王累
王 累(おう るい、生年不詳 - 211年? )は、中国後漢末期の武将。劉璋の家臣。広漢郡新都県の人[1]。
略伝
劉璋の忠実な家臣で、その才能を認められて従事に任じられた。
211年、劉璋が張魯に対抗するため、劉備を益州に招こうとした時、城門に自分の身体を逆さ吊りにして諫言した。だが、劉璋は彼の言葉を受け入れなかったために、そこで王累は縄を解いて、その門前で首を掻き切って自決し、その反対の意志を貫いた。そのために『華陽国志』では、彼のことを「忠烈公、従事王累」と崇められているという。
小説『三国志演義』第六十回でも、逆さ吊りとなって劉璋を諫めるが、聞き容れられずに、大いに叫ぶこと一声、自ら縄を切って地面に落下死している。