矢山有作

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矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 - )は、日本政治家。元衆議院議員参議院議員日本社会党中央執行委員教宣局長、衆議院石炭政策特別委員長を務めた。

来歴・人物

岡山県津山市に生まれる。1949年中央大学法学部卒業。会計検査院事務官となる。1951年に退職後、津山市議、岡山県議を経て[1]1962年第6回参議院議員通常選挙岡山県選挙区に出馬し、トップ当選。参議院社会労働委員長などを歴任し、2期務めた。その後1976年第34回衆議院議員総選挙黒田寿男の後継として出馬し、当選した。3年後の第35回選挙では次点で落選したが、翌年のハプニング解散による第36回選挙で復帰、2期務めた。1986年第38回選挙に落選し、そのまま引退した。社会党中央執行委員・教宣局長、衆議院石炭対策特別委員長なども歴任。

その後は市民運動家としてライフワークでもある日本原駐屯地問題をはじめ、国鉄労働問題や苫田ダム反対運動、平和問題、などに取り組み、9条を守る活動など護憲派として活躍中。過去には平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)代表世話人等も務めていた。

2011年統一地方選挙岡山県議会津山市・苫田郡選挙区に立候補し、100票余りで次点となった民主党の金田稔久とは双従兄にあたり、金田後援会親族会代表も務めている。

脚注

  1. ^ ここまでの経歴は、『昭和37年版 参議院要覧(丙)』(参議院事務局)P227の記載内容に基づく。