月1日より『とくダネ!』で総合司会を務める小倉智昭などがいる芸能事務所オールラウンドに所属し、フリーアナウンサーとしての活動を開始する。
2019年12月18日、悪性リンパ腫に罹患していることを所属事務所を通じて公表[10]。19日、『とくダネ!』の生放送に出演し、病名が「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であることや、公表に至った心情などについて語った[11]。21日、ブログを開設。病状や闘病生活について綴った[12][13]。
その後は活動を休止しブログで闘病について綴っていたが、治療は順調に進み、2020年5月1日に退院[14]。自宅療養に入りながらも、15日に退院後初めての仕事として文化放送のラジオ番組『くにまるジャパン 極』に出演し、活動を再開した[15]。
2020年6月5日、主治医から悪性リンパ腫が完全寛解したと伝えられたことをブログで報告した[16][17]。
2020年7月31日、白血球の数値が安定したため普通に働いてよいことを主治医から告げられたとブログで報告し、活動を本格的に再開した[18]。
出演
テレビ番組
フジテレビアナウンサー時代
- CS男おばさんL
- CSローカルサンデー
- 笑っていいとも!(入社初期、時期不明) - 「テレフォンショッキング」テレフォンアナ
- おはよう!ナイスデイ(1987年10月 - 1988年3月) - レポーター
- FNNスーパータイム(1987年10月 - 1988年3月) - スポーツコーナー(週末)
- タイム3(1988年4月 - 1993年9月) - 総合司会
- 今夜は好奇心!(1990年4月 - 1994年9月) - 司会
- ビデオの王様(1990年4月 - 9月)
- ビデオの女王様シリーズ(1990年10月 - 1992年3月)
- タイムアングル(1993年10月 - 1994年9月) - 総合司会
- となりのパパイヤ(1994年10月 - 1995年3月) - コーナー司会
- 3時ヨこい!(1995年4月 - 1995年9月) - コーナー司会
- めざましテレビ(1995年4月 - 1997年3月) - 中継コーナー
- THE WEEK(1996年4月 - 9月) - 総合司会
- FNNニュース555 ザ・ヒューマン(1997年3月 - 1998年3月) - メインキャスター
- ナイスデイ(1998年4月 - 1999年3月) - 総合司会
- とくダネ!発 GO-ガイ!(2003年2月 - 2004年2月) - 総合司会
- 銀幕会議2(2006年5月 - 2008年3月) - 顧問
- 男おばさん(不明 - 2008年3月)
- 男おばさん特盛(不明 - 2008年3月)
- 子育てれび
- 男おばさん 燃えろ!デジタル部(2008年4月6日 - 2010年9月5日) - 副部長
- 男おばさん+(ブラス)(フジテレビONE・TWO)
- アナマガ増刊号
- Cafe du Cinema(石川テレビ、不定期出演)
- 男おばさん ワンツーネクスト
- CS日本映画レトロスペクティブ
- 情報プレゼンター とくダネ!(1999年4月 - 2019年9月) - サブ司会兼メインアシスタント→ニュースデスク
- バイキング(2018年4月 - 2019年9月) - コーナー進行(13時台、金曜)
テレビドラマ
- ちびまる子ちゃん スペシャルドラマ版(2006年・2013年) - 戸川先生 役
- まるまるちびまる子ちゃん(2007年 - 2008年)
- スミレ刑事の花咲く事件簿 epsode 0(2011年3月27日、フジテレビTWO) - 警官 役
- CHANGE(2008年) - かどくら衆議院議員役
- 長生き競争!(2008年、東海テレビ制作)
テレビアニメ
フリー以降
- 土曜スペシャル 鉄道沿線ひたすら歩き旅6 福島・磐越西線 郡山~会津(テレビ東京、2019年12月7日)
- 徹子の部屋(テレビ朝日、2019年12月20日)[20]
映画
- ガメラ3 邪神覚醒(1999年) - 渋谷で逃げ惑う人 役
- ゴジラシリーズ
- ゴジラ2000 ミレニアム(1999年) - 円盤襲来現場リポーター 役
- ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) - お台場で逃げ惑う人 役
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) - ニュース速報アナ 役
- ゴジラ×メカゴジラ(2002年) - 八景島シーパラダイスで逃げ惑う人 役
- 交渉人 真下正義(2005年) - 本人役(男おばさんとして)
- UDON(2006年)- 本人役
- ゲゲゲの鬼太郎(2007年) - 男おばさん 役
- 少林少女(2008年)
- 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(2012年) - ニュースキャスター 役
- 万引き家族(2018年) - ニュースキャスター 役
CM
- アフラック生命保険 生きるためのがん保険Days1 ALL-in「櫻井さんの取材ノート 笠井さん がんになった時の不安」篇 / 「櫻井さんの取材ノート 笠井さん がん治療の選択肢」篇(2020年10月5日 - )[21]
漫画
- 鉄子の旅
- 第3巻 第21旅 親子で楽しむ伊豆の旅 - 本人が息子2人(ユウくん、はるボン)とともに出演
- 第4巻 第32旅 横見浩彦・日本全駅下車達成!! - 本人が『とくダネ!』の取材で出演
- 第5巻 第38旅 レッドアローでの攻防
- 第5巻 第39旅 絵日記で綴る秩父鉄道の旅 - 本人は名前が出るのみだが(実際は同行)、家族4人(妻ますみ、ユウくん、はるボン、すずくん)と、ユウくんの友人で鉄の師匠でもあるコウちゃんが出演
著書
- 僕はしゃべるために被災地(ここ)へ来た 産経新聞出版 2011年11月 ISBN 978-4819111447
- 増補版 僕はしゃべるために被災地(ここ)へ来た 新潮社 2016年3月 ISBN 978-4101202914
- 生きる力 ―引き算の縁と足し算の縁― KADOKAWA 2020年11月 ISBN 978-4041099995
脚注
- ^ 新企画【オヤジンセイ】笠井信輔〜後編〜「電車好きおしゃべり少年が幸運にもアナウンサーに」 - フジテレビュー!!、2019年10月9日
- ^ フジテレビ主催のイベント「お台場学園」出演者プロフィール(「趣味」の項目で、ハリウッド映画:鑑賞や舞台鑑賞(特にミュージカル とりわけ 宝塚歌劇団好き)が趣味として紹介されている)
- ^ マイコミジャーナルの「夏休みファミリーフェスティバル 大鉄道博 Supported by タカラトミー」(2009年8月1日からグランドプリンスホテル新高輪で開催された)開会式を伝える記事(記事中で「鉄道ファンで知られるフジテレビの笠井信輔アナウンサー」と紹介されている。)
- ^ J-CASTテレビウォッチの『とくダネ!』の放送内容を伝える記事(『JTB時刻表』の通算1000号到達特集が記事になっており、この中で「鉄道好きな笠井信輔アナ」と紹介されている)
- ^ フジテレビの「アナルームニュース」(2005年8月2日号)(冒頭部分で言及されている。)
- ^ “フジ笠井信輔アナ『とくダネ!』一時休養 声帯ポリープ手術で”. ORICON (2015年9月16日). 2015年9月16日閲覧。
- ^ “声帯ポリープ手術のフジ笠井信輔アナ「とくダネ!」復帰”. Sponichi Annex (2015年9月28日). 2015年9月28日閲覧。
- ^ “笠井信輔アナ、フリー転身! 9月末にフジ退社 「とくダネ!」卒業”. SANSPO.COM. (2019年7月30日) 2019年7月30日閲覧。
- ^ 新企画【オヤジンセイ】笠井信輔〜前編〜「フリーは甘くない、でも退路を断たねば説得力ない」 - フジテレビュー!!、2019年10月8日
- ^ “笠井信輔アナ 悪性リンパ腫で療養 事務所が発表 19日「とくダネ」で自ら説明へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年12月18日) 2019年12月18日閲覧。
- ^ “笠井信輔アナ、がんは全身に散らばっている状況「生存率は7割程度」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2019年12月19日) 2019年12月19日閲覧。
- ^ “笠井アナ、悪性リンパ腫は「予後の悪いタイプ」 開設ブログで説明”. マイナビニュース (マイナビ). (2019年12月22日) 2020年10月2日閲覧。
- ^ “ブログ始めます。”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2019年12月21日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “退院の夜、やっぱりブログ書きます!”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年5月1日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “退院の夜、やっぱりブログ書きます!”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年5月14日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “完全寛解!”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年6月5日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “笠井アナ「完全寛解」報告 悪性リンパ腫で闘病”. マイナビニュース (マイナビ). (2020年6月5日) 2020年10月2日閲覧。
- ^ “嬉しい!ご報告”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年7月31日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ 「ちびまる子ちゃん」スタッフ一同が追悼、担任役の笠井アナが代読 - SANSPO.COM
- ^ 笠井アナ、20日「徹子の部屋」に出演 収録前に病名発覚、病気にも触れる デイリースポーツ、2019年12月19日
- ^ “櫻井翔、アフラック新CMでフリーアナウンサー・笠井信輔にリモートインタビュー”. BARKS. (2020年9月28日) 2020年10月19日閲覧。
関連項目
- 東京都出身の人物一覧
- 鹿内春雄(笠井入社時のフジテレビ会長)
- 須田哲夫(『タイム3』・『タイムアングル』で長く共演)
- 岩瀬惠子(かつての同僚で、『タイム3』で共演)
- 大坪千夏(かつての同僚で、『タイムアングル』で共演)
- 佐々木恭子(『とくダネ!』で長く共演)
- 中野美奈子(かつての同僚で、『とくダネ!』で共演)
外部リンク
- 笠井信輔 - オールラウンド(所属事務所)
- 笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい -Amebaブログ(2019.12.22〜)
- 笠井信輔official (@shinsuke.kasai) - Instagram
期間 | メインキャスター | スポーツキャスター | お天気 キャスター | |||||||||
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アンカーマン | アシスタント | 進行 | アシスタント | |||||||||
月 - 金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 水曜日 | 木・金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 金曜日 | 月 - 金曜日 | 土 - 日曜日 | ||
1984年10月1日 | 1985年3月29日 | 逸見政孝1・2 | なし | 幸田シャーミン3 | なし | 河村保彦1 | 江本孟紀 | なし | なし | (下記参照) | なし | |
1985年4月1日 | 1986年3月30日 | 陣内誠4 | 城ヶ崎祐子 | 長田渚左 | 森末慎二5 | 川端健嗣 | 逸見政孝 | (メインが兼務) | ||||
1986年3月31日 | 1986年9月28日 | 三宅正治 | ||||||||||
1986年9月29日 | 1987年3月31日 | 山中秀樹4 | ||||||||||
1987年4月1日 | 1987年9月30日 | 幸田シャーミン3 | 野間脩平 | 永麻理 | ||||||||
1987年10月1日 | 1988年3月31日 | 野間脩平 | 安藤優子 | 笠井信輔 | ||||||||
1988年4月1日 | 1988年7月9日 | 黒岩祐治 | 安藤優子3 | 小田多恵子 | 筒井櫻子 | |||||||
1988年7月10日 | 1989年4月2日 | 塩原恒夫 | ||||||||||
1989年4月3日 | 1989年9月30日 | 上田昭夫 | 有賀さつき | 上田昭夫 | ||||||||
1989年10月1日 | 1990年7月1日 | 木幡美子 | ||||||||||
1990年7月2日 | 1990年9月30日 | 八木亜希子6 | 吉田伸男 | |||||||||
1990年10月6日 | 1991年3月31日 | 田代尚子 | ||||||||||
1991年4月1日 | 1992年3月31日 | 黒岩祐治 | 小林穂波 | 松井みどり | 黒岩祐治 | |||||||
1992年4月1日 | 1993年9月26日 | 露木茂7 | 山中秀樹8 | 吉崎典子9 | 大坪千夏 | 安藤優子 | ||||||
1993年9月27日 | 1994年3月31日 | 近藤サト | 佐藤里佳 | 岩谷忠幸 | ||||||||
1994年4月1日 | 1994年9月30日 | 松山香織3 | 上田昭夫 | 中井美穂 | ||||||||
1994年10月1日 | 1995年10月1日 | 山形斉子 | 岩谷忠幸10 | |||||||||
1995年10月2日 | 1995年12月3日 | 菊間千乃 | 八木沼純子10 | |||||||||
1995年12月4日 | 1996年3月31日 | 濱田典子 | ||||||||||
1996年4月6日 | 1997年3月30日 | 富永美樹10 | ||||||||||
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期間 | タイトル名 | 放送時間 | 総合司会 | アシスタント | 芸能デスク | ||
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男性 | 女性 | ||||||
1988年4月4日 | 1989年3月31日 | タイム3 | 15:00 - 15:55 | 須田哲夫 | 笠井信輔1・2 | 岩瀬惠子 | 前田忠明 |
1989年4月3日 | 1993年9月30日 | なし | |||||
1993年10月1日 | 1994年9月30日 | タイムアングル | 14:00 - 15:25 | 大坪千夏 | |||
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期間 | 放送時間(JST) | 総合司会 | 芸能デスク | |||
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1982.4.1 | 1983.2.7 | 月曜 - 金曜 8:30 - 9:55(85分) | 須田哲夫 | 荒川強啓 | 田丸美寿々 | 前田忠明1 |
1983.2.8 | 1983.3.25 | (不在) | ||||
1983.3.28 | 1984.9.28 | 山田美也子 | ||||
1984.10.1 | 1985.3.29 | |||||
1985.4.1 | 1987.3.27 | 桑原征平2 | ||||
1987.3.30 | 1991.3.29 | 向坂樹興 | 吉崎典子3 | |||
1991.4.1 | 1993.3.31 | 川端健嗣 | 八木亜希子 | |||
1993.4.1 | 1994.3.31 | 川端健嗣 | 軽部真一 | 小島奈津子 | ||
1994.4.1 | 1994.9.30 | 月曜 - 金曜 8:00 - 9:55(115分) | 生島ヒロシ | 大林典子4 | ||
1994.10.3 | 1995.9.29 | 月曜 - 金曜 8:30 - 9:55(85分) | ||||
1995.10.2 | 1998.3.27 | 向坂樹興 | 柴田光太郎 | |||
1998.3.30 | 1998.10.2 | 笠井信輔1 | 榊原るみ | |||
1998.10.5 | 1999.3.31 | 月曜 - 金曜 8:25 - 9:55(90分) | ||||
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