福島ユナイテッドFC
福島ユナイテッドFC | |
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原語表記 | 福島ユナイテッドフットボールクラブ |
呼称 | 福島ユナイテッドFC |
クラブカラー | 赤[1]、 黒[1]、 黄[1] |
創設年 | 2002年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J3 |
ホームタウン | 福島市を中心とする福島県全県[1] |
ホームスタジアム | とうほう・みんなのスタジアム[1] |
収容人数 | 21,000[1] |
運営法人 | 株式会社AC福島ユナイテッド[1] |
代表者 | 鈴木勇人[1] |
監督 | 栗原圭介 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
960-0201 福島県福島市飯坂町字筑前7-1[1] |
設立 | 2011年2月1日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 2380001020214 |
事業内容 | サッカークラブの運営他 |
代表者 | 鈴木勇人 |
資本金 | 3,900万円[3] |
売上高 | 3億1,100万円(2015年1月期)[3] |
営業利益 | 100万円 (2015年1月期)[3] |
経常利益 | 200万円 (2015年1月期)[3] |
純利益 | 100万円 (2015年1月期)[3] |
純資産 | 4,000万円 (2015年1月期)[3] |
総資産 | 6,900万円 (2015年1月期)[3] |
決算期 | 1月期 |
関係する人物 | 横田篤 |
外部リンク |
fufc |
特記事項:2011年2月、株式会社フクシマスポーツマネジメントより営業譲渡。 |
福島ユナイテッドFC(ふくしまユナイテッドエフシー、Fukushima United Football Club)は、日本の福島市を中心とする福島県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサッカークラブ。登録チーム名は福島ユナイテッドフットボールクラブである。
概要
クラブ名のユナイテッド(UNITED)は「結ばれた、団結した、統一した」の意味に由来し、チーム・選手・スタッフ・サポーター、そして福島がひとつになって福島の発展・活性化のために活動していくことを表現している[1]。運営会社は株式会社AC福島ユナイテッドである。また、ホームスタジアムはとうほう・みんなのスタジアム、練習グラウンドは福島市十六沼公園サッカー場およびあづま総合運動公園補助陸上競技場である(詳細は#スタジアムを参照)[1]。
エンブレムは、チームの力強さと、クラブ・サポーター・市民が"ひとつ"になって夢を叶え、そして戦っていくイメージを表現。盾の形の中に、「未来に続いていくクラブの活動」を象徴するフェニックスが「チャンピオンの証」である王冠を被り、中央に福島県の地図が描かれたボールを持っている。
歴史
この節の加筆が望まれています。 |
前史
- 2002年4月に、地元ラジオ局・ふくしまFMのアナウンサーだった横田篤がJリーグを目指す団体として「福島夢集団」を創設[1]。2003年9月に特定非営利活動法人(NPO法人)ふくしまスポーツクラブに改称したが横田は内部対立により同法人を退会し、2004年に「福島夢集団JUNKERS(ユンカース)」を設立した(2005年5月に「福島夢集団」はNPO法人化)。なおふくしまスポーツクラブは2004年にアビラーション、その後はビアンコーネ福島と提携してJリーグを目指したが失敗に終わっている。
福島県社会人リーグ時代
- 2005年
- 福島県社会人サッカーリーグ3部(西ブロック)に参入し、そのシーズン優勝。福島県リーグ2部に昇格。この年、サッカーのユースチームを結成。また、2005年4月には9人制バレーボールチーム(廃部した福島銀行女子バレー部の受け皿となった)も発足したが現在は活動していない。
- 2006年
- 12月に東北社会人サッカーリーグ2部・FCペラーダ福島(1977年創設)の譲渡を受けて、FCペラーダ福島をトップチーム、ユンカースをサテライトチームとした。また、同時期に新チーム名を募集し、2007年シーズンよりユンカース、ジュニアユース、ユース、バレーボールチーム、FCペラーダ福島も新名称に変更する予定であったが、諸事情により全てのチームの名称変更を2008年シーズンに先延ばしすることとなった。
東北社会人サッカーリーグ時代
- 2007年
- 東北社会人サッカーリーグ2部南ブロックに昇格[1]。1月にホームタウンである福島市の支援も得られたためJリーグ準加盟申請を行うが、経営面の不安から準加盟は認められなかった。2月に福島市出身で元湘南ベルマーレの時崎悠が選手兼監督に就任した。
- 2008年
- クラブ名を「福島ユナイテッドFC」に改称。2月に運営法人として「 株式会社フクシマスポーツマネジメント」を設立。東北社会人リーグ2部南ブロックで全勝優勝したのち、2部北を制した盛岡ゼブラを下して東北リーグ2部優勝を決め、1部昇格を決めた。またユンカースはチーム名を「FCシャイネン福島」に変更し独立した。
- 2009年
- 東北リーグ1部はグルージャ盛岡と得失点1点差の2位。第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会の2回戦でC大阪に勝利を収めた(3回戦は横浜FMに敗北)。
- 2010年
- 8月10日に「福島ユナイテッドFC緊急事態宣言」として以下の内容がリリースされた。
- 今シーズンの運営において約1,000万円の資金が不足し、10月頃に資金ショートのおそれがある。
- JFL昇格を見据えての運営組織・スタッフの財源の確保。
- 東北リーグ1部はG盛岡に次ぐ2位の成績。第46回全国社会人サッカー選手権大会でベスト4に入って第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会出場権を獲得したが、地域決勝大会は1次リーグで敗退。
- 2011年
- 2月、福島県財界が中心となって新しい運営会社となる株式会社AC福島ユナイテッドが設立された(なお、旧運営会社の株式会社フクシマスポーツマネジメントおよび同社代表の横田篤は共に6月に福島地方裁判所より破産手続きの開始決定を受けた[4])。
- 3月、東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の放射線の不安から多くの選手が退団した。選手が少なくなったためコーチに専任していた金基洙、栁原裕の2人が現役に復帰した。また福島県内での試合が禁止されるが他県でホームの試合を開催する事を条件に[注 1]東北リーグの参加を認められた(2011年の東北リーグに参加した福島県内のチームは福島ユナイテッドのみ)。
- 東北リーグ1部は開幕から10連勝を挙げて初優勝を果たしたが、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次ラウンドで敗退。また、この年の観客動員数は上記の震災の影響で1試合の平均観客数は前年の約1/5、2008年のクラブ改名後最低の数字に終わった。
- 2012年
- 東北リーグ1部で優勝。第48回全国社会人サッカー選手権大会および第36回全国地域サッカーリーグ決勝大会でいずれも準優勝の成績を収めた。12月16日、日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFL入会が承認された[6]。
- 天皇杯は、2回戦でJ2のヴァンフォーレ甲府、3回戦でJ1のアルビレックス新潟に勝利し、4回戦でJ2のジェフユナイテッド千葉に敗れたものの、都道府県代表として1回戦から出場したクラブ中唯一Jクラブを2チーム破ってのベスト16入りを果たした。
JFL時代
- 2013年
- 湘南ベルマーレとの業務提携を結んだ(詳細・湘南ベルマーレ「Jリーグ他クラブとの提携」項参照)[7]。9月にJリーグ準加盟が承認された。11月19日、日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[2]。
J3
- 2014年
- クラブスローガン :「蹴福万来」
新監督に栗原圭介が就任。
リーグ戦は7位。天皇杯は1回戦で関西リーグ・奈良クラブに敗れた。
- 2015年
- クラブスローガン :「Link ~FUFC BURNING 2015~」
栗原体制2年目。
リーグ戦は7位。天皇杯は1回戦で同じJ3の秋田に敗れた。
シーズン終了後、大原卓丈が引退、横野純貴が退団、星雄次が山口、齋藤恵太が熊本へ移籍、田村翔太、安東輝がレンタル移籍期間満了で湘南へ復帰した。
- 2016年
- クラブスローガン :「Link ~PRIDE OF FUKUSHIMA~」
栗原体制3年目。
補強は、横浜FCからいわき市出身の渡辺匠、清水から昨年相模原に在籍していた樋口寛規を完全移籍で、新潟から酒井高聖を期限付き移籍で獲得。蓮沼翔太が新加入、昨年レンタル移籍だったロドリゴが完全移籍で加入した。
さらに2月にはサウルコス福井から梅井大輝を完全移籍で、札幌からパウロンをレンタル移籍で獲得した。
チーム成績・歴代監督
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
2005 | 福島県3部西 | 優勝 | 28 | 10 | 9 | 1 | 0 | 26 | 4 | +22 | 県予選敗退 | 今井敏明 |
2006 | 福島県2部 | 2位 | 24 | 10 | 8 | 0 | 2 | 33 | 12 | +21 | 小原一典 | |
2007 | 東北2部南 | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | 83 | 7 | +76 | 時崎悠 | |
2008 | 優勝 | 42 | 14 | 14 | 0 | 0 | 76 | 8 | +68 | 1回戦敗退 | 齋藤誠 / 時崎悠 | |
2009 | 東北1部 | 2位 | 36 | 14 | 11 | 3 | 0 | 51 | 8 | +43 | 3回戦敗退 | 石田学 |
2010 | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | 46 | 9 | +37 | 1回戦敗退 | 手塚聡 | |
2011 | 優勝 | 33 | 12 | 11 | 0 | 1 | 53 | 6 | +47 | 2回戦敗退 | ||
2012 | 優勝 | 33 | 12 | 11 | 0 | 1 | 61 | 6 | +55 | 4回戦敗退 | 時崎悠 | |
2013 | JFL | 14位 | 34 | 34 | 8 | 6 | 16 | 33 | 40 | -7 | 2回戦敗退 | |
2014 | J3 | 7位 | 36 | 33 | 9 | 9 | 15 | 30 | 38 | -8 | 1回戦敗退 | 栗原圭介 |
2015 | 7位 | 49 | 36 | 13 | 10 | 13 | 42 | 48 | -6 | 1回戦敗退 | ||
2016 | 位 |
通算対戦成績
スタジアム
ホームスタジアムはとうほう・みんなのスタジアム(旧称:福島県営あづま陸上競技場)[1]であるが、あいづ陸上競技場、いわきグリーンフィールドでも不定期にホームゲームを開催する。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは当項目を参照のこと。
年度別入場者数
- スタジアム欄の太字は、ホームスタジアムに登録されている競技場
- 入場者数の太字は、所属リーグ毎の歴代最多および最少
- 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム | |||||||
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入場者数 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 相手 | 会場 | |||||||||
2008 | 東北 | 3,072 | 512 | 6 | ||||||||||
2009 | 7,953 | 2,284 | 684 | 1,136 | 7 | |||||||||
2010 | 9,826 | 3,171 | 781 | 1,404 | 7 | |||||||||
2011 | 1,621 | 586 | 140 | 270 | 6 | |||||||||
2012 | 7,628 | 3,413 | 盛岡 | 福島 | 453 | 1,271 | 6 | |||||||
2013 | JFL | 17,464 | 2,195 | 町田 | 信夫ヶ丘 | 339 | ロック | 信夫ヶ丘 | 1,028 | 17 | 信夫ヶ丘11、あいづ2、鏡石2、 田村1、BMWス1 | |||
2014 | J3 | 23,769 | 4,163 | 相模原 | とうスタ | 504 | 鳥取 | とうスタ | 1,321 | 18 | とうスタ16、あいづ1、いわき1 | |||
2015 | 23,201 | 3,207 | 鳥取 | 692 | J-22 | 1,289 | 19 | とうスタ17、あいづ1、BMWス1 | ||||||
2016 | とうスタ |
- 2013年のJFL第7節(ホンダロックSC戦)は、4月21日に郡山市営西部サッカー場での開催予定であったが降雪のため開催中止となり、5月22日に信夫ヶ丘に会場を変更して開催した。
- 2013年のJFL第18節(佐川印刷戦)は、東日本大震災により福島県外へ避難している福島県民をホームゲームへ招待して交流を図ることや風評による影響を受けている福島県内の観光や物産をPRすることなどを目的として、信夫ヶ丘からShonan BMWスタジアム平塚に会場を変更して開催した[8]。
- とうスタ - とうほう・みんなのスタジアム
- 福島 - 福島県営あづま陸上競技場
- 信夫ヶ丘 - 福島市信夫ヶ丘競技場
タイトル
リーグ戦
- 東北社会人サッカーリーグ1部:2回
- 2011年、2012年
- 東北社会人サッカーリーグ2部 決勝大会:1回
- 2008年
- 東北社会人サッカーリーグ2部 南リーグ:1回
- 2008年
カップ戦他
- 東日本社会人サッカー大会:1回
- 2012年
- 全国社会人サッカー選手権大会東北大会:4回
- 2009年、2010年、2011年、2012年
- 福島県サッカー選手権大会(兼 天皇杯全日本サッカー選手権福島県代表決定戦):8回
- 2008年-2015年
ユニフォーム
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チームカラー
- 赤(ユナイテッドレッド)
- 黒(ユナイテッドブラック)
- 黄(ユナイテッドイエロー)
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 東邦銀行 | TOHO BANK | 2015年 - | 2009年はパンツ (「東邦銀行」表記)、 2010年 - 2013年は袖、 2014年は背中 (「TOHO」表記) |
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背中上部 | プロスペクト | Prospect | 2016年 - | |
背中下部 | なし | |||
袖 | 福島民報 | 福島民報 | 2014年 - | |
パンツ | 福島トヨタ自動車 | 福島トヨタ | 2013年 - |
練習用
- JA共済
- 福島医療専門学校
- 亀谷建設
- ARCクリニック
- ソーラーポスト
移動着
- JA全農福島
ユニフォームサプライヤー
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2004 | THANKS New Value and High Quality(1st) サンクスホーム(2nd) |
- | 解禁前 | - | - | hummel |
2005 | ||||||
2006 | ||||||
2007 | jose.jp | |||||
2008 | サンクスホーム | JOGADOR | - | A-LINE | ||
2009 | - / 福島牛 |
- / ふくしま中心街区 ぶらっとWebTV blattotv.com |
- / JA全農福島 |
- / 東邦銀行 | ||
2010 | - | JA全農福島 | TOHO | HYPER Gaja | ||
2011 | hunmel | |||||
2012 | united sports foundation | |||||
2013 | - / AIRE |
- | 福島トヨタ | |||
2014 | AIRE | TOHO | 福島民報 | |||
2015 | TOHO BANK | MUSEE PLATINUM | ||||
2016 | Prospect | - |
下部組織
- 福島ユナイテッドFC U-15
- 福島ユナイテッドFC U-12
脚注
- ^ 実際には最終節のみ喜多方市の押切川公園スポーツ広場で開催した[5]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “プロフィール:福島ユナイテッドFC”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年10月29日閲覧。
- ^ a b "Jリーグ入会審査(J2およびJ3)結果について" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 2013-11-19. 2014-2-1閲覧。
{{cite press release2}}
:|accessdate=
の日付が不正です。 (説明) - ^ a b c d e f g “2014年度(平成26年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年10月29日閲覧。
- ^ 「 平成23年(フ)第88号 」 官報、2011年6月22日、2014年3月28日閲覧
- ^ “東北サッカーリーグ2011 -公式記録- 【1部】”. 東北社会人サッカーリーグ公式サイト. 2012年11月19日閲覧。
- ^ "日本フットボールリーグ 新入会チームにつきまして" (Press release). 日本フットボールリーグ. 2012-12-5. 2014-3-28閲覧。
{{cite press release2}}
:|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ "湘南ベルマーレ・福島ユナイテッドFC 提携会見" (Press release). 湘南ベルマーレ. 2014年3月28日閲覧。
- ^ "福島ユナイテッドFCのホームゲームを湘南のホームで開催!" (Press release). 湘南ベルマーレ. 2014年3月28日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 福島ユナイテッドFC【公式】 (@fufc_staff) - X(旧Twitter)
- 福島ユナイテッド FC (fufc.jp) - Facebook
- 福島ユナイテッドFC オフィシャル (@fukushimaunited_fc) - Instagram
- ふくしまチャンネル【2ch:ふくしま大好き!福島ユナイテッドFC】 - 福島市公式ユーチューブ