田部井淳子
田部井 淳子(たべい じゅんこ、1939年9月22日 - )は、日本の登山家。女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。福島県田村郡三春町出身、埼玉県川越市在住。
プロフィール
- 1939年9月22日、福島県田村郡三春町に生まれる。
- 小学4年の時に栃木県の那須連峰に登ったことが登山家への意識の芽生えになったと言われている。
- 三春小学校卒業。
- 1962年、昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中する。
- 1965年、佐宗ルミエと共に、女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功(12月19-20日)[1]。
- 1969年、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀クラブを設立。翌年にアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功。
- 1975年、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功。その後、日本女性で登頂したのは難波康子(1996)で、田部井が登頂成功した21年後である。ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞。
- 1988年、福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞
- 1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。文部省スポーツ功労賞。
- 1995年、内閣総理大臣賞。
- 1999年、旧ソ連7000メートル峰5座の登頂により、スノー・レオパードの称号を得る。(日本女性初)
- 2000年3月、九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了(研究テーマ:エベレストのゴミ問題)
- 現在、年7~8回海外登山に出かけるかたわら、山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト、略称HAT-J(ハット・ジェー)の代表。
エベレストの女性初登頂
- ヒラリー・ステップを見たときに、髪の毛が逆立ったと表現した。
- エベレスト登山の費用は当時、総額4300万円(自己負担150万円)。準備期間は実質4年。荷物を軽くするために乾燥食品を持参した。高所訓練中、隊長の久野英子が一時帰国、副隊長だった田部井に重圧がかかった。テントを飲み込んだ雪崩にあったにもかかわらず生還、下山をせずアタックすることを主張し計画は続行された。
- 企業からの献金を使わないという方針転換で行われたので、予算が減少、当初2回アタックの予定が1回に変更になった。
エピソード
- 登山で「もうダメだ」と思ったときが三度あり、いずれも雪崩に巻き込まれたときである。一回目はエベレストの第二キャンプ(6500m)でテントごと雪崩に埋められ、二度目は1986年にポベーダ山(トムール)の雪崩で600m流され、三度目は、その夜に再び近くを通過した雪崩の爆風に襲われ、テントごと吹き飛ばされた[2]。ポペーダ山では1999年に登ったときにも雪崩がテントを襲ったが、早朝に出発していたため助かった[2]。
- 1969年冬に登った谷川岳一ノ倉沢凹状岩壁は、エベレストよりもつらかったと回想している[3]。
- 旅行会社が企画する登山ツアーやTV、雑誌の登山企画の出演によって謝礼は得ているものの、自分が求める登山ではスポンサーなどによる資金を得ずに自身でお金を支払っていること、ガイド資格などを所持していないことから「登山家が自分の仕事かと言うと、そうではないと思う」とインタビューで答えている[4]。エベレスト後の登山では一切スポンサーをつけていない[5]。
主な登山歴
- 1965年12月19-20日、谷川岳一ノ倉沢中央稜を完登(佐宗ルミエと)
- 1970年、アンナプルナIII峰登頂
- 1975年、エベレスト登頂(女性世界初)
- 1979年、モンブラン登頂
- 1981年、キリマンジャロ登頂、シシャパンマ登頂(女性世界初、日本人初)
- 1985年、イスモイル・ソモニ峰、レーニン峰、コルジェネフスカヤの3峰を1シーズンで完登
- 1987年、アコンカグア登頂
- 1988年、マッキンリー山登頂
- シヴァ峰登頂(初登頂)
- 1991年、ビンソンマシフ登頂、コジオスコ登頂
- 1992年、カルステンツ・ピラミッド(ジャヤ山)登頂、エルブルス登頂
- 1994年、ハン・テングリ登頂
- 1996年、チョ・オユー登頂
- 1999年、ポベーダ山登頂
- 2001年、ムスターグ・アタ登頂
著書
- 『エベレスト・ママさん 山登り半生記』(山と渓谷社,1978年)のち新潮文庫
- (文庫版改題)『タベイさん、頂上だよ~田部井淳子の山登り半生記』(山と渓谷社,2012年)
- 『七大陸最高峰に立って』(小学館,1992年)
- (文庫版改題)『高いところが好き』(小学館,2007年)
- 『山の頂の向こうに』(佼成出版社 1995年)ISBN 4-333-01706-8
- 『エプロンはずして夢の山』(東京新聞出版局 1996年)ISBN 4-8083-0567-4
- 『さわやかに山へ』(東京新聞 1997年)
- 『山を楽しむ』(岩波新書 2002年)ISBN 4-00-430803-8
- 『はじめての山歩き 花、木、自然に会いに』(文化出版局 2002年)ISBN 4-579-30397-0
- 『山からの贈り物』(角川学芸出版 2007年)ISBN 978-4-04-621304-4
- 『いつでも山を 田部井淳子の実践エイジング登山』(小学館 2008年)ISBN 978-4-09-387776-3
- 『日本人なら富士山に登ろう! 初心者のための安心・安全登山術』(アスキー・メディアワークス 2010年)ISBN 978-4048681261
- 『田部井淳子のあんしん!たのしい!山歩きお悩み解決BOOK(マイコミムック)』(毎日コミュニケーションズ 2010年)ISBN 978-4839935948
- 『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋 2013年)ISBN 978-4163766607
編纂
- 『エヴェレストの女たちWomen on Everest』(山と溪谷社,1998年)
関連書籍
- 日本女子登山隊著『私たちのエベレスト:女性初登頂の全記録』(読売新聞社,1975年)
- 落合誓子著『女たちの山:シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』(山と渓谷社,1982年)ISBN 4-635-04136-0
- NHKプロジェクトX制作班編『プロジェクトX挑戦者たち;6:ジャパンパワー、飛翔』(日本放送出版協会,2001年)ISBN 4-14-080574-9
- 澤正宏ほか編,木村幸雄監修『福島県文学全集.第2期(随筆・紀行・詩編) 第4巻(現代編1)』(郷土出版社,2002年) ISBN 4-87663-586-2
- 養老孟司著『話せばわかる!:養老孟司対談集:身体がものをいう』(清流出版,2003年)ISBN 4-86029-050-X
- 毎日新聞社大阪本社学芸部編『わたしとおかあさん』(青幻舎,2004年)ISBN 4-86152-005-3
- 日本エッセイスト・クラブ編『カマキリの雪予想:ベスト・エッセイ集;2006年版』(文藝春秋,2006年)ISBN 4-16-368380-1
主な出演
- いのちの響(TBS)
- 午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ)
- 山で元気に!田部井淳子の登山入門(2009年7月29日 - 9月30日、NHK教育テレビ趣味悠々全10回の放送で、生徒役のルー大柴と共に講師役として出演[6])
- スタジオパークからこんにちは(2009年9月8日、NHK)
- 夏の北アルプス あぁ絶景! 雲上のアドベンチャー(2009年、NHK)
- ラジオ深夜便・自然を楽しむ(NHKラジオ第1放送)
脚注
- ^ 山と渓谷社「目で見る日本山岳史」 および年表 (出典では1966年になっているが、「エベレスト・ママさん」では1965年となっている)
- ^ a b 田部井淳子『山を楽しむ』
- ^ 田部井淳子『それでもわたしは山に登る』
- ^ 『就職ジャーナル』仕事とは? Vol.70 2012年4月4日
- ^ Curious Eyes of a Witch 元祖「山ガール」、山が好き、人が好き、好奇心の人 展示会とMICE Vol.6 2012年
- ^ “NHKアーカイブス保存番組詳細(田部井淳子の登山入門)”. NHK. 2011年5月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 公式HP
- 田部井淳子講演
- 田部井淳子さんインタビュー
- NHKアーカイブス 日本女子登山隊エベレスト登頂(1975年) - 日本放送協会(NHK)