白銀坂
白銀坂(しらかねざか)は、鹿児島県姶良市脇元から鹿児島県鹿児島市牟礼岡まで伸びる石畳の坂道である。2006年7月28日に加治木町の龍門司坂とともに日本国の史跡に指定された。
概要
坂の歴史
坂のある山並みは古代から近世における薩摩国と大隅国の国境であり、戦国時代には島津貴久や島津義弘といった武将たちがこの坂に陣を構えていた。
江戸時代に入ると、白銀坂は鹿児島の主要街道である「大口筋(薩摩街道)」上の難所として、多くの人々に知られるようになった。 坂の全長は約4kmであったが、現在ではそのうちの約2.7kmが残っている、坂の高低差は300m以上あり、中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所もあり、急な坂道部分には石畳が敷くのとは対照的に、尾根上の平坦部分には石段を部分的に設けるのが坂の特徴である。
明治時代
明治6年(1873年)には現在の国道10号の基礎となる重富村(姶良町重富)から竜ヶ水地区経由で鹿児島市へ至る鹿児島湾(錦江湾)沿いのルートが開通し、さらに明治34年(1901年)、鹿児島駅 - 国分駅(現:隼人駅)間の鉄道開通によって白銀坂はその幹線としての人々の利用も少なくなり次第に忘れ去られ、長年の風水害により石畳も大変傷んでいた。
歴史国道選定へ
姶良町教育委員会は、歴史的に貴重なこの坂を保存しながら、歴史を追体験できる場所として活用できるようにと「歴史の道整備活用推進事業」を実施し、建設省(現:国土交通省)から平成7年(1995年)歴史上重要な幹線道路として利用された街道の中で、特に重要な歴史的・文化的価値をもつ道路として「歴史国道」に選定された。