JOHNNYS' ジュニア・スペシャル

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JOHNNYS' ジュニア・スペシャル
別名 ジュニア・スペシャル
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1974年 - 1978年
レーベル CBS・ソニー
事務所 ジャニーズ事務所
共同作業者 ジャニー喜多川
旧メンバー
  • 板野俊雄(トシちゃん)
  • 林正明(マーちゃん)
  • 畠山昌久(チャーリー)
  • 山縣孝良(タカ坊)
  • 井上純一(ジュン)

JOHNNYS' ジュニア・スペシャルは、1974年夏に「ジュニア・スペシャル」の名で結成され、ジャニーズ事務所に在籍していた男性アイドルグループ1970年代の中期に活躍。表記は「JOHNNY'S」ではなく「JOHNNYS'」(「ジャニーの」ではなく「ジャニーズの」の意)が正しい。愛称は頭文字を取って「JJS」。旧グループ名は「ジュニア・スペシャル」。後に「VIP」(後述)というグループとなった。

メンバー[編集]

脱退メンバー[編集]

(前身グループ「ジュニア・スペシャル」のみに参加したメンバー)

  • 山縣孝良 (愛称・タカ坊、1957年5月4日 - 、東京都出身)
    • 1972年11月、渋谷公会堂に『ロッテ歌のアルバム』を観覧しに行った際、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川によってスカウトされた。堀越高等学校卒業。
  • 井上純一 (愛称・ジュン、1958年8月14日 - 、東京都世田谷区出身)
    • 山縣孝良の脱退後に参加したが、すぐに同じく脱退。その後は、映画の主役デビューや、ソロレコードデビューなどの活躍をした。

概要[編集]

  • 1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア第1期生」が2つのグループに分割された。一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組の「ジュニア・スペシャル」(板野俊雄、林正明、山縣孝良)。もう一方はジャニーズ・ジュニアの名義のまま、郷ひろみのコンサートのバックを担当した(小坂まさる、畠山昌久、近藤純市、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫)。
  • 夏のコンサートを終えた同年9月、小坂と近藤が共にジャニーズ事務所からの脱退を宣言し、それまで住んでいたジャニーズの合宿所を退所する。その為、山縣がスペシャルから元のジャニーズ・ジュニアへ異動となり、同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられたが、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名もジャニーズ事務所を退所してしまい、エースはわずか一ヶ月で消滅した。
  • その後、ジュニア・スペシャルには井上純一が加入。すぐに続いて畠山昌久も加入して4人組になるが、井上が脱退し、最終的に「板野・林・畠山」という構成に落ち着いた。 一方、ジャニーズ事務所を辞めた6名のJr.はバーニングプロダクションへ移籍し、新グループ「メッツ」を結成してレコードデビューした。
  • 1975年2月21日、グループ名も正式に「ジュニア・スペシャル」から「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」となり、『ベルサイユのばら』でレコードデビュー。
  • 日本テレビ系の早朝子供番組『おはよう!こどもショー』にレギュラー出演。 「JJSの親子ゲームコーナー」というレギュラーコーナーを持ち、板野がレフェリー、林が紅組キャプテン、畠山が白組キャプテンの役だった。 また、番組内で歌も数曲披露しており、持ち歌には『パイの歌』、『らっぱっぱ』、『またですか?』、『ねずみ小僧次郎吉』などがあった。 同番組には、メリー喜多川の愛娘・藤島ジュリー景子も一緒に出演していた。
  • 1978年にはJOHNNYS' ジュニア・スペシャルとしてテレビ番組出演等はあったものの、新譜のリリースはなかった。その後同年7月、「VIP」(後述)として再デビューし、JOHNNYS' ジュニア・スペシャルとしての活動は終了した。

エピソード[編集]

  • 3人の中では林が一番人気があった。雑誌では、林と手塚さとみツーショット[要曖昧さ回避]対談なども行われている。また、『月刊明星』の1975年4月号では桜田淳子と共に表紙も飾った。
  • ファンによる親衛隊も多く誕生した。代表的なグループは「ガッツ」、「チーパー」など。「ガッツ」は最も大きいグループで、東京と大阪に存在した。また、ステージ用の応援コールも作られた(「J・U・N・I・O・R・ジュニア JJSファイト~!」など)。
  • 女優の大島さと子は、かつて林正明の追っかけをしていた。放送作家山田美保子も、大学時代はJJSの追っかけだった事実を自著で告白している。森公美子もファンであったことを公言している[2]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位 規格品番
CBS・ソニー
1 1975年
2月21日
A面 ベルサイユのばら 山口洋子 鈴木邦彦 馬飼野康二 12位 SOLB-215
B面 愛しのオスカル
2 1975年
5月2日
A面 愛のちかい 44位 SOLB-276
B面 白鳥
3 1975年
8月21日
A面 さよなら愛 穂口雄右 67位 SOLB-303
B面 恋はサフラン
4 1975年
12月5日
A面 ハートの夢 安井かずみ 井上忠夫 馬飼野康二 64位 SOLB-349
B面 感じる夕暮れ
5 1976年
2月21日
A面 愛の飛行船に乗って 山本寛太郎 あかのたちお 80位 SOLB-363
B面 新しい君を知るために
6 1976年
4月21日
A面 サタデー・ナイト 北公次 B.Martin
P.Coulter
宮本光雄 83位 SOLB-411
B面 J.J.Sのテーマ 石原信一 あかのたちお
7 1976年
7月21日
A面 サンデー・キューピット 伊藤アキラ 井上忠夫 田辺信一 圏外 06SH-36
B面 絵本の少女
8 1976年
10月21日
A面 太陽のあいつ 岩谷時子 いずみたく 06SH-77
B面 焔のカーブ 石原慎太郎 三保敬太郎
9 1976年
12月21日
A面 憧れのベイ・シティ・ローラーズ 伊藤アキラ T.Modern いしだかつのり 06SH-114
B面 ダンス・フォー・ミー M.Freiser
10 1977年
3月21日
A面 ツイスト110番 おりも政夫 青山孝 06SH-135
B面 片想い日記 江木俊夫
11 1977年
7月21日
A面 ラストショー 杉山政美 木森敏之 06SH-185
B面 ネイビーブルー
12 発売中止 A面 シャドー 伊藤アキラ 中村弘明 - 06SH-248
B面 命令しなさいママ あさひな知彦 長戸大幸 いしだかつのり

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
CBS・ソニー
1st 1976年2月21日 夢のディスクジョッキー LP SOLL-207
2nd 1976年12月21日 素敵な恋の招待券 LP 25AH-121

カバー・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
CBS・ソニー
1st 1975年9月21日 エンジェル・パワー LP SOLL-159

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
CBS・ソニー
1st 1977年12月1日 集合!アイドルのすべて JJS全曲集 LP 25AH-315
Sony Music Direct / GT music
2nd 2008年1月23日 ゴールデン☆ベスト JOHNNYS' ジュニア・スペシャル CD MHCL-1275

参加楽曲[編集]

発売日 商品名 楽曲 備考
1976年5月21日 元気ですか/ぼくの消息 JOHNNYS' ジュニア・スペシャル 「元気ですか」
1976年7月21日 フォーリーブス10周年記念PART1 「サタデー・ナイト」 フォーリーブスライブ・アルバム

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
ベルサイユのばら 池田理代子原作『ベルサイユのばら』イメージソング シングル「ベルサイユのばら」
愛しのオスカル
愛のちかい シングル「愛のちかい」
愛の飛行船に乗って 『100万人飛行船の会』テーマソング シングル「愛の飛行船に乗って」

主な出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ番組[編集]

映画[編集]

  • 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年7月20日、東宝
    • JJS結成前に、「孤児院の子供たち役」で出演。 舞台挨拶にも参加した。

CM[編集]

ミュージカル[編集]

  • ライブ・ミュージカル 『少年たち ~フォーリーブス・不朽の名作~』 (1975年4月5日 - 5月5日)
  • オリジナルミュージカルプレイ 『友情』 (「フォーリーブスリサイタル ’75」の中でのミュージカル、1975年)
  • フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVol.1『ライブ・ミュージカル 少年たちパートII ~ 青春の光と影 / フォーリーブス・ダイナマイトステージ』 (1976年3月)
  • おはよう!こどもショー・ポケットミュージカル (共演:藤島ジュリー景子)

ステージ[編集]

  • 第53回日劇ウエスタン・カーニバル ~ ばらとみかんとバイオリンと (1975年3月28日 - 3月31日、日本劇場
  • ジャニーズジュニアファーストコンサート (1975年4月5日 - 5月5日)
  • ’75 サマーキャラバン ジャニーズ・ジュニア・コンサート (1975年7月25日 - 8月16日)
  • 第54回日劇ウエスタン・カーニバル ~ ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル (1975年8月27日、日本劇場)
  • 第55回日劇ウエスタン・カーニバル (1976年3月24日 - 28日、日本劇場)
  • JOE vs JJS + GANGS 1976 サマー・ビッグ・シティ・コンサート (1976年8月9日 - 23日)
  • 第56回日劇ウエスタン・カーニバル (1976年8月24日 - 28日、日本劇場)
  • ジャニーズ・ジュニア サマー・フェスティバル (1977年夏)
  • ジャニーズ・ジュニア Jump up スターパレード’77 (1977年冬)

VIP[編集]

VIP(ビップ)は、「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」の後身に当たり、ジャニーズの歴史では極めて稀有の、女性が2人参加したグループ。

メンバー[編集]

  • 板野俊雄
    • 元・JOHNNYS' ジュニア・スペシャルのメンバー
  • 河村信子1958年12月 -)
    • 福岡県出身。劇団員からオーディションを受けての加入。

脱退メンバー[編集]

  • 林正明
    • 元・JOHNNYS' ジュニア・スペシャルのメンバー
  • 畠山昌久
    • 元・JOHNNYS' ジュニア・スペシャルのメンバー
  • 吉本和子1959年2月 -)

概要[編集]

  • 1978年7月にキングレコードより『南十字星』でレコードデビュー。
  • 1979年、林・畠山・吉本の3名が脱退を表明。そして、1979年5月13日に日比谷野外音楽堂にて、約4時間に渡る解散コンサートが行われた。
  • 5人組としての「VIP」は解散したが、その後も板野と河村の2人だけでグループを存続させた。そして、1980年にデュオ曲を1枚だけリリースしたが、やがて自然消滅した。
  • 河村と吉本は「週刊プレイボーイ」(1979年2月13日号)にて水着姿で登場している。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
キングレコード
1st 1978年7月21日 南十字星 たそがれハーバー EP GK-227 圏外
2nd 1978年10月5日 青春にかけろ! 明日に向って EP GK-256 96位
3rd 1980年1月10日 きらめきの季節とき おしえて下さい EP GK-374 圏外

参加楽曲[編集]

発売日 商品名 楽曲 備考
1978年 新・エースをねらえ! VIP 「いつもの街角」 テレビアニメ『新・エースをねらえ!』関連曲
「歩き疲れて」
「気になるお嬢さん」
「おやすみゴエモン」
「愛に包まれて」

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
青春にかけろ! 日本テレビ系放映アニメーション新・エースをねらえ!』オープニングテーマ シングル「青春にかけろ!」
日本テレビ系放映アニメーション『新・エースをねらえ!』最終回エンディングテーマ
明日に向って 日本テレビ系放映アニメーション『新・エースをねらえ!』エンディングテーマ
きらめきの季節とき 松竹映画『きらめきの季節』主題歌 シングル「きらめきの季節とき
おしえて下さい 松竹映画『きらめきの季節』挿入歌

メンバーのその後[編集]

  • 畠山は脱退後に事務所を移籍。1980年に「畠 真之(はた まさゆき)」に改名して俳優として活動。 1984年劇団四季へ入団すると、再び「畠山昌久」の名に戻して活動していたが、しばらくしてから「畠山 久(はたけやま ひさし)」へと改名した。1993年には中野サンプラザで行われたロックオペラ「ハムレット」にレアティーズ役で出演し、X JAPANTOSHI(当時)やデーモン小暮(当時)などと共演。2003年5月31日、転移性胆管癌により死去。45歳没。
  • 林はVIP脱退の1ヶ月後から、プライベートでソロのアコースティックライブ活動を数年間続けていた。その後は結婚して男児を一人もうけ、妻の実家の家業である不動産業を手伝っていた。2016年5月26日心筋梗塞により死去していたことが判明した。57歳没。5月28日に横浜市内で葬儀が行われた[1]
  • 板野と吉本は2019年9月4日、東京ドームで行われた二部制(第一部:芸能関係者、第二部:一般参列者)のジャニー喜多川お別れの会」に参列した[3]

脚注[編集]

関連項目[編集]