竹内春久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2011年4月

竹内 春久(たけうち はるひさ、1952年2月22日[1] - )は、日本外交官大使外務省国際情報統括官、駐シンガポール特命全権大使、東京大学公共政策大学院客員教授等を歴任した。

人物[編集]

アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身。麻布中学校・高等学校を経て[2]、1975年一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省[3]

2000年大臣官房総務課長に就任、室長による外務省機密費流用事件の調査を行うが、2001年に過労で倒れ、入院療養のため外務省大臣官房付に異動となった。同じく調査にあたっていた阿部知之(大臣官房長)、木寺昌人(大臣官房会計課長)も同じく過労で、入院療養のため大臣官房付に異動となった[4]

局長級の国際情報統括官を務めたのち、2008年駐イスラエル特命全権大使に就任。2013年から駐シンガポール特命全権大使。2016年に退職したのち、東京大学公共政策大学院客員教授[5]霞関会理事[6]大和ハウス工業顧問などに就任。

略歴[編集]

ベニー・ガンツと会話する竹内(2011年4月)

論文等[編集]

  • 「総領事館ほっとライン (6) ロンドン ロンドンの墓地で先人の足跡をしのぶ」(世界週報84 (43)(通号4122)、2003年11月18日)
  • 「知られざる近代外交史の群像(4・最終回)戦禍を生きのびた本」(外交フォーラム15 (12)(通号173)、2002年12月)
  • 「知られざる近代外交史の群像 (3) 消えたデニソン肖像画」(外交フォーラム15 (11)(通号172)、2002年11月)
  • 「知られざる近代外交史の群像 (2) デニソン像と明治の面影」(外交フォーラム15 (10)(通号171)、2002年10月)
  • 「探訪 知られざる近代外交史の群像(1)陸奥宗光像の一〇〇年」(外交フォーラム15 (9)(通号170)、2002年9月)
  • 「文化交流も「経済」が決め手--最近の日英関係が教えること」(中央公論110 (11)、1995年8月)
  • 「経済の時代」の日本の盲点」(中央公論109 (4)、1994年4月)
  • 「アメリカ「人権外交」の源泉--あるいは、アイオワのおじいさんの話」(中央公論108 (5)、1993年4月)
  • 「立法管轄権の域外適用--基準・認証制度の改善をめぐって」(国際法外交雑誌86 (4)、1987年10月)

同期[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.193
  2. ^ [1]
  3. ^ 「Brief Curriculum Vitae of the Guest Speaker GESL Seminar 」 慶応義塾大学
  4. ^ 日本経済新聞2001年2月26日
  5. ^ 竹内 春久TAKEUCHI, Haruhisa東京大学公共政策大学院
  6. ^ 組 織霞関会
  7. ^ [2] と東京大学
  8. ^ [3]

外部リンク[編集]