番号付きインディアン条約

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番号付きインディアン条約(ばんごうつきインディアンじょうやく、英語:Numbered Treaties)は、1871年から1921年にかけて、カナダファースト・ネーション先住民族)と、カナダ国王であるイギリスヴィクトリア女王エドワード7世、もしくはジョージ5世とのあいだで調印された、一連の条約である。カナダはイギリスと同君連合であり、条約審議官が置き条約を批准する政策を作ったのはカナダ政府であり、これらの条約はカナダ政府と先住民族との条約である。

条約の及ぶ地域は、現在のアルバータ州ブリティッシュ・コロンビア州の一部、マニトバ州オンタリオ州サスカチュワン州、およびノースウエスト準州に相当する地域である。北アメリカにおけるいくつかの大英帝国植民地の連合体としてカナダ自治領が1867年に初めて形成されたとき、これらの地域のほとんどは、ルパート・ランドとノースウエスタン準州に属しており、ハドソン湾会社の管轄下にあった。

カナダ初代首相だったジョン・A・マクドナルドが抱いた「国家の夢」とは、カナダ太平洋鉄道等の大陸横断鉄道がつなぐ大西洋から太平洋に至るひとつの国家を完成させることであった。この夢を現実のものとするために、カナダ政府はルパート・ランドの南半分(現在の、アルバータ州、マニトバ州、サスカチュワン州)に入植をする必要があった。

ルパート・ランドとノースウェスタン準州(North-Western Territory)の行政は1869年にカナダ政府に移管された。これらの土地をもとに、カナダはノースウエスト準州を創設した。カナダ法は、この土地にヨーロッパ人よりも優先して先住民族が居住することを認めていた。土地をめぐる権利が先住民族に残っていれば、ノースウェスト準州への入植は不可能だった。それゆえ、先住民族から彼らの土地の権利を獲得することは、「国家の夢」にとって決定的に重要な問題であった。

番号付き条約

そうした土地の大半の権利を獲得するため、カナダ政府は一連の条約手続きを行った。それぞれの条約は、先住民族もしくはその条約に調印したファースト・ネーションの伝統的な領土と考えられた土地の区画に線引きをした(いわゆる「明け渡された区画」)。自分たちの土地に対する権利と権原を引き渡す代わりに、先住民族に対しては、保留地(リザーブ)としてそれよりも小さな区画の土地、毎年の年金の支払い、農耕、狩猟あるいは漁業のための手段、明け渡された区画において狩猟、ワナ猟と漁業を続ける権利が約束された

カナダ西部へのヨーロッパ人の入植計画は、紛争と無縁だったわけではなかった。この政策によって、1869年のレッドリバーの反乱と、1885年のノースウエスト反乱などの武装反乱が起こった。

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