穴吹義雄

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穴吹 義雄
1956年頃撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県香川郡香川町(現・高松市
生年月日 (1933-05-06) 1933年5月6日(90歳)
身長
体重
175 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手三塁手
プロ入り 1956年
初出場 1956年3月21日
最終出場 1968年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

  • 南海ホークス (1969 - 1985)

穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、香川県香川郡香川町(現・高松市香川町)出身の元プロ野球選手外野手内野手)・監督。現在は少年硬式野球チーム「大阪南海ボーイズ」の会長をつとめる。

1962年から1966年までの登録名穴吹 隆洋(あなぶき たかひろ)。

来歴

高松高校から中央大学経済学部へ進学。東都大学リーグでは1953年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で立大に敗れ準優勝。リーグ通算99試合出場、349打数111安打、打率.318、6本塁打、55打点。3年生秋と4年生春に2季連続首位打者になる。大学同期に伊藤芳明鈴木隆がいた。

1955年秋に南海ホークスに入団。その際、複数球団による争奪合戦が繰り広げられ、大金等が動いたとされる騒動の顛末は小野稔の小説『あなた買います』として出版され、同書を基に大木実佐田啓二岸惠子らの出演で松竹から映画化された[1][2]

1956年3月21日の阪急ブレーブスとの開幕戦でプロ初出場を果たし、劇的なサヨナラ本塁打を放った[1]新人選手による開幕戦サヨナラ本塁打第1号)。1957年4月11日の対大映ユニオンズ戦(後楽園球場)では、本塁打を放ちながらヒットと勘違いして全力疾走し、前にいた走者の岡本伊三美を追い越してアウトになるという珍プレーも演じている。

入団当初は三塁手で、のち外野手に転向。1963年10月16日の対西鉄ライオンズ戦で代打サヨナラ本塁打を放っている[3]。打撃面では、左投手には強かったが、右投手の変化球に弱く、入団時の期待ほどの成績を挙げることはできなかった。同僚だった広瀬叔功は「左投手には本当に強かった、相手投手が全員サウスポーだったら三冠王になれたのではないかと私は本気で思っている」と述べている[4]1968年現役引退

引退後は1969年から1972年に一軍打撃コーチ、1973年から1982年には二軍監督を務め、1975年1980年1981年ウエスタン・リーグ優勝。二軍監督時代は後の主力選手を多数一軍へ送り出した。自身の経験を踏まえ、若い選手には練習の重要性を厳しく時には優しく説き、人望があった。1983年から1985年は一軍監督として指揮を執った。成績は振るわなかったが、当時西武ライオンズの監督だった広岡達朗が「南海は穴吹の指導でいい練習をしている」と言ったことがある[5]。なお、1977年9月28日、野村克也が女性問題によって、公私混同を理由に[6]監督解任を受けて、穴吹は2試合だけ代理監督として指揮を執っている。

監督退任後、1986年から1990年まで毎日放送野球解説者を務め、1991年から1992年まで南海の後身・福岡ダイエーホークスの編成部長を務めた。ダイエー退団後は一時期、サンケイスポーツ関西版の専属評論家を務めていた。たとえミスが多い試合であろうとも、接戦で終わった試合では「ナイスゲームでした」の言葉で締めるなど、後輩選手に対する愛情あふれる解説者であった。

野村は穴吹について、自身の著書『巨人軍論』で「鈍足で有名な穴吹義雄が…」と評している。当時は打順の編成などが現在のように緻密ではなかったため、俊足でない穴吹がトップバッターを務めていたという。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1956 南海 100 222 202 20 47 9 1 4 70 22 2 1 0 4 15 0 1 41 6 .233 .284 .347 .630
1957 123 446 409 54 112 26 3 15 189 51 4 2 0 5 31 2 1 79 7 .274 .323 .462 .785
1958 114 411 382 38 98 25 2 11 160 48 4 3 0 2 26 0 1 68 13 .257 .304 .419 .723
1959 127 446 408 51 117 20 5 15 192 66 0 4 0 4 33 1 1 75 11 .287 .339 .471 .809
1960 127 511 458 58 124 29 3 8 183 61 3 0 3 8 39 1 3 82 13 .271 .327 .400 .726
1961 120 394 367 44 101 19 0 14 162 50 6 1 4 2 20 4 1 61 15 .275 .313 .441 .754
1962 87 292 284 27 73 12 3 3 100 29 3 1 0 0 6 0 2 61 8 .257 .277 .352 .630
1963 99 141 129 15 30 2 2 2 42 8 1 0 1 0 9 0 2 28 3 .233 .293 .326 .618
1964 77 128 122 11 30 6 0 2 42 14 0 0 1 0 5 1 0 24 4 .246 .276 .344 .620
1965 50 74 67 10 18 4 0 1 25 9 0 0 0 1 6 0 0 14 3 .269 .324 .373 .697
1966 76 139 130 13 34 4 0 6 56 22 0 1 3 2 3 1 1 19 8 .262 .279 .431 .710
1967 48 101 96 7 24 4 0 6 46 18 1 0 1 0 4 0 0 13 2 .250 .280 .479 .759
1968 18 26 25 4 6 2 0 2 14 6 1 0 0 0 1 1 0 5 0 .240 .269 .560 .829
通算:13年 1166 3331 3079 352 814 162 19 89 1281 404 25 13 13 28 198 11 13 570 93 .264 .309 .416 .725
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
1977 南海 2位 2 1 1 0 .500
1983 5位 130 52 69 9 .430
1984 5位 130 53 65 12 .449
1985 6位 130 44 76 10 .367
通算:4年 392 150 211 31 .416
  • ※1 順位は最終順位
  • ※2 1977年、野村克也の監督解任後、監督代行として2試合を指揮

背番号

  • 5 (1956年 - 1968年)
  • 64 (1969年)
  • 70 (1970年 - 1978年)
  • 80 (1979年 - 1983年)
  • 81 (1984年 - 1985年)

関連情報

出演番組

脚注

  1. ^ a b 【3月21日】1956年(昭31) “あなた買います”のモデル穴吹義雄 初出場でサヨナラ本塁打
  2. ^ 関三穂『プロ野球史再発掘(6)』ベースボール・マガジン社、1987年、P75 - 94。
  3. ^ HAWKS the 70th―ホークス栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2008年、P83
  4. ^ 広瀬叔功著、南海ホークス ナンバ栄光と哀しみの故郷 (追憶の球団) 、ベースボールマガジン社、2014年、p48
  5. ^ プロ野球史上最強“緑の鷹"南海ホークスクロニクル、2013年、スコラマガジン、P59
  6. ^ 南海ホークス栄光の歴史―1938ー1988、ベースボール・マガジン社、2012年、P71

関連項目