白金台

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白金台
白金台交差点より外苑西通り(プラチナ通り)を望む
白金台交差点より外苑西通り(プラチナ通り)を望む
白金台の位置(東京23区内)
白金台
白金台
白金台の位置
北緯35度38分16.5秒 東経139度43分34.08秒 / 北緯35.637917度 東経139.7261333度 / 35.637917; 139.7261333
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 港区
地区 高輪地区
面積
 • 合計 1.00 km2
人口
2019年(令和元年)8月1日現在)[2]
 • 合計 11,883人
 • 密度 12,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
108-0071[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 品川
※座標は白金台駅付近[5]

白金台(しろかねだい)は、東京都港区にある地名。住居表示実施済み地区であり、現行行政地名は白金台一丁目から白金台五丁目。高輪地区総合支所管内に属する地域である。郵便番号は108-0071(高輪局管区)[3]

概要

東京都港区の西南端に位置し、西部で渋谷区恵比寿品川区上大崎東五反田に隣接し、東部で高輪に、北部で白金にそれぞれ接する。目黒通りと外苑西通り桜田通り国道1号)沿いには商店マンションが点在する。町内には、歴史的建造物が所在する明治学院がある。

武蔵野台地の東縁に所在する住宅地の一つであり、住宅地として好適な環境を持つ土地として知られてきたが、バブル景気後半頃より洒落たレストランやカフェ、ブティックが目立ち始め、それらに伴い高級マンションが建つようになり、近年は高所得の住民が増加している。いわゆる、高級住宅街として知られる。その一部の女性住民がマスコミにより「シロガネーゼ[6][7]として取り上げられた。

歴史的には、白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期には陸軍の火薬庫が一時置かれ、後に皇室財産(旧朝香宮邸)となっている。

俗に「しろがねだい」と読まれる場合があるが、町名の正しい読みは「しろかねだい」である。「白金 (東京都港区)#「白金」の読み」も参照。

歴史

沿革

  • 応永年間、南朝国司であった柳下上総介が当地を開墾、白金村を開く(白金村は武蔵国豊島郡荏原郡の境界線上にあったため長いこと所属が定まらず、江戸時代入会地とされた)。
  • 1651年慶安4年):現在の目黒通り沿いに形成された町屋が白金村より分離し、白金台町一丁目~十一丁目が成立する。
  • 1713年正徳3年):新たに町奉行支配となる。
  • 1867年慶応3年):外国人牛肉を供給していた中川嘉兵衛が、江戸荏原郡今里村(後の芝白金今里町、現在の白金台二丁目)に屠牛場(後の「東京共有屠牛場」)を設立。これが江戸・東京における最初の近代的屠場であった[8]芝浦屠場も参照。
  • 1868年明治元年):東京府成立に伴い、白金台町は東京府の所属となる。
  • 1869年(明治2年):白金台町六丁目に白金瑞聖寺門前を合併する。
  • 1873年(明治5年):白金台町一丁目~五丁目に瑞聖寺の敷地を合わせて新たに白金台町一丁目とし、白金台町六丁目~十一丁目に白金御料地を合わせて白金台町二丁目とした。
  • 1878年(明治11年):芝区の成立に伴い、東京府芝区白金台町となる。
  • 1887年(明治20年):東京府から私立明治学院の設置が認可され、白金今里町(現在の東京都港区白金台1-2-37)に開設される。
  • 1889年(明治22年):5月1日 東京市の成立に伴い、東京市芝区白金台町となる。
  • 1912年(明治45年):神田橋より白金火薬庫前(現:上大崎)まで東京市電が開通する。
  • 1947年昭和22年):芝区が赤坂区麻布区と合併し、新たに港区が成立する。それに伴い町名に「」の冠称がつき、港区芝白金台町となる。
  • 1967年(昭和42年)12月10日:白金台の都電が廃止される(5系統・目黒駅前~白金台町~永代橋)。
  • 1969年(昭和44年)1月1日住居表示実施。従来の芝白金台町に周辺の芝白金三光町・芝白金今里町・芝白金猿町・芝二本榎西町などを合わせて、現在の白金台(しろかねだい)成立。
  • 2000年平成12年)9月26日:地下鉄南北線三田線白金台駅が開業。

変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
白金台一丁目 1969年1月1日 芝白金台町一丁目、芝白金今里町
白金台二丁目 芝白金今里町、芝白金猿町、芝二本榎西町
白金台三丁目 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金今里町
白金台四丁目 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金三光町
白金台五丁目 芝白金台町二丁目、芝白金三光町

世帯数と人口

2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
白金台一丁目 492世帯 1,039人
白金台二丁目 1,551世帯 2,878人
白金台三丁目 1,995世帯 3,954人
白金台四丁目 1,217世帯 2,144人
白金台五丁目 1,056世帯 1,868人
6,311世帯 11,883人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

丁目 番地 小学校 中学校
白金台一丁目 全域 港区立白金小学校 港区立高松中学校
白金台二丁目 全域
白金台三丁目 全域
白金台四丁目 1〜5番
7~19番
その他 港区立白金の丘学園 港区立白金の丘学園
白金台五丁目 1~12番
その他 港区立白金小学校 港区立高松中学校

施設・名所

白金台一丁目

白金台二丁目

白金台三丁目

白金台四丁目

白金台五丁目

鉄道

道路

参考図書

  • 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行

脚注

  1. ^ 平成27年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年10月1日). 2019年9月8日閲覧。
  2. ^ a b 各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~平成31年・令和元年)”. 港区 (2019年8月1日). 2019年9月8日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧 publisher=総務省”. 2018年1月7日閲覧。
  5. ^ Google Earthより
  6. ^ 実際にはマスメディアがいうところの「シロガネーゼ」に当たるのはほんの一部の住民であった。しかしそのようにマスコミが仕掛け大々的に取り上げたこともあり、外苑西通りは別名プラチナ通りと呼ばれるようになり、通り沿いを中心にレストランカフェブティックなどが増え、次第に目黒通り沿いにも同様の光景が見受けられるようになった。その後、地価の急激な高騰と昨今の長期的不況により、店の入れ替わりがいっそう激しくなり、開店して1年も経たずに店が入れ替わるケースもある。
  7. ^ 旧白金台町は空襲の被害を受けなかったことや、長らく住宅街としての位置づけにあったこともあり、目黒通り周辺には近年まで戦前から残る家屋も並んでいた。しかし、地価の高騰や地下鉄開業、目黒通りの拡幅工事によって、地権者や建造物の入れ替わりが進み、他の東京の地区と同様にマンションやオフィスビルが多くを占めるようになっている。
  8. ^ 東京都中央卸売市場 食肉市場・芝浦と場ホームページ 東京食肉市場の歩み 参照。なお、すき焼き専門店今半の「今」は、明治初期に今里村にあったこの屠牛場から牛肉を仕入れていたことに由来する。
  9. ^ 港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). 2019年9月8日閲覧。

関連項目

外部リンク