石原まき子
石原 まき子(いしはら まきこ、1933年7月23日 - )は、日本の芸能プロモーター。石原裕次郎の未亡人で、石原プロモーションの代表取締役会長・石原裕次郎記念館館長。旧姓は荒井。愛称は「マコ」。元女優で、北原 三枝(きたはら みえ)の名で活躍したことでも知られている。東京都出身。
来歴・人物
目黒区立第二中学校卒業後、NDT(日劇ダンシングチーム)に5期生として入団。1952年に退団後、松竹のニューフェイスに合格に入社。『カルメン純情す』で本格的なデビューを果たす。
1954年に、活動を再開した日活に引き抜かれる形で移籍。女優陣のエースとして活躍する。『狂った果実』で後に結婚する石原裕次郎と初共演後、日活のドル箱コンビとして23作もの共演作が製作された。
1960年に裕次郎と結婚し、女優業を引退した。引退後は、賢夫人として内助の功に徹し、石原プロの経営に関わっている。
夫の死後、88年に『裕さん、抱きしめたい』を出版した。
2015年6月22日、石原プロモーションはチャンネル銀河株式会社と業務提携契約を締結。それに伴い、同社代表取締役会長の石原まき子がチャンネル銀河株式会社名誉会長に、また、チャンネル銀河株式会社代表取締役社長の関本好則が石原プロモーション会長特命コンテンツアドバイザーに就任した[1]。
主な出演作
映画
- お茶漬の味(1952年)
- カルメン純情す(1952年)
- 流れの旅路(1952年)
- 君の名は 第二部(1953年)
- 東京マダムと大阪夫人(1953年)
- 新東京行進曲(1953年)
- 家族あわせ(1953年)
- 大学の龍虎(1953年)
- 初恋おぼこ娘(1953年)
- シミ抜き人生(1953年)
- 旅路(1953年)
- 青春ロマンスシート 青草に坐す(1954年)
- 若旦那と踊子(1954年)
- 腰抜け狂騒曲(1954年)
- えくぼ人生(1954年)
- 女人の館(1954年) 主演作
- 若き日の誘惑(1954年)
- 求婚三人娘(1954年)
- うちのおばあちゃん(1955年)
- 銀座二十四帖(1955年)
- 自分の穴の中で(1955年)
- 生きとし生けるもの(1955年)
- 愛のお荷物(1955年)
- 月は上りぬ(1955年)
- 次郎長外伝 秋葉の火祭り(1955年)
- 銀座の女(1955年)
- 緑はるかに(1955年)
- おしゅん捕物帖 謎の尼御殿(1955年)
- 青春怪談(1955年) 主演作
- 次郎長遊侠伝 天城鴉(1955年)
- 風船(1956年)
- 夏の嵐(1956年) 主演作
- 流離の岸(1956年) 主演作
- 狂った果実(1956年)
- 朝やけ血戦場(1956年)
- ドラムと恋と夢(1956年)
- 若の花物語 土俵の鬼(1956年)
- 逆光線(1956年) 主演作
- 火の鳥(1956年)
- 感傷夫人(1956年)
- 色ざんげ(1956年)
- 勝利者(1957年)
- 俺は待ってるぜ(1957年)
- 嵐を呼ぶ男(1957年)
- 今日のいのち(1957年)
- 危険な関係(1957年)
- 風速40米(1958年)
- 明日は明日の風が吹く(1958年)
- 嵐の中を突っ走れ(1958年)
- 陽のあたる坂道(1958年)
- 素晴しき男性(1958年)
- 赤い波止場(1958年)
- 錆びたナイフ(1958年)
- 天と地を駈ける男(1959年)
- 山と谷と雲(1959年)
- 今日に生きる(1959年)
- 風のある道(1959年)
- 若い川の流れ(1959年)
- 男が爆発する(1959年)
- 清水の暴れん坊(1959年)
- 闘牛に賭ける男(1960年)
- 白銀城の対決(1960年)
- 天下を取る(1960年)
- 青年の樹(1960年)
- やくざ先生(1960年)
- 鉄火場の風(1960年)
テレビドラマ
- あしたの虹(1964年)
ドキュメンタリー
- 石原裕次郎生誕80年記念番組 まき子夫人わが心の裕さん〜裕次郎こころの居場所〜(2014年3月7日、BS-TBS)
著書
- 『死をみるとき 裕さんが書き遺したもの』(2013年、青志社)
演じた俳優
脚注
- ^ “石原プロモーション代表取締役会長・石原まき子氏、チャンネル銀河の名誉会長に就任”. チャンネル銀河「銀河ニュース」 (2015年6月22日). 2015年6月24日閲覧。