福島第一原子力発電所事故

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福島第一原子力発電所事故
2011年3月16日撮影
左から4号機、3号機、2号機、1号機
日付 2011年3月11日 (2011-03-11)
時間 14時46分 (JST)
場所 福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地
座標 北緯37度25分17秒 東経141度1分57秒 / 北緯37.42139度 東経141.03250度 / 37.42139; 141.03250
結果 国際原子力事象評価尺度 (INES) レベル7(4月12日時点の原子力安全・保安院による暫定評価[1]
死者 地震・津波による死者 2人(4号機タービン建屋内)[2]
その他の死者 2人[2]
(原子力安全・保安院 地震被害情報(第169報)、pp.50-55、2011年6月14日15時30分現在)[2]
原発による関連死を含めた死者 1600人[3]
負傷者 地震による負傷者 6人[2]
1号機・3号機の爆発による負傷者 15人[2]
被曝の可能性[2]

従業員 30人(100 mSvを超過した人数)
住民 88人(除染を実施した人数)

その他の負傷者 19人[2]
福島第一原子力発電所事故の位置(日本内)
福島第一原子力発電所事故
東京
東京
福島
福島
福島第一原子力発電所
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福島第一原子力発電所事故(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょじこ)は、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震による地震動津波の影響により、東京電力福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融など一連の放射性物質の放出をともなった原子力事故国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される。2015年4月現在、炉内燃料のほぼ全量が溶解している[4]東日本大震災の一環として扱われる[5]

概要

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生当時、福島第一原子力発電所(以下「原子力発電所」は「原発」と略す)では1〜3号機が運転中で、4号機は分解点検中、5号機と6号機は定期検査中だった。1〜3号機の各原子炉は地震で自動停止。地震による停電で外部電源を失ったが[6]、非常用ディーゼル発電機が起動した。ところが地震の約50分後、遡上高14 m - 15 m(コンピュータ解析では、高さ13.1 m)[7]津波が発電所を襲い、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機が海水に浸かって故障。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷し、または流出で失ったため[8]全交流電源喪失状態(ステーション・ブラックアウト、略称:SBO)に陥った。このためポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や核燃料プールへの送水が不可能となり冷却することができなくなった。核燃料は運転停止後も膨大な崩壊熱を発するため、注水し続けなければ炉内が空焚きとなり、核燃料が自らの熱で溶け出してしまう。実際、1・2・3号機ともに、核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器(圧力容器)の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開くこと、または制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が原子炉格納容器(格納容器)に漏れ出した(メルトスルー)。また燃料の高熱そのものや、格納容器内の水蒸気や水素などによる圧力の急上昇などが原因となり、一部の原子炉では格納容器の一部が損傷に至ったとみられ[9][10]、うち1号機は圧力容器の配管部が損傷したとみられている[11]。また、1〜3号機ともメルトダウンの影響で水素が大量発生し、原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素が充満。1・3・4号機はガス爆発を起こして原子炉建屋、タービン建屋及び周辺施設が大破した(4号機は分解点検中だったが3号機から給電停止と共に開放状態であった非常用ガス処理系配管を通じて充満した可能性が高い[12][13][14]。格納容器内の圧力を下げるために行なわれた排気操作(ベント)や、水素爆発、格納容器の破損、配管の繋ぎ目からの蒸気漏れ、冷却水漏れなどにより、大気中、土壌、海洋、地下水などへ大量の放射性物質が放出された。複数の原子炉が連鎖的に炉心溶融、水素爆発を起こし、圧力容器・格納容器その他の施設の損傷で大量に放射性物質を放出するという、史上例を見ないほど甚大な原発事故となった[15][10]

事故により大気中に放出された放射性物質の量は、諸説あるが、東京電力の推計によるとヨウ素換算値で約90京ベクレル(Bq)で、チェルノブイリ原子力発電所事故での放出量520京Bqの約6分の1にあたる[16][17]。東京電力は、2011年8月時点で、半月分の平均放出量は2億 Bq(0.0002TBq)程度と発表している[18]。また空間放射線量が年間5ミリシーベルト(mSv)以上の地域は約1800k㎡、年間20mSv以上の地域は約500k㎡の範囲に及んだ[17]

政府は福島第一原発から半径 20 km圏内を警戒区域、20km以遠の放射線量の高い地域も計画的避難区域として避難対象地域に指定し、10万人以上の住民が避難した。2012年4月以降、放射線量に応じて避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編されたが、帰還困難区域では立ち入りが原則禁止され事故発生後5年経過後も帰還の目途さえ立っていない。

事故の内容

事故経過

各原子炉の配置図
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成1975年撮影。3号機〜6号機は当時建設中)
・6号機が相馬
・4号機がいわき

地震と津波による電源喪失

日本近海の牡鹿半島沖で2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震で、福島第一原発の在る大熊町震度6強の揺れとなり、最大加速度は設計値の約126パーセントの550ガルを記録[19][20][21]、施設内外に多くの破損が起こった。参考までに他の地震と比べると、兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)で観測された最大加速度は818ガル[22]、事故時までの世界最大はギネスブックによると[23]2008年6月14日岩手・宮城内陸地震での4022ガル[24]である。

この地震により、稼働中の1 - 3号機は自動的に制御棒が挿入され緊急停止した(原子炉スクラム)。原発に電力を供給していた6系統の送電線のうちの鉄塔1基[注 1]が地震による土砂崩れで倒壊し[25]、5号機・6号機が外部電源を喪失した。1〜4号機もまた、送電線の断線やショート、関連設備の故障などにより、同じく外部電源を喪失した[6]。外部電源・非常用発電機を損失したために館内は停電し、大量の水が降ってきた場所もあり[26]作業員は緊急退避した。

外部電源が失われたため、一旦は非常用電源(ディーゼル発電機)が起動し切り替わった。しかし大きな津波が、地震発生41分後の15時27分の第一波[27]以後、数回にわたり本原発を襲った。津波は低い防波堤を越え、施設を大きく破壊し、地下室や立坑にも浸水した。地下にあった1 - 6号機の非常用電源は水没し[28]、二次冷却系海水ポンプや、燃料のオイルタンクも流失した。このため各プラントは全交流電源喪失に陥り、非常用炉心冷却装置 (ECCS) や冷却水循環系のポンプを動かせなくなった。しかも海水系冷却装置系統(RHR)は津波で破損した[29]。核燃料は原子炉停止後も長い年月、崩壊熱を発し続けるので、長時間冷却が滞ると過熱を起こし重大な事故に繋がる。

いったん冷却不能になれば、燃料棒は過熱し続け炉内温度は上昇、そのため冷却水からの水蒸気発生によって炉内水位は低下し、圧力容器と格納容器の内圧は上昇、燃料ペレット被覆管(ジルカロイ材)溶融による化学反応で多量の水素発生、といった過程は進行を続け、有効な対策を打たない限りは数十時間程度で爆発する可能性がある。これを防ぐため、格納容器内の蒸気を外に逃がす操作(ベント)を行ない格納容器の圧力を下げる必要がある。しかしベントによっても放射性物質は放出されるのであり、最悪の事態を避けるためのやむを得ない措置である。

1号機では最も早く注水が止まり、地震翌日までに炉心溶融、建屋爆発に繋がった。2号機・3号機では蒸気タービン駆動の隔離時注水系 (RCIC) が、2号機は約3日、3号機は約2日の間、炉心に水を注入し続けた(2号機・3号機は、全交流電源喪失を考慮し、隔離時注水系 (RCIC) ・高圧注水系 (HPCF) と、2系統の蒸気タービン駆動注水装置がある。2号機の高圧注水系はバッテリー水没で起動しなかったが、3号機ではバッテリーが生きていたHPCFが、RCIC停止を感知して入れ替わり起動し、その後15時間ほど稼働し続けた)。しかし停電時間は、電力会社が設計上想定してきた最大8時間に収まらず、非常用バッテリーを使い切った。渋滞による電源車の遅れ、原子炉の電圧と合う電源車が62台のうち1台しかなかったこと、電源車の出力不足、唯一の受電施設が水没したこと、震災翌日に開通した仮設電源ケーブルが開通6分後に1号機の水素爆発で吹き飛ばされたこと、自衛隊や米軍による電源車のヘリコプター空輸が重量超過のためできなかったことなどの複合要因により、全電源の喪失が長期化した[30][31][32]

1号機における事故の進展

1号機では、11日14時46分の地震発生後、14時52分非常用復水器が起動[33]したが急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)、作業員が回路を開閉中、15時半に津波に襲われ、15時50分非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能になり、同時に計器、動弁電源も失われた。東京電力は、17時に電源車を出動させたが渋滞で動けず、18時20分に東北電力に電源車の出動を要請したが到着は23時で津波の被害・電圧不一致もあって翌日15時まで接続できなかった。一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、所内での直流小電源融通で動かしていた非常用復水器も翌12日1時48分に機能停止、翌12日明方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる[34]。1号機は上記の経緯で、地震発生後5時間で燃料が露出したとみられ、15時間ほどでメルトダウンしたと思われる。

11日23時ごろから原子炉内圧力の異常な上昇を検知し、1号機の格納容器内部圧力は設計強度の1.5倍にも達したため、大量の放射性物質が大気中に放出される恐れ、また臨界低減用に充填されている窒素も抜けてしまう恐れは承知のうえで、経産相は12日早朝、ベント実施を命令した。政府は菅直人首相が直接第一原発を訪れるなどベントを急かし、東電は12日9時頃にベント(PCVベント=ウェットベント)作業を開始。ところが作業に手間取り、14時30分にようやくベント成功を確認した[35][36][37]

その1時間後の15時36分、1号機の原子炉建屋は水素爆発を起こして大破した[38]。火炎を視認できない透明な爆発と同時に地面を這うような白煙が広がった。水素爆発の原因は、圧力容器が損傷したことで建屋内に水素が充満していたか、あるいはベントにより排出された多量の水素を含む水蒸気が原子炉建屋のオペレーションフロアに誤って流れ込んだためと諸説ある[39]。爆発でまき散らされたがれき等により、負傷者が出るとともに、完成間近だった2号機への注水用ポンプケーブル敷設作業が振り出しに戻ってしまった[40]。また、爆風によって2号機建屋のブローアウトパネルが脱落、建屋内部が外気に通じた[40]

3号機における事故の進展

3号機ではHPCIによる注水を13日2時42分に停止。注水を可能にするため主蒸気逃し安全弁を開いて原子炉内の圧力を下げようとしたが失敗し、注水が約7時間中断した[41]。このため4時15分に炉心の露出が始まった[42]。2014年8月6日に東京電力が発表した再解析の結果によると、敷地正門付近で中性子が検出されていた13日午前の段階で、3号機が炉心溶融に至っていた[43][44]。8時41分にベントに成功し、その1時間後までにディーゼル稼動消火ポンプと消防車によって注水も再開できたが、12時20分、注水用の水がなくなり注水が停止[42]。13時12分に海水注入に切り替えたが、十分に水位が上がらず炉心の露出が続いた。翌日、14日11時01分、建屋が1号機と同じように水素爆発し大破した(保管燃料由来の水素爆発とされている[要出典])。一瞬の透明な爆発の直後、燃料プール付近で一瞬の赤い炎が発生し、爆発煙が上がった。大量のがれきが高度数100mまで巻き上げられ7人が負傷し、復旧作業も中断した。その後数日間、3号機建屋からは何度も煙が上がった。核燃料を貯蔵する燃料プールが沸騰していると推測され、17日からは自衛隊がヘリコプターと消防車で燃料プールをめがけて放水を行なった。

2号機における事故の進展

2号機では、14日13時25分にRCICによる注水が停止[40]。19時すぎから格納容器ドライウェル圧力が上昇し、21時ごろには圧力容器圧力とドライウェル圧力がほぼ同じになったことから、圧力容器が破損したものと推定される[45]。水素も発生したと考えられるが、ブローアウトパネル脱落により建屋に開いた穴から放出されたため水素爆発には至らなかった。東電はウェットベントとドライベントを試みたがすべて失敗し、このままでは圧力容器の破壊というこれまでよりも桁違いに重大な事態に陥ることを恐れて現場は緊迫した空気に包まれた。東電は作業員の安全のため政府に第一原発からの撤退を申し入れたが、政府側はこれを「全面撤退」の意味で受け取り、拒否した(詳細は#東京電力の全面撤退をめぐる報道を参照)。格納容器圧力は600~700kPa(設計強度の約1.5倍)の高圧を7時間以上にわたって維持した[45]

15日6時14分頃、大きな衝撃音が発生し、同時に圧力抑制室の圧力計が0を示した[46]。圧力抑制室が破損した可能性があると判断した現場は、最小限の要員を残して第一原発から退避した。しかし、実際にはこれは圧力計の故障と推定されている[47]。この衝撃音は、同時間帯に起きた4号機水素爆発のものと考えられる[48]。東電による地震計の解析によれば、衝撃音発生の正確な時刻は6時12分、場所は4号機からで、同時間帯に発生した衝撃はこの1回だけだった[49]。しかしながら、このとき2号機圧力抑制室が破損したとの見方もある[45]

格納容器内圧力は15日7時25分にはまだ730kPaという高い値だったが、次に監視員が戻ってきて11時25分に確認した際には155kPaまで低下していたため、この間に格納容器に破損が生じたと考えられる[50][51]。事故で放出された放射性物質は、15日に2号機から放出されたものが最も多かったと推定されている。1・3号機ではウェットベントに成功したが、2号機ではベントに失敗し格納容器から直接放射性物質が放出されたとみられる[52]。この日放出された大量の放射性物質は、始めは南向きの風に乗って関東地方へ拡散したが、北西への風に変わった夕方に降り出した雨で土壌に降下し、原発から北西方向へ延びる帯状の高濃度汚染域を作り出した。

4号機の水素爆発

15日6時14分頃、大きな衝撃音と振動が発生し、その後4号機建屋の損傷が確認された[53]。4号機建屋が水素爆発を起こしたと考えられるが、1・3号機と違って爆発時の映像が残っていない。4号機は炉心定期点検中で、炉に燃料は装填されていなかったが[54]、3号機と4号機はタービン建屋の配管でつながっているため、3号機の水素が4号機へ漏れてしまうことで爆発が発生したと推定されている[55] 。なお4号機建屋に3号機からの水素ガスが漏れてきた原因は、切替弁のオペミス、あるいは単純に配管がスルーだった、など諸説ある……少なくとも仕様としては、1号機・2号機、3号機・4号機というふうに隣接同士でタービン建屋と排煙系配管がつながった設計が問題であると指摘されている。水素爆発によって4号機の使用済み核燃料プールがむき出しになり、プールの冷却水喪失による核燃料の過熱が恐れられたが、実際には水が残っていて核燃料の冠水が継続していた。15日9時38分、建屋内で火災を確認したが、11時までに自然に鎮火した[53]。16日5時45分ごろに再び火災の連絡があったが、6時15分には現場に火はなかった。建屋付近の放射線量はきわめて高かったため、現場の確認さえ困難になっていた。

5-6号機

5号機・6号機は、1〜4号機と立地が異なりやや離れた高所にあり、津波被害がやや軽微だった。6号機のディーゼル発電機1基のみ津波被害を免れ実働であったので、これを輪番で兼用することで全電源喪失を免れることができ、核燃料冷却を継続できた[56]#地震と津波による電源喪失と原子炉の破損の進行も参照)。1号機〜4号機は、標高35mの丘陵を岩盤に近づけ標高10mまで削って整地し(→福島第一原子力発電所#各原子炉の建設)、非常用電源も地下や1階に設置していた。標高は5号機・6号機は13m、福島第二原発は12mだった。この落差がそのまま、津波被害の軽重へ直結した。現地では、やや高い5号機付近の敷地から、施設周辺が次第に津波に覆われる様子を撮影している[57]

収束へ

原子炉の冷温停止状態を目指す復旧作業として、原子炉と使用済み核燃料プールを冷やすための注水または放水(初期は海水、のちに淡水。福島県双葉郡大熊町坂下ダムの貯水の淡水を使用。)が各種ポンプ車両、および仮設ポンプなどにより行われ続け、完成とは呼べないものの7月上旬には従来の注水から、アレヴァキュリオンの設備により放射性物質を除去した上での循環水冷却に完全に移行し、8月には東芝などの開発したサリー (機械)も加わり処理能力が向上した。以降も引き続き事態を収束へ向かわせる懸命の努力が続いた。

現場では、過酷な状況の中で作業者、技術者らが事故収束作業をしている。彼らは当初の人数にちなみ「フクシマ50」(フクシマフィフティ)などと称賛された[58]

注水を継続する中、タービン建屋の修理に必要な汚染水移送や、国内外のロボットを使った調査などがされている[59][60][58]。原子炉建屋は高線量で人が立ち入れず、配管故障状況の調査、修理は難航しており、多くの計器や電気系統が故障し、原子炉の状態の詳細は把握されていない。それを助けるために、「原発災害用ロボット」を使った調査・情報収集も行われている。

4月17日、東京電力から2011年10月 - 2012年1月に原子炉を冷温停止させる2ステップからなる収束工程表が発表された[61]。進められている手順は、主に以下のとおりである。

  1. 機器のリモートコントロール化を利用し、また、作業員の線量管理、健康管理を厳重に行うことで、被曝などによる疾病を予防する。
  2. 建屋に人が入れるように、また、環境に漏出させないように、放射性物質を含む溜まり水を保管できる先を確保して移す。将来は浄化する。
  3. 立ち入れるよう、建屋の空気をフィルターでこして線量を下げる。
  4. 立ち入れるようになったら水位計、圧力計を修理して状況をより正確に把握する。状況に応じて適切に冷却手段を講じる。その過程で圧力が下がりすぎて空気(酸素)の流入で水素爆発が起こらないよう、窒素の注入を慎重に継続する。
  5. 4号機の使用済み燃料プールが損壊しないよう、下部を補強する。
  6. 空冷による冷却水循環系を早期に構築して、冷温停止させる。

作業の制約になる敷地内の線量を減少させ、また大気汚染を減らすために、主に以下の対策が行われた[62]

  1. 飛散防止剤(樹脂エマルジョン)の敷地散布。
  2. リモートコントロール重機による汚染した瓦礫の撤去。
  3. 原子炉建屋を特殊なカバーで覆う。

2011年12月16日、政府は「発電所の事故そのものは収束に至った」として原子炉の冷温停止を宣言した。福島県知事は事故は収束していないとして反発した。

2013年3月18日に1号・3号・4号・共用プールの使用済み燃料プールが停電状態に陥って循環冷却機能を一時喪失したが、20日未明までに配電盤の復旧を行い冷却機能を回復した[63]

ALPSの運転

2012年10月、トリチウム以外の62核種の放射性物質を汚染水から除去できる多核種除去装置・ALPS(アルプス・Advanced Liquid Processing System)[64][65]を東芝が完成した。2013年3月25日、原子力規制委員会が、評価に基づき[66]試運転の実施に向けた原子炉施設保安規定の変更を認可、東電は試運転(ホット試験)を月内にも開始すると発表した。1日250トンを処理できる能力を持つ3系統があり、このうち1系統で3月下旬から試運転が行われた。そして6月15日に、4月から試験運転していたA系でタンクの腐食による水漏れトラブルが発生した。東電は7月25日に、汚染水に含まれる塩化物イオンや次亜塩素酸の影響で、厚さ約9ミリのタンクの溶接部分の腐食が進み、微細な穴が開いたことを明らかにした。そこで、まずタンクの内側にゴムを張ることとし、次に試運転中のB系統も8月初めに停止してタンクを補修、さらにまだ試運転を始めていないC系統も対策を取ることとした。そして全ての系列が停止した。9月中旬には1基目の運転再開を目指していた。年内本格稼動の予定であった[67]。除去できないトリチウム入り汚染水はタンクに保管して希釈した上で海洋に放出する予定であるが、漁業者の反対が多く放出時期の目処は立っていない。この点、すでに東電側がトリチウムの安全性を主張していた[68]。しかし、これに対する批判は多い[69][70]

事故後の炉心の状態

原子力安全・保安院は4月18日に、1〜3号機について、燃料ペレット被覆管の破壊(炉心損傷)、さらに燃料ペレット溶融も起こっているとはじめて認めた。ただし、同時に、溶けた燃料が圧力容器の底に溜まっているような状況には至っておらず、冷却のために圧力容器内にある水の水面付近に固まっているのではないかとし、また、再臨界の可能性も極めて低いとした[71]

燃料ペレット溶融は水位低下による過熱(“空焚き”)で起こり、余震でも激しく揺らされた。圧力容器の底が完全には抜けていないとしても、原子力安全委員会の委員長が指摘したように[72]被覆管を溶融した燃料が制御棒周辺の隙間から落下して、格納容器の底に蓄積していると推測されている。

原子力安全・保安院は同日の会見で、ペレットの一部が溶けだしている状態を「燃料ペレットの溶融」、溶けた燃料棒が原子炉下部に落ちることを「メルトダウン」と定義した上で、「燃料ペレットの溶融」までを認めた[71][73]。英語のmelt downは国際原子力機関 (IAEA) や米 原子力規制委員会 (NRC) などの公式用語ではない。

東京電力の5月26日の発表では、崩壊熱は5月20日時点で1〜3号機でそれぞれ1000 kW〜2000 kW、地震から半年後時点で1000 kW前後としている[74]。いずれにしてもウラン燃料が被覆管を溶融し、圧力容器、格納容器、そして配管の破れや2号機圧力抑制プールの破れから、放射性物質として外部環境に漏れ続けている。3号機の炉心にはプルサーマル利用としてMOX燃料が使われ、ウランのほかにプルトニウムが含まれている[75]ので、特に大気、海水および地下水への漏洩が心配されている。

2011年5月24日に、東京電力は、計測された圧力データを基に、1号機は圧力容器の外側にある格納容器に直径7 cm相当の穴が1箇所、2号機では格納容器に直径10 cm相当の穴が2箇所開いていると見ていることを発表した[76]。これは事故が炉心溶融だけでなく、さらに進んだ炉心溶融貫通(メルトスルー)に至っている可能性を示唆している。

2015年の宇宙線ミュー粒子を利用した測定検査では1号機の核燃料はほぼ全量が熔融落下していることが確認された。また2号機での核燃料熔融落下は7割以上あり、その溶け落ちた燃料が圧力容器底部に留まっているかどうかは不明である[77]

放射性物質の放出、拡散と汚染の状況

事故に伴って出された避難エリア等

ベント、水素爆発、圧力抑制プールの爆発、冷却水漏れなどにより、大気中、土壌、溜まり水、立坑、海水、および地下水へ放射性物質が放出された。汚染は日本国内、国外に広がった。

福島第一原発からの放射性物質の放出は、3月14日深夜~16日に最大のピークがあり、3月20~23日にもこれに次ぐ放出量があったとみられる。3月15日の放出は、主に2号機からのものと考えられているが、3月20日からの放出の原因は不明である。

放射性物質の拡散および土壌への沈着状況は、風向きおよび降水に大きく左右されたため、原発からの距離が同じでも放射線量の差が大きく違い、汚染状況は同心円状ではない。放出された放射性物質は、14日深夜~15日未明には南~南西への風で茨城県方面へ流されたが、風向きは次第に西向きに変わった。やがて降り出した雨によって放射性物質が地上に降下したことで群馬県北部・栃木県北部に汚染をもたらした[78]。さらに15日午後には福島県中通りで、15日夜には原発から北西方向の地域で、雨によって放射性物質が地上に降下し高濃度の汚染地域が作られた[79]。また3月20日午後に北向きの風で運ばれた放射性物質が、雨によって宮城・岩手県境付近に降下。3月21日夜から22日未明には南向きの風に運ばれて茨城県南部・千葉県北部(柏市付近)へ汚染をもたらした[78]

第一原発正門付近の放射線量は、3月12日4時00分まで毎時0.07 マイクロシーベルト(μSv/h)と正常範囲だったが、4時30分に0.59 μSv/h、7時40分に5.1 μSv/hと上り、15時29分には1号機北西敷地境界付近で1,015 μSv/hになった[80]。3月14日深夜からは一段と高い値を示し、15日9時00分に11,930μSv/hの最大値を観測。3号機付近では15日10時22分に毎時400 ミリシーベルト(40万μSv/h)という非常に高い値を観測した。その後敷地の線量は減少し、5月2日21時に正門付近では45 μSv/hとなった。

各地の空間放射線量の最大値は、福島県浪江町赤宇木で170μSv/h、福島市で24.24μSv/h、栃木県宇都宮市で1.318μSv/h、東京都新宿区で0.809μSv/hなどであった[78]。なお、日本での事故前の平常時の放射線量は、0.025~0.15μSv/hほどである。

東京電力および東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の報告によると、大気中に放出された各放射性物質の量は、希ガスが約50京ベクレル(500PBq)、ヨウ素131が約50京ベクレル、セシウム134が約1京ベクレル、セシウム137が約1京ベクレルだった。ヨウ素131とセシウム137の合計は放射性ヨウ素換算値で約90京ベクレル(900PBq) であり、チェルノブイリ原子力発電所事故の国際原子力事象評価尺度評価である5200PBqと比較して、約6分の1の放出量となる[17][16]。なお、原子力安全・保安院(2012年2月16日発表)によれば48京 Bq、原子力安全委員会(2011年8月22日発表)によれば57京ベクレルである[16]。(チェルノブイリ事故との比較#福島第一原発事故との比較も参照)

また、2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は、東京電力発表の水量と濃度[81]に基づけば330京 Bqである。高濃度汚染水の一部は海洋や地下水に漏れた[82][83]

2011年10月13日時点における土壌中に蓄積されたセシウム137・セシウム134の合計値が1万ベクレル/㎡以上となる地域は、東北・関東・甲信越の13都県、3万km²以上に及んだ[84][78](1999年以降の調査での、事故前におけるセシウム137の最大値は、長野市の4700ベクレル/㎡である)。また年間の空間放射線量[注 2]が5ミリシーベルト(1.0μSv/h)以上の地域は福島県内の約1800km²、20ミリシーベルト(3.8μSv/h)以上の地域は約500km²の範囲に及んだ[17]。事故後は年間20ミリシーベルトが住民の許容被曝限度とされ、避難の基準となった。政府は、長期的には追加被曝量を年間1ミリシーベルト以下へ下げることを目指すとして、年間1ミリシーベルト(0.23μSv/h)以上の放射線量が観測されていた8県の102市町村を2011年12月に「汚染状況重点調査地域」に指定して除染を進めている[85]

もともと原子炉内にあった核燃料は東京電力の所有物であるが、東京地方裁判所で行われた裁判における同社の主張では、放出された放射性物質の所有権は同社になく、付着した土地の持ち主にあるとしている[86][87]

汚染水の漏出

福島第一原発側面図

3月24日、3号機タービン建屋(側面図 (2))建屋地下の溜まり水に浸かりながらケーブル敷設作業をした作業員3人が被曝した。この水は濃度390万 Bq/cm³の放射性物質を含み、表面から約400 mSv/hの放射線を発していた[88]。また3月26日には1号機の溜まり水から380万 Bq/cm³の放射線を検出、翌3月27日には2号機の溜まり水の表面で1,000 mSv/h を超えた(針が振り切れて測定不能となった)。

さらに、3月28日には1 - 3号機の海側にある立て坑(ピット)(側面図 (3))の溜まり水からも放射線が検出され、うち2号機の立て坑の水表面からは1,000 mSv/hを超える放射線量が検出された。立て坑は冷却用の海水などの配管が通っているトンネルであるトレンチ(側面図 (4))に通じている。2号機から、核燃料の混じった冷却水が漏れてこれらに流入しているとみられる[14]。冷却水を循環できず外部注水していたため、注水量が多すぎれば蒸発しきれない分、汚染水漏出量が増え、少なすぎれば温度や圧力が上がってさらなる炉心過熱の危険が増すという微妙な問題が発生した。

4月2日、2号機海側の立て坑に亀裂があり高濃度の放射性物質汚染水が海に流出しているのが発見された。コンクリートでは固められず、新聞紙やおがくずを投入してみるという試行錯誤の末、水ガラスの導入によって4月6日に止めることができた[89]が、その後、地下水の放射性物質濃度が高くなった。

東京電力は、高濃度汚染水をタービン建屋やトレンチから緊急に排出するために、集中廃棄物処理施設中の6.3 Bq/cm³の低濃度汚染水(実測値9,070トン)を海に放出して空けてそこに入れるしかないと判断した。さらに、5号機・6号機のサブドレンピットに増してきた貯留地下水(実測値1,323トン)もそれぞれ16 Bq/cm³、20 Bq/cm³[90]で設備水没の危険もあるので同時に海に放出するとした。東京電力は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律に基づいて政府の承認を受け、発表を行った。放出は4月4日から10日にかけて実施された。放射能レベルは約1,500億 Bqで[91]、「原発から1 km以遠の魚や海藻を毎日食べた場合の年間被曝量は0.6 mSvであり、年間に自然界から受ける放射線量の4分の1」とされたが[92]、この処理には日本国内外から抗議の声が上がった[93]

一方、2号機からの高濃度汚染水だけで2万5000トンあって、そのセシウム137の濃度は300万 Bq/cm³で、ヨウ素131の濃度は1300万 Bq/cm³と発表されている[81]国際原子力事象評価尺度マニュアルの大気放出時ヨウ素換算係数[94]を準用し40を掛ければ、セシウム137のヨウ素等価濃度は1.2億 Bq/cm³で、この2核種だけで合計濃度は1.33億 Bq/cm³なので、2万5000トンの2号機汚染水に含まれる2核種の放射性物質総量はそれらの積で、330京 Bqと単純計算される。

4月6日以前に毎分2リットルで海に流れ出てしまった高濃度汚染水中の放射性物質は、上記濃度を仮定すれば、10日間あたり0.2京 Bqと計算される。東京電力は独自仮定に基づき、IAEAのヨウ素換算係数を適用しない単純合計ベースで、放射性物質放出の総量を0.47京 Bqと推算した[95]。この発表では「原発から1 km以遠の魚や海藻を毎日食べた場合の年間被曝量」についての言及はなかった。

炉を冷温停止させるための冷却水循環系を修理または外部接続するには、タービン建屋の高濃度汚染水を除去して作業環境を整える必要があったが、タービン建屋の水を減らすと新たに炉から放射性物質を含む汚染水が流入し、炉内の冷却水量が保てないというジレンマが発生した。

そこで、日本国内外の提案や援助を得ながら、主に以下の対策が実施されている。

  1. 汚染水の復水器・集中廃棄物処理施設・メガフロート(巨大人工浮島)などへの移送
  2. 汚染水収納用のタンクの新設
  3. 高放射線量環境でも作業できる原子力災害ロボットの投入
  4. ロシア液体放射性物質処理施設「すずらん」の投入[96]
  5. 仙台ゼオライト(沸石)活性炭などによる放射性物質および海水由来塩分の浄化
  6. タービン建屋の汚染水を原子炉に戻すことによる汚染水減量
  7. 浄化フィルター設備および海水による冷却機の新設・接続による、安定的な循環冷却系の構築

4月12日、汚染水の一部移送が始まった[97]

上記対策などを織り込んで6 - 9か月後の冷温停止を目標とする収束工程表が、4月17日、東京電力から発表された[61]

6月3日、東京電力は、1 - 4号機および集中廃棄物処理施設建屋の地下にたまっている放射能汚染水の放射能が推定で72京 Bqに上ると発表した[98]

各建屋内に漏洩した滞留水の放射能の推定量[99]
核種 放射能 (PBq)
1号機 2号機 3号機 4号機 集中廃棄物処理施設[注 3]
プロセス主建屋
集中廃棄物処理施設[注 3]
高温焼却炉建屋
合計
ヨウ素131 2.01 290.52 14.72 0.099 124.8 2.44 434.59
セシウム134 1.61 70.98 33.45 0.179 29.76 5.55 141.53
セシウム137 1.74 69.00 35.68 0.186 28.8 5.92 141.33
合計 5.36 430.50 83.85 0.46 183.36 13.91 717.44

影響

  • 食品・水道水に対する規制
  • 住民の避難・影響
  • 日本国外における影響
  • 人体への影響
  • X線画像への影響
  • 経済への影響
  • 交通への影響
  • 賠償・補償
  • 風評被害
  • その他の社会的影響・反応

原発関連死

福島第一原子力発電所事故を直接の原因とする死傷者は掲表のとおりであるが、この死傷者数には、次に挙げるような「震災関連死傷」・「事故関連死傷」は含まれていない。福島第一原子力発電所事故による震災関連死は特に「原発関連死」と呼ばれている。

  • 原発事故を受けた住民等の避難を起因とする急病、体調不良による死傷。
    大熊町の入院中の認知症患者21名が搬送中や搬送後に死亡[100]。なお、地震直後の避難と合わせ最終的に50名が死亡した。(「双葉病院」を参照)

事故重大度の評価

国際原子力事象評価尺度(INES)について、原子力安全・保安院2011年4月12日、暫定的ながらレベル7と評価した[101]

国際原子力事象評価尺度 (INES)

日本政府は、国際原子力機関 (IAEA) が定める原子力事故または事象の深刻度である国際原子力事象評価尺度 (INES) を、11日16時時点ではレベル3と認定していた[102]。INESの最高は「7」(深刻な事故)で、1986年チェルノブイリ原子力発電所事故がこれにあたり、1979年スリーマイル島原子力発電所事故は「5」(施設外へのリスクを伴う事故)、1999年東海村JCO臨界事故は「4」である。

12日にはレベル4(施設外への大きなリスクを伴わない事故)に引き上げた[102]。日本政府がレベル4としたことについて、フランス原子力安全機関英語版 (ASN) のラコスト総裁は3月14日、日本からの情報に基づき、チェルノブイリ原子力発電所事故よりは深刻ではないものの、スリーマイル島原子力発電所事故と同じかより深刻な、レベル「5」あるいはレベル「6」(大事故)との感触がある、と述べた[103]。その翌日の3月15日には「事故の現状は前日(14日)と全く様相を異にする。レベル6に達したのは明らかだ」と述べた[104]。また、アメリカの科学国際安全保障研究所 (ISIS) は3月15日に「レベル6に近く、レベル7に到達する恐れがある」との見解を発表した[105]。それでもなお、3月16日の時点において、日本の原子力安全・保安院は3月12日に認定したレベル「4」との見方を変えなかった[106]。16日時点では国際原子力機関は、INES判定を保留しており、フロリダ州立大学の核物理学者カービー・ケンパーも影響を評価するには時期尚早であり、十分な評価材料がない、とした[107]

3月18日、原子力安全・保安院は、INES判定をレベル5に引き上げた[102][108]。これにより、日本国内で起きた原子力事故としては史上最悪の評価となった。

3月30日まで福島第一原子力発電所事故によって放出された放射線との様々な比較表
(※左から「国際原子力事象評価尺度」「放射線濃度(mSv/h)」「原子力に関する世界的事故」「放射線と距離」「福島第一原子力発電所事故と時系列事象(3月11日 - 3月30日)」)

3月25日、原子力安全委員会のSPEEDIシステムを使った放射性物質の放出量は、3万TBq - 11万TBqと推定された。これはINESのレベル「7」の基準1には該当する。

4月1日、米科学国際安全保障研究所 (ISIS) は原子力安全・保安院が国際原子力事故評価尺度でレベル「5」と判断していることに関し、さらに深刻なレベル「6」に引き上げるべきだとの見解を示した[109]

4月12日、原子力安全・保安院は国際原子力事故評価尺度の暫定評価をレベル7に引き上げた[102]。ただし4月12日時点で環境への放射性物質排出量は、事故発生から4月5日までの間で、チェルノブイリ原子力発電所事故の1割程度(37京 Bq)であるとしていた[110]

一方では、3月12日の東京電力の松本純一・原子力立地本部長代理の記者会見では「福島第一原発は放射性物質の放出を止め切れておらず、(放出量は)チェルノブイリ原発事故に匹敵、または超える懸念がある」との認識が示されている[111]。ただし、「言い過ぎたかもしれない。依然として事態の収束がまだできておらず、現時点で完全に放射性物質を止め切れないという認識があるということだ」とも補足している[111]

事故原因

事故の主原因

東京電力は、事故原因は未曽有の大津波だとしている。日本では原子炉の冷却水を海水によって冷却するため、すべての原発が海岸に立地している。東電は2002年に、福島第一原発で想定する津波の高さを、土木学会が2002年に開発した、歴史的地震の文献や断層モデルを組み合わせる評価法によって計算していた[112]。この結果、平均海面(O.P.=小名浜港工事基準面……詳細は福島第一原子力発電所#海象状況の調査も参照)からの高さが5.7 mを超える津波はないとした。

しかし、東京電力の発表によると、今回の地震で実際に襲来した津波は遡上高14 m - 15 mといった規模であり、標高10 mの1 - 4号機の敷地では津波の痕跡が4 m - 5 mの高さの所にまで残っていた(標高13 mの5号機・6号機の敷地では0 m - 1 m)[15]。また6月28日の定時株主総会では株主の事故への対応に関する質問に対して「津波については5.7mを想定していたが、福島は全域で14 m - 15 mに達した。事故原因を調査していく」と回答している[113]。また7月8日東京電力はコンピュータ解析により、沖合30 kmの地点で6つの断層破壊による津波は次々重なり地震発生約51分後津波の高さが13.1 mに達し原発を襲ったと発表とした[114]

日本において原子力政策を管轄する原子力安全委員会は従来、長時間の全交流電源喪失 (SBO) の防止や、全交流電源喪失の発生後の対処を想定した、是正勧告を形式上はメーカーや電力会社に行ってはいたが、有名無実であり、実際には特に対策はされなかった(これはGE社はじめ原子炉メーカー数社の本国、アメリカ合衆国など、他国においてはこの限りではない。原子力安全委員会#原発における長期間の全電源喪失は、日本では想定外 も参照)。政府は、今回の事故を教訓とし、原子力産業を監督管轄して安全を確保する立場の原子力安全・保安院を、エネルギー確保を重視する経済産業省から独立させる方針を発表した[115]

2011年4月11日、福島県を訪れた東京電力社長清水正孝は、記者団の「津波への事前の対策が不十分だったのでは」との問いに「国の設計基準に基づいてやってきたが、現実に被災している。今後は国の機関などと津波対策を検討する必要がある」と語った[116][117]。また東京電力の皷紀男副社長は2011年5月1日、訪問先の福島県飯舘村で「個人的には」としたうえで本事故について、「人災だと思う」、「原発事故は想定外だったという意見もあるが(飯舘村の皆さんのことを考えると)想定外のことも想定しなければならなかった」と述べた[118]

東電は大津波が事故原因だとしているが、原子力安全・保安院長は4月27日の衆議院経済産業委員会で、倒壊した受電鉄塔が津波の及ばなかった場所にあったことを認めた[119][120]

また1号炉について津波到達前に原子炉建屋内の放射線量が急上昇していることから、地震の揺れによって配管の一部が破断したのではないかという疑いは残されている[121][122][123]国会事故調 (2012, p. 31)報告書では、少なくとも1号機A系の非常用交流電源喪失は、津波によるものではない可能性があることが判明した、としている。また全電源喪失になると非常用復水器(IC、イソコン)の弁が自動で閉じることが周知されていなかったことと、同発電所の幹部は3号炉の高圧炉心注水系(HPCI)が手動停止している事実を知らなかったために、7時間にわたって注水作業が遅れてしまい、状況を悪化させた一因となったとされている[124]

1号機のベント遅れ、水素爆発の原因

政府の事故調査・検証委員会による1号機水素爆発に関する事情聴取から、現場側がベント操作が手間取ったことについて、現場には長時間の全電源喪失を想定した対応マニュアルがなく、よって手動によるベント手順も整備されておらず、設計図などから新規に手順作成しなければいけなかったこと、全電源喪失のためベント弁操作用バッテリーが必要とされた際、機材形式の連絡に不備があり、本社が調達し発送した多機種が一斉に搬入され必要機種の選別に手間取ったり、必要な機材が福島第二原発やJビレッジに誤配されて取りに行く手間が増えたなど、本社の援護が乏しく、突然の非常事態に現場側の混乱も多かったためとされている。ドライベント成否は、圧力容器内の圧力低下や線量増加など各数値からの推測であって、事実を確認できてはいない(これは、容易に分解や立入で状態確認できない原子炉プラントにおいて常に共通の概念である)。水素爆発について、圧力容器が損傷したことで建屋内に水素が充満していた、誤って原子炉建屋作業スペースへ排気してしまった、などと諸説あるが、多忙な現場では誰も水素爆発まで予見できなかったとされる。仮に津波がきて全電源を喪失し冷却ポンプが作動しなくなっても、非常用復水器 (IC、ISO (Isolation) CONDENSER、イソコン) など各炉冷却系が起動し冷却するはず、という程度の甘い認識だった(ICは1号機のみ)。さらに、福島原子力発電所事故調査委員会は、1号機ICについて、おそらく早期のうちにICの蒸気管に非凝縮性の水素ガスが充満し、そのために自然循環が阻害され、ICが機能喪失していたと推測している[125]。非常用復水器にはその構造上、電源喪失時に一旦自動で弁が閉じ作動を停止する安全装置が付いているのだが、現場作業員は誰もその構造を理解しておらず、その結果非常用復水器の起動が3時間以上遅れた。その後偶然バッテリーが一時的に回復し、非常用復水器停止のランプが点いていることに気づいた現場作業員が手動で起動させたが、作動中に発生するはずの蒸気を目視で確認できなかったため、「空焚き」により非常用復水器が破損し放射性物質が外に放出される可能性があるとして、数回にわたり手動停止させていた。実際には非常用復水器は空焚きによって破損することはないのだが、現場作業員は誰もその事実を知らなかった。仮に非常用復水器を手動停止しなかった場合、冷却効果によりメルトダウンの発生は7時間は遅れていたとされ、その時間を使い有効な対策を進めれば原子炉が壊れない可能性が高かったと指摘されている。その非常用復水器手動停止の報告は中央制御室から対策本部へ伝えられたが、発電所幹部は誰もその重大な事態を認識できていなかった。このような経緯の中、3月12日午後3時36分に1号機は水素爆発した[126][127]

事故前の事故リスク評価と政府・東京電力の答弁・対応

東京電力は、2006年9月に日本の原子力安全委員会の耐震設計審査指針[128]が改定されたことを受けて、2002年7月の地震調査委員会の三陸沖から房総沖にかけての日本海溝付近でマグニチュード8クラスの地震が起きる可能性がある評価結果を踏まえ[129]、福島県沖での地震発生を想定し津波の高さは10 mを超えると結論付け、2008年に津波の想定を従来の試算5.7 mから10 m以上に引き上げていたということを2011年8月事故調査・検証委員会の委員長畑村洋太郎に明らかにしている[130]。この試算では明治三陸地震と同規模の地震が起こると仮定し、海水取水口付近で津波の高さは8.4 m〜10.2 m、遡上高は1〜4号機で15.7 m、5号機・6号機で13.7 mとした[131]。また、この試算後産業技術総合研究所貞観地震の津波被害も評価し、取水口付近に8.7 m〜9.2 mの津波が襲来するものの陸上への遡上は無いとした報告を2009年9月に原子力安全・保安院へ行っている[131]

一方、2011年8月25日に東京電力は記者会見において、これらの試算は2008年6月の時点で原子力・立地本部副部長へ、2010年6月には副社長原子力・立地本部長へと報告していたと述べた[132]。また、東北地方太平洋沖地震の4日前の2011年3月7日には原子力安全・保安院へも報告されたが、東京電力は速やかな改修を保安院から指示されていなかったとしており[132]、東京電力はこれらの試算を基にした具体的な津波対策を執っておらず、15 mを超える津波の遡上も予測や想定されていたこととなる[131][133][134][135]。これらを受けて8月25日枝野幸男内閣官房長官は「十分に対応する時間的余裕があった」と述べた[136]。事故後、澤田哲生は「防潮堤にコストがかかるならディーゼル発電機などを津波から守るための対策に目を転じることが出来た筈だ」とし、6号機が土木学会の津波評価を受けて非常用ディーゼル発電機の電動機嵩上げを実施した例を提示している[137]

当事故を調査した、国際原子力機関 (IAEA) の調査団は、2011年6月1日、日本の政府に査察の結果を提出し、事故の要因は高さ14 mを超える津波によって、非常用電源を喪失したことであると結論し、「日本の原発は津波災害を過小評価していた」とコメントし、日本の原子力発電所は安全対策の多重性確保を行って、あらゆる自然災害のリスクについて、適切な防御策を講じるべきだと述べた。事故後の対応については、厳しい状況でベストを尽くしたと評価した[138][139]

産経新聞のインタビューで、1999年までIAEAの事務次長を務めた原子力工学専門家ブルーノ・ペロードは、1992年に東京電力に対して、福島県に設置されているMark I型軽水炉の弱点である格納容器や建屋を強化し、電源や水源を多重化し、水素爆発の防止装置をつけるように、などと提案したが、東京電力の返答は、GE社から対策の話が来ないので不要と考えているというもので、以後も対策はとられなかったという。また、2007年のIAEA会合で東京電力に対し、福島県内の原発は地震や津波対策が不十分だと指摘した際、東京電力は「対策を強化する」と約束したものの、津波対策をしなかった。ペロードは、この事故は天災ではなく人災で「チェルノブイリ原発事故はソ連型事故」、「福島原発事故は東電の尊大さが招いた東電型事故」と指摘した[140]。なお、東京電力は1994年に3台の非常用ディーゼル発電機を増設し、13台体制とする強化策を講じている(福島第一原子力発電所#非常用ディーゼル発電機の増設)。また、東海大学教授の高木直行は東京電力に勤務していた際、当時の上司だった吉田昌郎と共にフィルター付きベント(ドライベント)を設置するべきか検討作業を行ったが、圧力抑制室にてウェットベントを実施すれば問題は無いとしてフィルターベントを不要と判断したという[141]

2006年10月27日吉井英勝京都大学原子核工学科卒業、日本共産党)は、国会質問で当時の原子力安全委員会委員長の鈴木篤之に対して、福島第一原子力発電所を含む43基の原子力発電所は、地震によって送電線が倒壊したり、内部電源が故障したりすることで引き起こされる電源喪失状態、または大津波に伴う引き波によって冷却水の取水が不可能になると言った理由で炉心溶融にいたるのではないか、そうなった時どう想定しているのかと質問した[注 4][142]。これに対し鈴木篤之は、電源喪失状態となり燃料溶融に至る事故は非常に低い確率論としては存在すると答え、吉井に対して、電力会社には、さらに激しい地震の影響を想定させると約束した[143][142]。 吉井は同年12月13日にも、「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」[144]内閣に提出し、原発の最悪の事故を念頭に、津波の引き潮により冷却水が喪失する可能性の指摘や、非常用ディーゼル発電機の事故によりバックアップが機能停止した過去事例の提示要求などを行ったが、当時の内閣総理大臣安倍晋三は、「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と回答した[145][146]。また、吉井は2010年4月9日にも衆議院経済産業委員会で同じ問題を取り上げたが、当時の経済産業大臣の直嶋正行(民主党)は、「多重防護でしっかり事故を防いでいく、メルトダウンというようなことを起こさせない、このための様々な仕組みをつくっている」[147]と説明した。

産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡村行信センター長らは、2004年頃から貞観津波が残した地中の土砂を調査し、痕跡が宮城県石巻市から福島第一原子力発電所に近い福島県浪江町まで分布し、内陸3 - 4 kmまで入り込んでいることを確認した[148]2009年の国の審議会(原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会)で、大地震や津波を考慮しない理由を東京電力に対して問い質したが、東京電力は「まだ十分な情報がない」「引き続き検討は進めてまいりたい」と答えるにとどまった。震災発生後、岡村センター長は、警告されたデーターが完全でないことを理由にリスクを考慮しないという姿勢はおかしいと述べ、「原発であればどんなリスクも当然考慮すべきだ。あれだけ指摘したにもかかわらず、東京電力からは新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない。もっと真剣に検討してほしかった」と話した[149][150][151][152]

福島第一原発事故発生以前、原子力安全基盤機構が製作したシミュレーションアニメが存在する[153]。当時の政府・経済産業省のメルトダウン・メルトスルーに対する認識度がうかがえる。

事故後の事故リスク評価に関する報道

2011年

事故直後より、東北電力女川原子力発電所及び日本原子力発電東海第二発電所が過酷事故に至らなかったことと比較する動きが、インターネット上で見られた。その結果、東北電力が震災前から発行していた女川原子力発電所の震災・津波に対する評価の資料で、近代観測が始まる以前の文献に遡って評価し、現立地が選ばれたことが知れ渡り、それに対して、福島第一原子力発電所では津波対策を怠っていたとして東京電力は激しい非難の矢面に立たされることになった。東北電力はその後、2014年に震災発生前の震災・津波の評価と実際の震災発生時の被害をまとめた総括資料を発行した[154]が、その中に、東京電力を強く非難した内容をも盛り込んでいる[155]

2011年3月15日の米ABCによると、米ゼネラル・エレクトリック (GE) 社の技術者Dale G. Bridenbaugh(和表記:ブライデンボー)は、1975年の時点で「Mark I」型原子炉では冷却装置が故障した場合に格納容器に動的負荷がかかることを勘案した設計が行われていないと次第に認識しつつ退社に至ったと語ったとのことである[156]。その後は米原子力規制委員会と協力しながらMark I原子炉の廃止を訴え続けたと一部で報道されている[157][158]

同日の米ニューヨーク・タイムズによると、福島第一原発など日本にも9基ある「Mark I」型軽水炉について、アメリカ原子力規制委員会 (NRC) は1972年、格納容器が小さいことを問題視した。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘していたことを報じた[159][160]

2011年3月16日のブルームバーグによると、アメリカ原子力規制委員会 (NRC) は20年前に、GE社製Mark I型を含むいくつかの原子炉は、地震被害により付帯設備(非常用ディーゼル発電機、貯水タンクなど)の故障が起きて、高確率で冷却機能不全が起こると内部文書「NUREG-1150」で警告しており、2004年6月に原子力安全・保安院が公表した資料「リスク情報を活用した原子力安全規制の検討状況」の中でもその内容が紹介されているという。この記事中インタビューにおいて、元日本原子力研究所研究員で現在は核・エネルギー問題情報センターの事務局長を務める舘野淳は、NRCのリポート(NUREG-1150)が提示したリスクへの対応策について「東電は何も学ばなかったのか?天災が非常に希であり、想定外の規模であれ、言い訳は許されない」などとコメントした[161]

また同日の読売新聞によると、露独占事業研究所の研究員は報道各社のインタビューに応じ「2004年スマトラ島沖地震など強大な地震が起こったのに、事業者は原子炉だけでなく、冷却装置などの関連施設の強化を怠った」と地元の新聞に述べた[162]

2011年3月17日、チェルノブイリ原子力発電所事故の被害者団体「チェルノブイリ同盟ウクライナ」(キエフ)代表の元原発技師のユーリー・アンドレエフは共同通信社など報道各社のインタビューに応じ「チェルノブイリ原発事故では、4号機爆発の影響で漏れた冷却水が隣の2号機に入り込み、冷却装置やバックアップ電源のシステムが故障したが、辛うじて連鎖事故を回避した。福島第一原発は電源装置がチェルノブイリ同様に原子炉の直下にあり、津波などの水が入り込めば電気供給やバックアップシステムが壊れる。チェルノブイリ事故後も電源供給体制を見直さなかったのは残念」と述べた[163][164]

2011年3月22日の読売新聞によると、2007年2月、静岡地方裁判所での証人尋問で非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由として「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と証言した内閣府原子力安全委員会委員長班目春樹は、「当時の原子力安全委員会としての見解ではあったが、今は個人的に責任を感ずる」と答弁し謝罪した。3月22日の参議院予算委員会での社民党党首、参議院議員の福島瑞穂の質問に対するものである[152]

2011年3月23日付の東京新聞で、1970年 - 1980年頃に4号機を除く5機の設計や安全性の検証を担った東芝の元技術者達は、「事故や地震でタービンが壊れ飛び原子炉を直撃する可能性を想定し、安全性が保たれるかどうかを検証した。M9レベルの地震や、航空機墜落で原子炉に直撃する可能性を想定するよう進言したが、『千年に一度のことを想定する必要は無い』と一笑に付され、起こる可能性の低い事故は次々に想定から外された。当時は『M8以上の地震は起きない』と言われ、大津波は設計条件に与えられていなかった」「今回のような大津波やマグニチュード9の地震は、想像もできなかった」などと語ったと報じている[165]。なお1980年代の米国内、原子力規制委員会(NRC)でも同様に、電力業からの圧力でNRC技術者の災害リスク提言は委員会内で相次いでもみ消されていったとのことであり、当時の国際的な流れであったことがうかがえる[166]

2011年6月9日付のしんぶん赤旗によると、日本共産党の吉井英勝議員は2011年5月27日の衆院経済産業委員会で、福島第1原発事故に伴うGE社の製造者責任を追及。外務省の武藤義哉審議官は「現在の日米原子力協定では旧協定の免責規定は継続されていない」と答弁し、協定上は責任を問うことができるとの見解を示した[167]。しかしながら米国側の反応としては3月15日付のNYタイムズに見られるように「GEの責任は限定的」という論調が目立っている模様である[160]

2012年

共同通信配信の産経ニュースほか国内多くの報道機関や米国ビジネスウィークなどは、2012年2月21日発表されたNRCの事故当初10日間の3200ページ[168]からなる自動録音の電話会議記録文書について報じた。3月16日グレゴリー・ヤツコ委員長は「最悪のシナリオはおそらく、3つの原子炉がメルトダウンすること。格納容器が壊れ、放射性物質の漏出が起きそうだ。漏れの規模を予測するのは難しい」一方、「風が東京に向かって吹いている場合、東京にどう影響が及ぶのか」と懸念する出席者に「現時点で米国民の退避範囲は、50マイル(約80キロメートル)でいこうと思うが、不確実であり、拡大する可能性はある」と答えた。これらのことはメルトダウンの可能性を認めようとしなかった日本政府のリスクに対する危機意識の違いがあった[169][170]

民間有識者などが構成した「福島原発事故独立検証委員会」は約300人の関係者から聴取を行い、2012年2月28日に400ページの検証・調査報告書を取りまとめ発表した。なお東京電力の関係者は聴取に一切応じなかったとされる。このことは読売新聞、産経ニュース、NHKなど多くの報道機関でとりあげられた[171][172]

産経新聞によれば、2012年3月5日IAEA定例理事会で事務局長天野之弥は「東日本大震災から1年を経た。原発は冷温停止状態に達したが、事故以前の事故防止策や停電を想定した訓練などが不十分だったのは明らか」と改めて指摘した[173]

産経新聞や東京新聞によると、米国のカーネギー国際平和財団は2012年3月6日原子力安全・保安院東京電力が国際的基準に沿って津波などに対する安全対策を強化していたならば事故は防げたとする専門家の報告書を発表した[174]。諸外国の対策とIAEAの指針を示し「日本は国際基準や対策事例の導入が遅れており、これが事故の原因となったことを示す証拠が多くある。なぜ津波のリスクを過小評価したのかを探るのが最も重要な課題だ」と指針を満たしていなかったと指摘し、福島第一原子力発電所は他国の原発に比べて電源喪失による被害が起きやすかったとしている[175]

6月13日の朝日新聞と翌14日の読売新聞によれば、東京電力は2005年12月から2006年3月まで原子力技術・品質安全部設備設計グループが5号機がどの程度の津波に耐えられるか、想定の津波高さ5.7mを超え津波高さ13.5mから14mが襲った場合の分析を入社3年目の技術系社員の社内研修の研究課題とし、分析と報告させ非常用ディーゼル発電機やバッテリーなどすべての電源を失い、原子炉を冷却できなくなるという結果を得ていた。津波対策の費用も5号機および6号機周辺に約1.5km長の防潮壁を建設する場合は約80億円、建屋の出入り口の防水工事などに約20億円と試算した。これら研究成果と報告を幹部が把握したか不明であり、安全対策として反映されなかった[176][177]

10月13日の読売新聞によれば12日、東京電力は第三者で構成される「原子力改革監視委員会」の初会合を開いた。委員長は元アメリカ合衆国原子力規制委員会長デール・クライン (英:Dale E. Klein)[178]、委員は英原子力公社UKAEA名誉会長のバーバラ・ジャッジ(英:Barbara Judge)、大前研一櫻井正史。同年6月20日、東電社内の福島原子力事故調査報告は『我が国(日本)のどの地震関連機関も考えていなかったことから、知見を超えた巨大地震・巨大津波であったといえる。』として事故対応の初動も誤っていなかったとしていたが[179]、初会合の10月12日、委員会として「事前に津波対策を取ることは可能だった」との前提で改革の対象や範囲を制限しない、経営層が安全性向上に主導権を発揮するなどの原則を掲げた。クライン委員長は記者会見で「東京電力も政府も自然の猛威を過小評価していた。あらゆるシナリオに目を向けた改革を進める」と強調した[180][181][182]

2013年

9月2日の産経新聞によれば、東電旧経営陣のほか、菅氏ら当時の政権首脳や、既に廃止された原子力安全委員会の班目春樹元委員長ら原子力行政担当者らを、市民団体に業務上過失致死傷等の罪で告訴・告発について、検察当局は1年以上に及び地震や津波の専門家からも意見を求めた捜査を行ったが不起訴とした。その理由として「個人の明確な過失を示す新証拠は見つからなかった。その結果、『津波15.7メートル』の数字は東電内部での試算にすぎず、事故を関係者が予見していたとは言い切れない」等との公的機関として、「リスクは予見可能」との見解を否定し不起訴処分とした。

災害対策に関する問題点の報道

国際基準(IAEA)の災害対策の導入見送り

2006年3月に原子力安全委員会は、国際基準(IAEA基準)を国の原子力防災指針に反映し(放射性物質が放出される恐れがある場合、即時に原発から3〜5キロ圏の住民は避難する)改善・導入の検討を開始したが、当時の原子力安全・保安院院長である広瀬研吉が強固に反対し、防災の強化が見送られた。防災の強化を行っていれば、今回の事故で近隣の住民の被爆がさけられたと報道される。 [183]

事故の教訓と再発防止策

この重大事故をしっかり検証して根本的な改善策を講じるべきという表明が、菅直人首相[184]をはじめ、枝野官房長官[185]、東京電力[186]国際原子力機関 (IAEA)[187]日本原子力協会[31]、その他専門家、政治家などから出された(#専門家による指摘 および#福島原発事故後の、事故リスク評価に関する報道 参照)。

これを機に、他の原発や核処理施設の安全性や今後のエネルギー政策の論議が高まった。4月21日、本事故を受け東京電力は柏崎刈羽原子力発電所海抜高さ15 mの防潮堤を設置し2013年6月に完成目標と発表。本事故前の3.3 mの津波を想定したものから高くする[188][189]。また5月6日、菅直人首相は浜岡原子力発電所のすべての原子炉の当分の間の停止を中部電力に要請した[190]

不測事態シナリオ〔最悪のシナリオ〕

2012年2月初めに、菅直人元総理大臣の要請により、内閣府の情報開示で入手した、福島原発事故の不測事態シナリオ「近藤駿介原子力委員長のメモ」[191]が、公開された[192]

このメモの15ページ「線量評価結果について」に於いて、水素爆発が発生したとしても半径20 km圏内という避難区域を変える必要はないが、4号機の使用済み燃料プールの燃料損傷が発生し、そこから複数の号機の使用済み燃料プールでコアコンクリート相互作用(溶融燃料コンクリート相互作用、MFCI)が発生した場合、もしくは原子炉自体が爆発した場合は170 km以遠から250km圏の東京都を含む首都圏にも強制移転および避難を求めることが必要になる大事故の可能性があるということを述べている[193]

また、メモの10ページの「放出シーケンス」「被ばく線量評価結果」(放射性物質の放出予想)が示されており、グラフと表により、4号機(炉)の使用済み燃料プールからの放射性物質の放出量が大きく、避難規模に大きく影響される事が示されている。

この4号機の燃料プールは、事故収束宣言後の2012年4月12日にも、冷却装置の警報が作動し、温度上昇が発生した。水漏れや異物の混入などの可能性が懸念されている[194]

菅直人は2013年11月8日ハフィントン・ポストにて、最悪5000万人の避難が必要となる可能性があったと述べた[195]

誤報

海水注入問題

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は2011年3月19日に、事故の拡大は、東京電力が廃炉を懸念したため原子炉への海水注入が1日近く遅れたと報じた(12日の朝に検討し13日に全ての号機で注入開始)。注水後の12日夜に、東京電力から連絡を受けた政府側の受け身の姿勢も事故対応の遅れにつながったと指摘している。事故対応に当たった複数の関係者によると、東電が海水注入をためらったのは長年の投資が無駄になることを心配したためだという。海水を注入した場合、塩分により鋼鉄の圧力容器が腐食し、原子炉が再び使える可能性はほぼなくなる[196][197]

2011年5月20日には、TBS共同通信など国内のテレビ局ならびに新聞社において、官邸の指示により海水注入を中断したとの報道が広くなされていたが[198][199]、2014年8月に吉田昌郎の証言集である吉田調書が報道各社で検証されたことを受けて、9月1日に元首相の菅直人は「首相意向で海水注入中断」「震災翌日、55分間」との2011年5月21日付読売新聞の記事をとりあげ、読売に対して謝罪を要求[200]。9月3日には「(読売は)相当びびっている」などとツイッターでつぶやいた[201]

実際には、現場を指揮した吉田昌郎の判断により海水注入は中断することなく行われており[202]、2011年5月27日、ウォール・ストリート・ジャーナルもこの事実を報じた[203]

冷却の淡水が無くなった時刻は12日の午後2時であるが、事故調査員会の参考人招致[204]で東京電力 清水社長が、「淡水が無くなる時間はかなり以前から判っていた」「私が海水注入の決断したのは、3月12日の正午です。」「現場の状況が厳しかった為、海水注入は3月12日の夜(午後7時)なった」と発言した。又その後、海水注入の一時的な中断の指示は、原子炉の冷却が一番大切な事は承知しているが、菅元総理が再臨界を心配している事を、武黒一郎フェローからの電話で知り、後で菅元総理に了承を得るとして、清水社長自らが決断し海水注入の中断を了承したと発言した。

2012年7月5日に発表された国会事故調の報告書には「菅総理や官邸内からの指示ではなく、武黒フェローが、リスクについて検討中であった官邸との関係をおもんぱかり、『最高責任者である総理の御理解を得て進めるということは重要だ』と考えて、独断で指示をしたものである」「菅総理が淡水から海水に切り替えると『再臨界』の恐れがあるのではないかとの疑問を抱いていたため、班目委員長が中心となってその解消に腐心していた。菅総理は、既に海水注入が始まっていたことを知らなかったために時間があると思って慎重に確認したものと考えられるが、技術的には無駄な議論であった」と海水注入の経緯が記述されている[205]

東京電力の全面撤退をめぐる報道

14日から15日にかけて2号機の圧力容器内、格納容器内の圧力をそれぞれ下げる試みは極めて難航し、格納容器どころか、圧力容器の圧力破壊という水素爆発とは桁違いの事態が想定される状況に至った。このような危機的状況に於いて、当時の東京電力の社長清水正孝が、福島第一原発からの全面撤退を菅総理大臣に要求し、菅総理が「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴った、と報道された[206]。 その後、全原子炉施設の放棄によってコントロールが不能となる全面撤退の申し入れには、枝野幸男元官房長官と海江田万里前経済産業相を含めた国の官邸側で全員が全面撤退と受け取ったと発言した。これに対し、東京電力の顧問武藤栄は、全面撤退など考えた事がなかった、議論も出なかったと電気新聞が報道[207][208]。意見の食い違いが生まれている[209]。しかしながら、社長 清水正孝は、最悪の場合は10人の作業員だけを残留させる想定もあった事を、事故調査委員会で認めた[210][211]。その後、委員長に記者からは、「10人では、全面撤退と変わらないのでは?」との質問があったが、事故調査委員会の結論として 野村修也委員は、「吉田所長が最悪の事態を想定した漠然とした人数が10人」だとし、「東京電力に全面撤退の形跡無し」と、東京電力側の主張を全面的に認める発表をした[212]

「撤退問題」については、14日午後8時頃から、政府要人数人に清水社長から電話で福島第一原発からの社員の撤退・退避の申し出がなされたと言う点で複数の証言は一致している。具体的には、海江田万里経済産業大臣、寺坂信昭原子力安全・保安院院長、枝野内閣官房長官に対して清水社長本人が電話で連絡をとり、撤退・退避の了承を取ろうとした(細野首相補佐官は電話に出る事を拒否した)。清水社長の申し出に対し、三者とも退避・撤退については否定的な感想を述べたが、海江田経産大臣はことの重大性を鑑み、総理に報告する旨を約束したとされる[213]。なお清水社長は、要人に対しては「全面撤退」と「一部撤退」といった人数に関する事柄については特定して述べておらず、状況の厳しさを訴えた上で退避・撤退の了承を求めている。

ほぼ同時期に、放射線量の高まりからオフサイトセンターの福島市内への移転についても議論されている時期であり、片山総務大臣、平岡保安院次長他政府関係者も、東電撤退の可能性を聞いて少なからぬ衝撃を受けたと証言している[214]

また、朝日新聞 WEB RONZA(朝日新聞2012年2月6日付、「プロメテウスの罠、官邸の5日間35」抜粋)では、元警視総監の伊藤哲朗が東電幹部と交わした会話にて、福島第一原発から全面撤退した場合は、福島第二原発にも影響が及び、福島第二からも撤退しなければならない事態に発展すると掲載された[215]。また、菅元総理が、「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなる」「このままでは日本滅亡だ」と発言したと記載した。

国会事故調 (2012, p. 33)は報告書で、全面撤退は官邸の誤解であるが、官邸に誤解が生じた根本原因は、清水正孝が、極めて重大な局面ですら、官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点に求められる、とした。

「吉田調書」〔朝日新聞の報道〕

事故当時の福島第一原子力発電所所長であった吉田昌郎が政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」に関して、2014年5月20日、朝日新聞が「吉田調書」と題して特集し、2011年3月15日朝、福島第一原子力発電所にいた所員の9割にあたる約650人が吉田の待機命令に違反し、福島第二原子力発電所へ撤退していたと報道した[216][217][218]。特集記事デジタル版本文では吉田昌郎の「本当は私、2F(福島第二原子力発電所)に行けとは言ってないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで(中略)よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」との証言を掲載しつつ、命令違反であったと結論していた[216][219](紙面には掲載されなかった)[220]産経新聞が8月18日、「伝言ゲーム」による指示の混乱はあったが、吉田自身に命令違反としての認識はなかったと報じ[221]読売新聞が8月30日、吉田昌郎が「よく考えれば、(線量の低い)2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」と追認していたことを指摘するなど[222]、他の新聞、雑誌から福島第二原子力発電所への退避が命令違反であったとする報道を否定、糾弾する記事が相次いだ[223][224][225][226][227][228]。朝日新聞社広報部は読売新聞社の「退避をなぜ『命令違反』と報じたか」という質問に対し、「『吉田調書』をそのまま報じるのではなく公共性、公益性の高い部分について東京電力の内部資料や関係者への取材とつきあわせて報じています」などとしていたが[229]、9月11日、朝日新聞は同報道を取り消した[230]。同日、内閣官房は吉田昌郎の「聴取結果書」を公開した[231][232]

2014年9月11日、朝日新聞社は、2014年5月の特集記事「吉田調書」について「誤った部分があり、訂正する考えだ」とするコメントを11日夕方、発表[233][234]。2014年9月11日夜、朝日新聞社の木村伊量社長らが記者会見を行い、「間違った記事だと判断した」と述べ、記事を取り消す考えを明らかにしたうえで、「経営トップとしての私の責任も逃れられない」として「抜本改革のおおよその道筋をつけたうえで、速やかに進退について決断したい」と述べた[235][236]。朝日新聞社では、一連の経緯について検証を行う「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を設置する[237][238][239]。また、同時に、取締役編集担当役員の解職と関係者の厳正な処罰を発表し、木村伊量社長自身については「社内改革に道筋をつけた上で辞任すること」を示唆した[240]

また、同日に、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」は、朝日新聞社が2014年5月20日付の朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」の見出しで報じた、いわゆる「吉田調書」をめぐる報道について、朝日新聞社側が「報道と人権委員会」の見解を求めた申し立てについて、審理の対象とすることを決めた[241]

2014年9月12日の朝日新聞の朝刊で、「『命令に違反 撤退』という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら、第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため記事を削除した」とした[242][220]

記事が掲載されるまでのいきさつについては、「社内では『命令』や『違反』の表現が強すぎるのではないかとの指摘が出たものの、取材源を秘匿するため、少人数の記者での取材にこだわるあまり、十分な人数での裏付け取材をすることやその取材状況を確認する機能が働かなかった」としている[242][220]

また、吉田元所長の証言記録のうち、『よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しいと思った』と評価していた部分を欠落させたことについては、「吉田元所長があとから感想を述べたにすぎず、必ずしも必要なデータではないと考えていた。発言の評価を誤り、十分な検討を怠っていた」としている[242][220]

そのうえで、木村伊量社長が紙面の中で、「誤った内容の報道となったことは痛恨の極みです。読者と東京電力福島第一原発で働いていた所員をはじめ、みなさまに深くおわびします」と謝罪[242]

朝日新聞は2014年9月13日の朝刊で、この「吉田調書」報道の間違いを認め、記事を取り消したことを受け、「東京電力社員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」との報道に対し「事実をねじ曲げた」と報じ、朝日新聞に抗議書を送っていたノンフィクション作家の門田隆将、週刊ポスト、写真週刊誌のFLASH、それに産経新聞社に「おわびの意思を伝えた」とする記事を掲載した[243][244]

また、朝日新聞は、2014年9月13日の朝刊の社説や1面コラムで、それぞれ謝罪した上で、「誤報」によって、「誤った印象が海外に広まったこと」について、木村伊量社長名のおわびを、英語版に加え、韓国語、中国語にも翻訳し、外国語サイトにも掲載[245][244]

社説では、「吉田調書」に関する記事を過去の社説でも取り上げていたことを挙記した上で、「社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします」と謝罪した[245]

また、朝日新聞の2014年5月20日夕刊1面のコラム「素粒子」では、原発事故を巡る「吉田調書」に関し、「『フクシマ50』の称賛の裏に勝手に撤退した650人。傾く船から逃げだすように」と記していたが、朝日新聞は2014年9月13日の夕刊1面のコラム「素粒子」では、改めてこの問題に触れた上で、「小欄の過剰な表現を撤回しおわびします」とした[246]

さらに、朝日新聞は「抗議は前提となる事実を欠くものであり、抗議したこと自体が誤っておりました」としたうえで、抗議書を撤回した上で、8月19日付の朝刊「産経記事巡り本社が抗議書」の記事を取り消す措置をとった[247]

この、吉田調書をめぐっては、産経新聞が2014年8月18日付の朝刊で門田隆将氏の寄稿「朝日は事実曲げてまで日本人おとしめたいのか」(東京本社版)を掲載したが、朝日新聞は「名誉と信用を傷つけられた」として、2014年8月18日日付で産経の小林毅東京編集局長と門田隆将氏あてに抗議書を送付し、紙面で報告していた[247]

また、朝日新聞は、産経新聞への抗議書の中で、「納得のいく回答が得られるまで貴社の取材には応じられませんので、回答は保留させていただきます」としていたが、これを撤回[247]

朝日新聞は2014年9月17日の朝刊社会面にて、「東京電力と関係者の皆様に改めておわびします」との記事を掲載した[248][249][250]

記事では「朝日は東電に対し、東京電力事故の吉田昌郎元所長の調書に関する報道の間違いについて、直接訪問しておわびしたい」と伝えたが、東京電力広報部からは「紙面により十分ご説明いただいているものと思っておりますので、わざわざお越しいただくまでもございません」などと文書で回答があったと掲載されている[248][249][250]

東京電力広報部は、読売新聞の取材に対して、「(2014年9月)12日に朝日新聞から電話で、来社しておわびしたいという申し出があった。回答は記事に記載された通りです」と話している[248]

専門家による指摘

原子力工学

米国の原子力専門家らが報道陣向けに電話会見し、その中で物理学者のケン・バージェロン (Ken Bergeron) は「福島第一原発は、非常用ディーゼル発電機も使用できなくなったため、原発に交流電流を供給できなくなるステーション・ブラックアウト(station blackout、全交流電源喪失)と呼ばれる状況に陥っている。ステーション・ブラックアウトは、実際に発生する可能性は極めて低いと考えられていたが、地震と津波により想定外の事態になったのだろう」と述べた[251]

マサチューセッツ工科大学 (MIT) のJosef Oehmen博士とMITの原子力理工学科 (Department of Nuclear Science and Engineering) が共同で発表したドキュメント[252][253](和訳)によると、

  • 炉心の核分裂連鎖反応は既に停止しており、現在の発熱源は定格出力比約7%の核分裂生成物崩壊熱によるものである。
  • 核分裂生成物のうちには放射性のセシウムヨウ素の同位体が含まれる。
  • 炉心付近で起こっている爆発は水素の燃焼によるものであり、核爆発によるものではない。

2011年3月16日、京都大学原子炉実験所原子力基礎工学研究部門教授の宇根崎博信は、UNN関西学生報道連盟に対し次のように述べた[254]

  • 当該事故発生の原因について、「様々な情報を総合すると、地震ではなく津波が原因」であり、「(津波の)水が原子力施設に与えた影響が想定」を超えていたためこのような事態を招いた。原子炉は「外部からの電力供給が断たれた時の非常用発電設備」を持っているが、「津波によってその機能」が損失したため、このような状況に陥った。
  • 「(2011年3月16日の)時点で考えうる最悪の場合は部分的に燃料が溶け、水蒸気爆発が生じ、部分的に格納容器や圧力容器を破損させ、今まで以上に放射性物質を放出させる事態」だが、「その可能性は極めて低い」と言える。
  • 住民の健康への影響については、「退避圏の外で(2011年3月16日時点までに)観測されている(放射性物質の)値を見る限り、健康に影響が出る値」ではないので恐らく大丈夫であろう。
  • 「原子炉の設計に津波の影響」は考慮されていたが、「それをはるかに超えた津波」であった。「(既存の原子力)施設の安全設計が妥当か」を考え直していくことが必要である。

放射線医学

日本政府の対応

  • 2011年3月11日16時36分 - 電源喪失の報告(原子力災害対策特別措置法第15条1項2号)を受けて、官邸は原子力緊急事態宣言を発令し、対象区の国民に対し、屋内待機を命じた[255]
  • 2011年3月11日21時23分、今後想定されるベント作業に備え、半径3 km以内の住民に避難指示を、半径3 km〜10 kmの屋内退避の指示を出した。3月12日午前3時、東京電力からの、1号機の格納容器の破裂を避けるために炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げるベント作業の実施の依頼に対して、官邸は東京電力に、枝野官房長官(当時)らが、国民に広報するまで待つことを指示した上で、[要出典]許可を出すとともに、5時44分に、ベントの実施作業が遅れた場合に対応するため、避難対象地域を半径10 kmに拡大した。[256]さらに、現地の状況が十分に把握できないことから、菅直人首相自身が、ベント実施に平行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、同日7時11分、菅がカメラマンらとともに事故現場に到着した[257]。しかし、操作マニュアルが電源喪失を想定しておらず、現場が混乱した[258]ことなどから、ベント操作が首相の到着する段階になっても開始することが出来ず、菅が現場にて説明を求めた。所長の吉田が菅に対する対応に追われ2時間ほど指示が出せなかったこともあり[259]、ベント操作の開始は同日の9時04分ようやく始まった[260]。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたことでベントの作業は難航し、実施されたのは同日14時30分となった。
  • 避難対象地域はベント実施後に水素爆発が発生し、放射性物質が漏れたため、半径20 kmまで拡大された[261]
  • 厚生労働省は、急遽、食品と水道水を含めた飲み物の被曝許容量の暫定基準値を決定して発表。人体の被曝許容量の暫定基準値を年間20 mSvと定めた。
  • 3月15日午前3時 - 清水正孝東京電力社長から海江田万里経済産業大臣へ事故現場から作業員の全面撤退の意向の申し出があり、大臣に拒否され、枝野幸男内閣官房長官に再び申し出があった。午前4時17分に清水社長を官邸に呼び真意を聞いたが今後の対応を明言しなかった。午前5時35分菅直人首相は東京電力本店に乗り込み勝俣恒久代表取締役会長ら約200人が出迎のもと、菅首相は「撤退などあり得ない」と迫った[262][263]。なお、清水社長は当時を振り返り、直接作業に係わらない者達の退避の意向であった[264]、また東京電力は2011年9月8日の記者会見で社長が振り返った内容であったと認識しているとした。
  • 2011年5月6日 - 当事故の影響で菅直人首相は海江田万里経済産業大臣を通じて、中部電力に対して、東海地震の発生予想率をもとに、静岡県浜岡原発の運転を中長期的に対策が立てられるまでの間、全て停止するように求め[265]、5月9日、中部電力は政府の要請に従って、浜岡原発を停止させた[266]
  • 2011年5月24日 - 原因を究明するための調査・検証を行うため、内閣官房東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の設置が閣議決定され[267]、6月7日初会合が行われた[268]
  • 2011年6月22日 - 原子力安全委員会は、当事故を重く見て、原子力発電設備の安全の基準となる「安全設計審査指針」と「耐震設計審査指針」の抜本改正に着手した。班目春樹委員長は改定には2〜3年かかると述べた[269]
  • 2011年6月、海江田万里経済産業大臣(当時)は東京電力が求めていた当事故の汚染水流出を防ぐ遮水壁設置の先送りについて、「中長期的課題」とすることを条件に容認した[270]
  • 2012年1月27日 - 野田内閣菅内閣東日本大震災に関する15組織のうち10組織が議事録を未作成、そのうち5組織では議事概要も未作成または一部作成であったとする調査結果を発表。公文書等の管理に関する法律に照らしても不適切ともされた。野田佳彦内閣総理大臣は午前の参議院本会議で「文書で随時記録されなかったのは遺憾。会議の意志決定過程を把握できる文書作成は国民への説明責任を果たすため極めて重要。」と答弁した。岡田克也副総理(公文書管理担当)は5組織出席者から聞き取り調査のうえ、2月中に議事概要の作成を関係閣僚に求めた[271][272][273]。3月9日初めて公表され、原子力災害対策本部と政府・東電統合対策室の各議事録概要は12月までで合計約1400ページ、3月分は100ページ未満であった。当時内閣官房長官だった枝野幸男は3月9日の記者会見で「有事の際は録音し混乱のなかでも事後的な記録作成に役立つように備えるべきだった」と述べている[274]
  • 2013年8月8日 - 経済産業省認可の国際廃炉研究開発機構(理事長・山名元)発足[275]

SPEEDIデータ公開の遅れ

文部科学省が開発した緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI) のデータ公表が事故直後の計測時点ですぐに発表されなかったことで、関東および福島近県の国民が、ひろく被曝の危険にさらされたと、事故直後から各紙、識者らから指摘された[276][277][278]。しかし、事故の直後に外務省を通じてアメリカ軍には提供されていた[279]。一方、菅内閣は6月に国際原子力機関 (IAEA) に提出した報告書の中で、損壊した原発の放射線放出に関する完全なデータをリアルタイムで入手することができず、また、SPEEDIが推測に基づいて作成した予測結果を公表すれば「不必要な混乱」を招く可能性があったと報告した[278][280]

ヨウ素131による初期被曝の検証

2011年の3月14日から3月15日に、放射性ヨウ素131が大量に放出された事が後に判明した。飛散した地域と時刻の解析(シミュレーション)をNHKが番組『埋もれた初期被ばくを追え』(2012年3月11日)内で放送した[281]。解析によると、2011年3月14日に2号機で事故が発生し、通常の2500倍(1立方メートル当たり1万ベクレル)を超える放出した放射性ヨウ素が初期は風向きで海側へ流れていたが、3月15日0:00より南側の風向きに変化し、茨城県、そして栃木県を通過した、という内容であり、放射性のヨウ素131は、SPEEDIによる放射性セシウムの飛散予測とは全く異なる地域となっていた事が判明した。

住民に対する安定ヨウ素剤配付の遅れ

 また、原子力安全委員会が東京電力福島第1原発事故の発生3日後の3月14日、体内被曝(ひばく)をした場合に健康被害を防ぐ効果がある安定ヨウ素剤を住民に服用させるべきとする助言をしたのに対し、菅直人首相(当時)が本部長を務める政府の原子力災害対策本部は、対応しなかった(同事務局では受けた記録がないとしている)。その後、原子力安全委の助言をもとに政府の原子力災害現地対策本部長が16日に、福島県や関係市町村に住民への安定ヨウ素剤の投与を要請したが事故から4日以上あととなった。 [282]

全ヨウ素放出量試算結果の未公表

時事ドットコムは、「世界版SPEEDI」の試算結果で、千葉市内で計測されたヨウ素を基に推計した2011年3月15日の同原発からの放出量が毎時10兆ベクレルという高い値となっていたが2012年4月3日まで未公表であった、と報道した[283]。3月15日のヨウ素131乳幼児臓器被曝線量分布を含む事故当時のデータが公表された[284][285][286][287]

事故調査・検証委員会

2011年(平成23年)5月24日に、内閣官房東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会を設置することが、 閣議決定された。その後畑村洋太郎を委員長、柳田邦男を委員長代理、尾池和夫吉岡斉などを委員として活動中である。この委員会は、内閣総理大臣を含むすべての行政機関・職員および規制対象事業者に対して、資料提供と委員会への出席を求めることが出来る(辞任・退職した菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業大臣、寺坂信昭原子力安全・保安院長、清水正孝東京電力社長などに対して強制力は持たない)。

原子力安全・保安院の対応

事故直後の原子力災害特別措置法第十条、同法第十五条による通報に伴い、事故の対応や住民の避難などの対策拠点として機能すべく位置づけられた「オフサイトセンター[288]」と呼ばれる施設は、停電および非常用発電機の故障で機能しなかった[289]国会事故調 (2012, sec3.2.2.2b)は、「オフサイトセンターは事故発生直後の時期にその機能を全く発揮することができず、この間の事故対応に何らの寄与もなし得なかった」と結論づけている。

また原子力安全・保安院の保安検査官は、地震発生時に保安検査実施のため福島第一原発を訪れていたが[290]、14日夕方には全員をオフサイトセンターに退避させたため[290]、現地で情報を収集する手段は失われていた。

この事故の教訓として、経済産業省は、緊急安全対策[291]、非常用ディーゼル発電機の措置[292]、ストレステスト[293]などを全国の原発に反映することを表明した。

なお、2009年に原子力保安院が指摘した大津波の可能性に対して、東京電力が原発の津波対策を拒否したことが分かっている[294]

日本の国会の対応

事故調査委員会

2011年9月30日、第178回国会で「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」を設ける「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」が成立し[295][296]、10月より施行され、2011年12月1日に事故調査委員会のメンバーは「東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会」から推薦され、翌2日両院本会議で承認された。委員長は黒川清、委員は田中耕一ら9人[297][298]

この法に基づき設けられる事故調査委員会は、2011年5月24日の閣議決定により政府の内閣官房に設置される「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」とは異なり、国会が主体となり独自の調査を行う。事故調査委員会は東京電力やその関連事業体、また政府・内閣を含む関係行政機関などから聞き取り調査や資料などの提出を求めることができる。調査委員会は委員長と9人の委員任命した日から起算しておおむね6か月後に調査結果報告書を衆議院議長および参議院議長に提出しなければならない。なお「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」は施行から1年で効力を失う。調査への協力拒否には議員証言法による罰則もあり得る。委員会の会議は原則公開することとされる。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会は、報告書をまとめ、2012年7月5日、衆参両院議長に提出した[299]。報告書では本事故を以下のように結論付けた[300]

  • 事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である。今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである。(国会事故調 2012, p. 10)
  • 事故の根源的原因は歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められ、何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である。 (国会事故調 2012, p. 12)
  • 事故の直接的原因について、安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない。 (国会事故調 2012, p. 13)
  • 過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練、機材の点検がなされ、また、緊急性について運転員・作業員に対する時間的要件の具体的な指示ができる準備があれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。すなわち、東電の組織的な問題である。(国会事故調 2012, p. 14)
  • 被害を最小化できなかった最大の原因は「官邸及び規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」、そして「緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧であったこと」にある。(国会事故調 2012, p. 15)
  • 避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、「これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが、今回の住民避難の混乱の根底にあり、住民の健康と安全に関して責任を持つべき官邸及び規制当局の危機管理体制は機能しなかった」。(国会事故調 2012, p. 16)
  • 被災地の住民にとって事故の状況は続いている。放射線被ばくによる健康問題、家族、生活基盤の崩壊、そして広大な土地の環境汚染問題は深刻である。いまだに被災者住民の避難生活は続き、必要な除染、あるいは復興の道筋も見えていない。当委員会には多数の住民の方々からの悲痛な声が届けられている。先の見えない避難所生活など現在も多くの人が心身ともに苦難の生活を強いられている。政府、規制当局の住民の健康と安全を守る意思の欠如と健康を守る対策の遅れ、被害を受けた住民の生活基盤回復の対応の遅れ、さらには受け手の視点を考えない情報公表がその理由。(国会事故調 2012, p. 17)
  • 事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える。この根本原因の解決なくして、単に人を入れ替え、あるいは組織の名称を変えるだけでは、再発防止は不可能である。(国会事故調 2012, p. 17)
  • 規制された以上の安全対策を行わず、常により高い安全を目指す姿勢に欠け、また、緊急時に、発電所の事故対応の支援ができない現場軽視の東京電力経営陣の姿勢は、原子力を扱う事業者としての資格があるのか疑問。(国会事故調 2012, p. 18)
  • 規制当局は組織の形態あるいは位置付けを変えるだけではなく、その実態の抜本的な転換を行わない限り、国民の安全は守られない。国際的な安全基準に背を向ける内向きの態度を改め、国際社会から信頼される規制機関への脱皮が必要である。また今回の事故を契機に、変化に対応し継続的に自己改革を続けていく姿勢が必要である。(国会事故調 2012, p. 18)
  • 原子力法規制は、その目的、法体系を含めた法規制全般について、抜本的に見直す必要がある。かかる見直しに当たっては、世界の最新の技術的知見などを反映し、この反映を担保するための仕組みを構築するべきである。 (国会事故調 2012, p. 19)

最終報告書英語版序文に対する異論

毎日新聞論説室の福本容子は、2012年7月20日黒川清委員長による英語版最終報告書の序文における「島国根性」、「集団主義」、「権威に異を唱えない体質」などの列挙及び「事故の根本的な原因は、日本文化の慣習に根ざしたもの」という表現に対し、最終報告書日本語版本文に無い内容が含まれ、事故原因を文化のせいにしたとして、これを問題視する論説を上梓した。また、このことを問題とした上で、米ブルームバーグでは、原子力村の金絡みでの安全軽視は日本特有ではないと反論していると記述した。記事によれば、黒川は、日本外国特派員協会での会見で日本語版と内容が違う理由を質問された際に「(英語版は)国際社会向けに書いた。日本人が『日本文化の慣習に根ざしたものが原因』を理解できると思う?」と記者に逆質問したとされている[301]

国際原子力機関の動き

日本政府は3月12日、本事故について国際原子力機関 (IAEA) に対して報告した。これに対し、国際原子力機関の事故・緊急センターは、日本や加盟国と24時間の連絡体制をとることで状況把握に努める方針を示し、日本政府からの要請があれば技術支援を行う用意があることを表明した[302][303]

国際原子力機関の事務局長天野之弥は日本時間3月13日未明、国際原子力機関の声明としては異例の日本語でビデオ声明を発表し、「日本の当局は必要な情報の収集と安全の確保に当たっている」と一定の評価を示したが、引き続き懸念が存在しているとの認識を示し、海水を注入して炉心を冷却するなどの一連の作業が成功することを期待すると述べた[304]

国際原子力機関には加盟国から事故に関する問い合わせが殺到し、日本時間3月14日深夜に緊急説明会を開くことを決めた[305]

天野事務局長は14日の記者会見で日本政府から専門家チームの派遣を要請されたことを明らかにした。また、チェルノブイリ原子力発電所事故のような大事故に発展する可能性については、原子炉の構造が異なること、既に運転を停止している状態であることを指摘し、原子炉建屋の爆発についても核分裂反応によるものではなく、化学現象によるものであって、放射線量も限定的なものだ、と述べた[306]

しかし3月15日、天野事務局長は、日本政府からの詳細な情報提供が滞っているため国際原子力機関の対応が限定されてしまうと述べた[307]。その証左として、国際原子力機関が報道機関にも後れをとっていることを明かし、日本政府の対応の遅れに不満を示したうえで迅速で詳細な情報の提供を求めた[308]。国際原子力機関の加盟国からも情報提供の遅れに批判が集中している[309]。一方、国際原子力機関は独自に行動を開始し、天野事務局長は日本の地方自治体に配置されているものよりも高精度の国際的放射性物質監視網を持つ包括的核実験禁止条約機構 (CTBTO) のティボル・トット事務局長と接見し、放射性物質監視態勢を築く意向を示し、世界保健機関 (WHO) 、世界気象機関 (WMO) 、国際連合食糧農業機関 (FAO) などとも情報共有する方針も示した[310]

また、3月16日の記者会見で事故の状況は非常に深刻と強調して述べ、17日にも訪日して第1次情報を直接収集することを明らかにした[309]

3月30日、IAEAのフローリー事務次長はウィーンの本部で記者会見し、事故を起こした福島第一原発の北西約40 kmにあり、避難地域に指定されていなかった福島県飯舘村について、高い濃度の放射性物質が検出されたとして、住民に避難を勧告するよう日本政府に促した[311]

3月31日、IAEAの勧告に対し、枝野官房長官は「直ちにそうしたもの(状況)ではない」「長期間そうした土壌の地域にいると、その蓄積で健康被害の可能性が生じる性質のものなので、しっかり把握し対処していかなければならない」と否定的見解を述べた[312]。また、経済産業省原子力安全・保安院も独自に試算した数値を公表し、「避難の必要はない」とIAEAの勧告を明確に否定した[313](その後の4月になって、政府は、福島県飯舘村などを計画的避難地域に指定した[314][315]。)

2015年8月31日、国際原子力機関は2012年から世界40か国以上の専門家ら約180人が検証した事故の最終報告書を発表した。報告書は、日本では原発は絶対安全であるとの思い込みがあったことにより大事故につながったと批判し、各国に安全第一の文化をもつ重要性を強調している。日本の電力事業者間ではこの規模の事故はあり得ないとの思い込みがはびこり、政府規制当局も疑問を持たなかったなど問題点を列挙した。長時間にわたり電力供給が停止することなどを想定外としていたことが事故の主な要因と挙げている。規制当局の責任と権限も不明確でこれも弱点となった。 原子力規制委員会が設けられ改革が行われ緊急事態への備えの強化などの評価をしている[316]

注釈

  1. ^ 倒壊した鉄塔は、福島第一原発山側の、夜ノ森線第27号鉄塔である。
  2. ^ 1日のうち屋内に16時間、屋外に8時間いると仮定し、屋内(木造家屋)での線量は屋外の40%になると考えた場合
  3. ^ a b 原典では、「集中RW」で「集中環境施設」・「集中廃棄物処理建屋」とされることがある。
  4. ^ 大津波による敷地や施設の冠水については特に大きな問題とはしていない。

出典

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  316. ^ 読売新聞2015年9月1日夕刊3版12面

参考文献

鈴木達治郎佐藤一男近藤駿介班目春樹松浦祥次郎畑村洋太郎の証言を基にした記事

関連資料

関連項目

外部リンク

日付においては、年が2011年であるときは、年の記述を省略している。

政府・各省庁の報道発表
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用語集
図面
  • 全体系構成概要図 (PDF) - 福島第一原発で採用されている沸騰水型軽水炉 (BWR) と構造が近い改良型沸騰水型軽水炉 (ABWR) の構成。本原発と共通の用語が多い。
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