田丸氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。58.93.169.86 (会話) による 2016年2月9日 (火) 02:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

田丸氏
家紋
八段の鞠挟み
本姓 村上源氏北畠氏
種別 武家
士族
出身地 伊勢国度会郡田丸郷
三重県玉城町田丸
主な根拠地 伊勢国
信濃国
美濃国
著名な人物 田丸具忠
田丸直昌
田丸直茂
田丸稲之衛門
凡例 / Category:日本の氏族

田丸氏(たまる、たまるうじ、たまるし)は、日本氏族伊勢国司から戦国大名となった北畠家庶流

概要

田丸氏の興りは北畠材親北畠政具とも)の3男である具忠が、父の分割相続により与えられた土地の名を称し、田丸城を築いた事が始まりとされる[1]

田丸氏の人物としては、特に田丸直昌田丸稲之衛門が著名である。

直昌は戦国時代に活躍した武将で、蒲生氏郷の妹婿でもあった[2]天正12年(1584年)に豊臣秀吉より所領を安堵され、蒲生氏郷の与力となり、文禄4年(1595年)に守山城5,000石を、慶長3年(1598年)に海津城40,000石、次いで慶長5年(1600年)に美濃岩村城40,000石を領した[2]。同年の関ヶ原の戦いでは西軍に属して改易され、越後国へ追放された[2]

子の田丸直茂前田氏に仕え、のちに子孫は幕臣となったという[1]

子孫からは尊王派田丸稲之衛門幕末に登場する(田丸稲之衛門#家系を参照のこと)。稲之衛門はを直允(なおまさ)と言い、田丸直諄(なおあき)の婿養子であったが、天狗党に属して筑波山で反幕の挙兵に及んだ[3]。しかし敗れ、越前国にて加賀藩に捕えられ敦賀にて処刑された[3]。その際、一家まとめて殺害、あるいは投獄されたという(田丸稲之衛門#家族も参照のこと)[4]

一族

参考文献・サイト

脚注

  1. ^ a b 武家家伝・田丸氏
  2. ^ a b c 『戦国人名事典 コンパクト版』、503ページ
  3. ^ a b [1]、田丸稲之衛門とは - コトバンク
  4. ^ [2]、幕末千夜一夜 - No.3 ゆく先は冥土の鬼とひと勝負、天狗党