石岡市立中央図書館
石岡市立中央図書館 Ishioka Public Library | |
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施設情報 | |
正式名称 | 石岡市立中央図書館 |
前身 |
石岡書籍館 石岡図書館 石岡町立図書館 石岡市立図書館 |
専門分野 | 総合 |
事業主体 | 石岡市 |
管理運営 | 石岡市教育委員会 |
開館 | 1889年(明治22年)9月9日 |
所在地 |
〒315-0017 茨城県石岡市若宮一丁目6番31号 |
位置 | 北緯36度11分35.9秒 東経140度16分17.9秒 / 北緯36.193306度 東経140.271639度座標: 北緯36度11分35.9秒 東経140度16分17.9秒 / 北緯36.193306度 東経140.271639度 |
ISIL | JP-1000453 |
統計情報 | |
蔵書数 | 181,267冊[1](2009年3月31日時点) |
公式サイト | http://lib.city.ishioka.lg.jp/ |
地図 | |
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館 |
石岡市立中央図書館(いしおかしりつちゅうおうとしょかん)は、茨城県石岡市にある公立図書館。
1889年(明治22年)に開館した私立図書館を起源とする、茨城県では最も長い歴史を持つ図書館である[2]。また、石岡市立中央図書館の前身よりも早く私立図書館として設立され、公立図書館として現存するのは日本で2館だけである[3]。
概要
図書館は鉄筋コンクリート地上3階建である[4]。敷地面積は1,134m2、建築面積は658m2、延床面積は1,521m2[5]。
- オーディオ・ビジュアル資料数 - 3,952点(2009年3月31日現在)[1]
- 館内[5]
階 | 設備 |
3階 | 読書室・郷土資料室・会議室 (通常は閉鎖) |
2階 | 一般書架・ヤングアダルトコーナー |
1階 | 一般書架・児童書架・書庫・事務室 |
利用案内
- 貸出制限 - 石岡市に居住・通勤する者及び小美玉市・笠間市・かすみがうら市・土浦市に居住する者
- 貸出可能点数 - 図書8冊、CD・DVD2点、紙芝居2点、雑誌2冊
- 返却場所 - 中央図書館カウンター、中央図書館返却ポスト
- 開館時間 - 10時〜18時(ただし、2012年2月現在は9時〜17時に変更されている[6]。)
- 休館日 - 月曜日(月曜日が祝日の場合、その翌日も休館)、祝日、年末年始、毎月最終木曜日、特別整理期間
歴史
1889年(明治22年)9月9日に、常陸府中藩の藩士の息子で石岡尋常高等小学校(現在の石岡市立石岡小学校)の2代校長であった手塚正太郎が、校長室の一角に石岡書籍館(いしおかしょじゃくかん)として設立した[7]。この図書館は手塚の私設図書館であり[8]、茨城県初の図書館でもあった[2](茨城県立図書館よりも14年早い開館であった[9])。「図書館」ではなく「書籍館」の名を採用したのは、1872年(明治5年)に開館した書籍館(後の帝国図書館、現在の国際子ども図書館)にちなんだと茨城県立歴史館の櫻井明は推測している[2]。
開館後、時期は不明であるが、石岡図書館に改称している[2]。1898年(明治31年)発行の『茨城県学事第二年報』では、「石岡図書館」の名で茨城県唯一の図書館として掲載され、当時は和漢書2,306冊、洋書32冊、年間268日開館し、535人の閲覧人があった[2]。1901年(明治34年)に平野松次郎が編集した『石岡繁盛記』では以下のように述べ、石岡図書館を褒め称えている[10]。
この種の設備あるは実に該町士民の気慨を卜するに足り、又嘉す可の美挙という可し — 平野松次郎 編『石岡繁盛記』
1923年(大正12年)になると町立への移管が議論され、2月に石岡町立図書館となる[11]。同年4月16日に石岡町議会に町立移管が上申され、5月22日に認められた[11]。当時の石岡町長が石岡書籍館創設に協力した石原彦兵衛、助役が手塚であり、学制発布50周年記念として町立移管を提案したのであった[12]。しかし、当時の石岡町役場職員はわずか9人しかおらず、図書館に専任職員を置くことはできず、職員俸給手当は0円であった[13]。その後1935年(昭和10年)頃には清凉寺内に移り、1940年代には石岡国民学校(現在の石岡市立石岡小学校)の職員室廊下に図書が保管される状態となった[14]。戦後はまず1946年(昭和21年)に1週間をかけて軍国主義的とされた図書を焼却処分し、1948年(昭和23年)5月には城中山入口の母子寮に移転したが、母子寮であったため、男性にとっては利用しづらくなった[14]。1952年(昭和27年)頃に石岡町役場の一角に移転し、1954年(昭和29年)2月11日に石岡町が市制を施行したのに伴い、石岡市立図書館に改称、石岡市公民館の一室に移転した[11]。
1955年(昭和30年)、長年の悲願であった専任の職員が1名配置され、1956年(昭和31年)11月には市立図書館が主催して第1回読書感想発表会を開くなど少しずつ事業が拡大していく[15]。1963年(昭和38年)8月には巡回文庫を始めるなど順調な運営であったが、1966年(昭和41年)10月に公民館が石岡市民会館建設のために取り壊されることになり、移転を余儀なくされる[16]。移転先は文部省から危険校舎として指摘され、使われなくなった石岡市立石岡小学校の5号館で、2室の普通教室を改造して開設された[17]。文化事業も活発化し、1972年(昭和47年)夏からは第二土曜日にレコードコンサートを開き、1973年(昭和48年)5月15日には第1回合同読書会を市民会館で開催した[18]。
1976年(昭和51年)3月、石岡市は石岡市総合計画を策定、初めて図書館として独立した建物の建設計画を示した[19]。そして市制施行25周年記念として図書館が建設され、1980年(昭和55年)4月17日に関係者170名が集まって竣工式が挙行された[20]。1989年(平成元年)、石岡書籍館開館から100年を迎え、同年11月4日から11月12日にかけて創立百周年記念事業が催された[19]。この頃には図書館を拠点に活動する団体は12に上った[21]。
2005年(平成17年)10月1日に石岡市が新治郡八郷町と合併し、新しい石岡市が発足したのに伴い、石岡市立中央図書館に改称された。
交通
周辺
- 常陸国分寺
- 石岡簡易裁判所
- 石岡市立石岡小学校
脚注
- ^ a b 茨城県立図書館"石岡市/茨城の図書館ガイド"(2012年2月7日閲覧。)
- ^ a b c d e 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):17ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):9ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):39ページ
- ^ a b 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):58ページ
- ^ 石岡市立中央図書館"(重要)開館時間変更を継続しています。"(2012年2月7日閲覧。)
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):3、4、22ページ
- ^ 石岡市史編さん委員会(1980)
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):18ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):20ページ
- ^ a b c 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):62ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):21ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):21、62ページ
- ^ a b 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):27、62ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):36、62ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):37、62ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):37ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):38 - 39ページ
- ^ a b 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):63ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):39ページ
- ^ 図書館百周年記念実行委員会 編(1989):8ページ
参考文献
- 石岡市史編さん委員会『石岡の近現代 年表』昭和55年3月31日
- 図書館百周年記念実行委員会 編『図書館百年』石岡市立図書館&小林二郎、1989年11月4日、64pp.