田原晃司

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田原 晃司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉南市
生年月日 (1975-02-26) 1975年2月26日(49歳)
身長
体重
178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1992年 ドラフト6位
初出場 2001年6月20日
最終出場 2006年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田原 晃司(たはら こうじ、1975年2月26日 - )は、大阪府泉南市出身の元プロ野球選手捕手)。右投左打。

来歴・人物[編集]

プロ入りと西武時代[編集]

泉州高校(現:近畿大学泉州高等学校)では2年の夏からベンチ入りしている。3年生時には主将を務め、春は府大会ベスト4で夏の府大会では初戦から2試合連続で本塁打を放つが準決勝で春日丘高校に敗れた。なお、1学年上には谷中真二がいた。1992年ドラフト6位で西武ライオンズに入団。

地面スレスレまで腰を落として捕る、独特の捕球体勢が特徴。これは非常に柔らかい股関節の賜物である。長い間二軍生活を送り、プロ9年目の2001年に一軍初出場、11年目の2003年に一軍初安打を記録するという遅咲きの選手である。

伊東勤の引退後はその間の豊富な経験を生かしたリードが武器となり、若手で経験の浅い細川亨野田浩輔炭谷銀仁朗らのサポート役として一軍での出番が多くなり、守備固めでの起用が多かった。

2005年、正捕手の細川がリーグ最多の捕逸を記録したこともあり、主に守備固めとして自己最多の46試合に出場。6月9日の対東京ヤクルトスワローズ戦(インボイスSEIBUドーム)で、13年目にしてプロ初本塁打を放った。そしてヒーローインタビューの選手として選ばれたが、これも初めてのことであった。

2006年は炭谷の加入で3・4番手捕手となったが、6安打で4打点と少ないチャンスで確実に貢献した。

2007年は細川が正捕手として安定して活躍したこともあり、5年ぶりに一軍出場なしに終わった。

2008年も引き続き一軍出場なしに終わり、11月9日に戦力外通告を受け、現役を引退した。

現役引退後[編集]

引退後もブルペン捕手として西武に引き続き在籍している[1]。2024年時点では用具担当も兼務している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 西武 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2003 9 21 19 3 4 0 0 0 4 1 0 0 1 0 1 0 0 4 1 .211 .250 .211 .461
2004 28 26 23 3 6 2 0 0 8 0 0 0 1 0 1 0 1 8 0 .261 .320 .348 .668
2005 46 63 60 1 5 1 0 1 9 2 0 0 2 0 1 0 0 11 3 .083 .098 .150 .248
2006 15 30 29 0 6 2 0 0 8 4 0 0 1 0 0 0 0 6 0 .207 .207 .276 .483
通算:5年 99 142 133 7 21 5 0 1 29 7 0 0 5 0 3 0 1 30 4 .158 .182 .218 .401

年度別守備成績[編集]


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2001 1 7 0 0 0 0 1.000 2 2 0 .000
2003 9 35 2 1 1 0 .949 7 6 1 .143
2004 27 55 5 0 0 1 1.000 6 4 2 .333
2005 46 170 8 2 1 2 .989 16 13 3 .188
2006 15 71 5 1 1 2 .987 7 3 4 .571
通算 98 338 20 5 3 5 .986 38 28 10 .263

記録[編集]

背番号[編集]

  • 68 (1993年 - 2008年)
  • 94 (2009年 - 2019年)
  • 100 (2020年 - )

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]