砧村

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きぬたむら
砧村
廃止日 1936年10月1日
廃止理由 編入合併
砧村千歳村東京市
現在の自治体 世田谷区
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京府
北多摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 9,866
国勢調査[1]、1935年10月1日)
隣接自治体東京府
東京市世田谷区
北多摩郡千歳村、神代村狛江村
神奈川県
橘樹郡高津町稲田町
砧村役場
所在地 東京府北多摩郡砧村大字喜多見字下野田2,730番地の2[2]
座標 北緯35度37分53秒 東経139度36分16秒 / 北緯35.631389度 東経139.604444度 / 35.631389; 139.604444座標: 北緯35度37分53秒 東経139度36分16秒 / 北緯35.631389度 東経139.604444度 / 35.631389; 139.604444
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砧村(きぬたむら)は、神奈川県、次いで東京府北多摩郡にかつて存在したである。現在の東京都世田谷区の西部に位置していた。現在の砧地域南部にあたる。

地理

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、喜多見村、大蔵村、宇奈根村、岡本村、鎌田村が合併し、神奈川県北多摩郡砧村が成立。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 東京府へ移管。
  • 1912年(明治45年) - 神奈川県橘樹郡高津村(現川崎市高津区)との間の境界が多摩川上になるよう変更。これに伴い多摩川南岸に当たる大字宇奈根の一部および大字大蔵の一部は高津村に編入される。高津村からは多摩川北岸に当たる大字久地の一部および大字諏訪河原の飛地が砧村に編入され、それぞれ大字久地、大字諏訪となる。
  • 1936年昭和11年)10月1日 - 東京市に編入。世田谷区の一部となる。

人口

国勢調査人口

地域

教育

交通

鉄道路線

地名

大字

東京市編入直前の大字を以下に列挙する。

大字名は東京市監査局都市計画課編纂・発行、『東京市域拡張史 千歳村・砧村編入』、1937年5月6日、245頁による。東京市編入に当たり、「砧村大字××」は「東京市世田谷区××町」に変更された。後の住居表示実施により、当時の大字界と2010年現在の町界とは一致しなくなっているが、カッコ内に現在のおおよその町名を示す。

  • 喜多見(現喜多見
  • 喜多見成城〈大字喜多見より分離〉(最北部を除く成城
  • 宇奈根(現宇奈根
  • 大蔵(現大蔵鎌田
  • 岡本(現岡本および砧公園の大部分)
  • 鎌田(当時の大字大蔵の中に点在し、現砧、大蔵、鎌田、玉川砧公園の各一部)
  • 久地〈1912年に神奈川県橘樹郡高津村大字久地の一部より編入〉(現鎌田一・二丁目の一部)
  • 諏訪河原〈1912年に神奈川県橘樹郡高津村大字諏訪河原の一部より編入〉(現鎌田一丁目の一部)

出身・ゆかりのある人物

  • 利光鶴松(衆議院議員、小田原急行鉄道、鬼怒川水力電気各社長)[4] - 砧村喜多見に居住した[4]
  • 広部清一郎(広部鉱業社長、玉川農園経営主) - 砧村鎌田に居住した。

脚注

  1. ^ a b c d e 東京市監査局都市計画課編纂・発行、『東京市域拡張史 千歳村・砧村編入』、1937年5月6日、3頁
  2. ^ 「砧村役場(世田谷區喜多見町字下野田二、七三〇番地ノ二所在)」(東京市監査局都市計画課編纂、239頁より)
  3. ^ a b c 東京都公文書館、「35区の人口 1908年〜1945年 (PDF) 」、4頁
  4. ^ a b 『人事興信録 第9版』ト14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月2日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。