田中明 (韓国・朝鮮研究者)

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田中 明(たなか あきら、1926年7月3日 - 2010年12月8日[1])は、日本の韓国朝鮮研究学者

略歴

愛知県名古屋市生まれ。叔父の養子となり、小学校からソウルで暮らす。龍山中学校卒業後、海軍経理学校へ入学。第二次世界大戦の終戦後は名古屋の旧制第八高等学校に編入学し、さらに東京大学文学部の新制一期生となり、1952年に卒業。中日新聞を経て、朝日新聞に入社[2]

朝日新聞社時代には、『朝日ジャーナル』記者として韓国を取材。1972年に朝日新聞を休職して、韓国の延世大学校 韓国語学堂高麗大学留学。1979年に朝日新聞社を退社。1981年から拓殖大学海外事情研究所教授を務めた[2]

2010年12月8日、心筋梗塞で死去。84歳没[1]。2011年に田中の誕生日である7月3日に教え子たち100名弱が集まって、「お別れの会」が催された[2]

著書

単著

共著

訳書

脚注

  1. ^ a b 田中明氏=朝鮮半島研究者 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  2. ^ a b c 関川夏央「やむを得ず早起き 第7回 コリアの勉強、その今昔」『週刊ポスト』2011年9月16日・23日合併号、pp.132-133