神功開宝

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神功開宝(東京国立博物館所蔵)

神功開宝神功開寳、じんぐうかいほう/じんこうかいほう)は、765年天平神護元年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である(『続日本紀』)。皇朝十二銭のひとつ。

直径24mmから25mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で神功開寳と表記されている(「功」の字のつくりが「力」ではなく「刀」になっているものがある)。裏は無紋である。量目(重量)3gから4g程度の青銅鋳造貨である。

万年通宝に替わる通貨として発行され、万年通宝と等価で併用された。779年宝亀10年)に、それまで万年通宝、神功開宝の10分の1の価値とされていた和同開珎も同一価を持つものとされた。

万年通宝が藤原仲麻呂によって推進された政策であったことから、神功開宝の発行には仲麻呂を倒して政権を握った称徳天皇道鏡の意向が関与をしたとの説もある[1]

なお、この神功開宝は、最北で北海道知床半島チャシコツ岬上遺跡斜里町)でも出土している[2]9世紀の地層から出土しており、皇朝十二銭自体は、北海道内での出土事例は他にもあるが、オホーツク文化圏の遺跡からの出土は初であり、擦文文化経由とみられ、遠隔地との交易できるステータスを示す威信財として使われた可能性が示唆されている[3]

脚注[編集]

  1. ^ 森明彦「奈良時代末期の銭貨をめぐる矛盾と対策」『日本古代貨幣制度史の研究』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1283-6
  2. ^ "知床で奈良期の銅銭出土 -国内最北、近畿と交流か-"(共同通信、2016年11月16日記事)。
    "知床で奈良期の銅銭「神功開宝」出土 オホーツクと近畿交流か"(北海道新聞、2016年11月16日記事)。
  3. ^ 朝日新聞2016年11月16日水曜付、記事・宮永敏明