石井清子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いしい きよこ
石井 清子
生年月日 1935年
出生地 日本の旗 日本東京都
国籍 日本
職業 編集技師
ジャンル 映画
活動期間 1958年 -
テンプレートを表示

石井 清子(いしい きよこ[1]1935年昭和10年〉[2][1] - )は日本映画編集技師東京都出身[2][1]

経歴[編集]

1958年5月に東宝の特殊技術課に3ヶ月契約で入社[1]。新聞の特集を見てスクリプターに憧れていたが[2][3]、スクリプターになるには編集を学ばねばならず[2]円谷英二から「君は編集が似合う」と言われ編集技師としての道を選んだ[1]1967年に退職[2]。その後は、日活のテレビ作品や大阪万博用の作品などを手掛けた[2]

人物・エピソード[編集]

映画『宇宙大戦争』で編集助手を務めた際に、石井のミスで1カットダビングできず、円谷英二に怒鳴られ、周囲からも冷ややかな目で見られたことが合った[2]。しかし、実際には石井の担当した箇所ではなかったが石井は言い訳をせず、後に円谷から詫びとして芝居の券をもらったという[2]

円谷がタバコを吸って灰が落ちそうになった際は、石井が灰皿を出していたといい、助監督であった中野昭慶は名人芸であったと評している[2]。一方、後年では、糖尿病を患っていた円谷が、天ぷら蕎麦を食したり、タバコを1カートン吸っていたところなどを目の当たりにしながら、それらをセーブさせなかったことを後悔しているという[2]

代表作[編集]

公開年月日 作品名 制作(配給)
1958年6月24日 美女と液体人間[1] 東宝
1958年10月14日 大怪獣バラン
1959年7月5日 潜水艦イ-57降伏せず
1959年10月25日 日本誕生
1960年4月10日 電送人間
1960年4月26日 ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
1960年12月11日 ガス人間第一号
1961年7月30日 モスラ
1961年10月8日 世界大戦争
1962年3月21日 妖星ゴラス
1962年8月11日 キングコング対ゴジラ
1963年1月3日 太平洋の翼
1963年5月29日 青島要塞爆撃命令
1963年8月11日 マタンゴ
1963年12月22日 海底軍艦
1964年4月29日 モスラ対ゴジラ
1964年8月11日 宇宙大怪獣ドゴラ
1964年12月20日 三大怪獣 地球最大の決戦
1965年6月19日 太平洋奇跡の作戦 キスカ
1965年8月8日 フランケンシュタイン対地底怪獣 東宝
ベネディクト・プロ
(東宝)
1965年10月31日 大冒険 東宝
渡辺プロダクション
(東宝)
1965年12月19日 怪獣大戦争 東宝
1966年7月13日 ゼロ・ファイター 大空戦
1966年7月31日 フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 東宝
ベネディクト・プロ
(東宝)
1966年12月17日 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 東宝
1967年7月22日 キングコングの逆襲 東宝
ランキン・バス・プロダクション
(東宝)
1967年12月16日 怪獣島の決戦 ゴジラの息子[1] 東宝

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 東宝ゴジラ会 2010, p. 189, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW14 池田美千子、長岡久子、田村嘉男、船沢昌介、石井清子」
  2. ^ a b c d e f g h i j 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, pp. 155–165, 「ゴジラ40年記念座談会 回想の東宝特撮円谷組」
  3. ^ 東宝ゴジラ会 2010, pp. 190–198, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW14 池田美千子、長岡久子、田村嘉男、船沢昌介、石井清子」

参考文献[編集]

  • 『ゴジラVSメカゴジラ』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.8〉、1993年12月11日。ISBN 4-924609-45-5 
  • 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6