福岡内妻一家4人殺害事件

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福岡内妻一家4人殺害事件(ふくおかないさいいっか4にんさつがいじけん)とは、1976年(昭和51年)、福岡県飯塚市において一家4人が殺害された事件である。

事件の概要[編集]

1976年昭和51年)6月13日の未明から翌日の早朝にかけて、飯塚市の民家にA(当時34歳)が侵入、民家に住む夫(当時46歳)と妻(当時44歳)が一階の寝室で出刃包丁で刺殺され、二階で就寝していた長女(当時20歳)と夫の母(当時73歳)も刺殺された。二階で就寝していて難を逃れた妻の妹B(当時40歳)は派出所に駆け込んで助けを求めた。

Bによると一家殺害犯人Aとは1973年に知り合い、当時は内縁関係にあり一時は正式に結婚する話も出ていた。しかしAが経歴を偽っていたことや、ギャンブルで多額の負債を負っていたことから、Bの姉夫婦に別れるよういわれるようになっていた。それを逆恨みにしたAがBの姉一家皆殺しを図ったというものであった。Aはスピード逮捕された。

その後[編集]

Aは起訴され一審の福岡地裁飯塚支部は1985年5月31日死刑を言い渡した。しかしAは一審途中から4人のうち姉を除く3人は内妻Bによる犯行と主張した。このAの「一部冤罪説」に対し推理作家島田荘司が支援しており、Aの事を書いたノンフィクションを出版したことがある。しかし裁判所はこの「共犯説」を否定、A単独犯と認定し、1997年9月11日最高裁第1小法廷上告棄却、死刑が確定した。2021年現在、Aは福岡拘置所収監されているが、現在もAは「殺害したのは一人で、三人を殺害したのはBだ」と主張し再審請求している[1]。 

脚注[編集]

  1. ^ AとBの共犯が認められれば、共犯者であるAが公判中であった期間が21年、殺人罪公訴時効が15年なので、公訴時効の成立が事件発生から36年後の2012年頃となり、2010年4月27日に『人を死亡させた罪であつて死刑に当たる罪』の公訴時効が廃止、及び同罪の公訴時効が成立していない事件の公訴時効が廃止されたため、無期限にBを殺人罪で起訴することは可能である。

参考文献[編集]

関連項目[編集]